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「朱のチーリン」自分の中の“当たり前”を疑え、正義を追い求める男たちの中華歴史ロマン
2024年12月26日 18:30 PR向井沙子「朱のチーリン」
古代中国・漢。その国では儒教の教えにより、人間が「人」である漢人と、「獣」と呼ばれる異民族の2つに分けられていた。その思想に従って生きてきた名家の嫡男である姜維(きょうい)の運命は、ある日、父の召使いである異民族の少年・姚宇(ようう)と出会ったことで大きく動き出す。三国時代を舞台に、後に「麒麟児」と呼ばれた男を描く中華歴史ロマン。ビッグコミック(小学館)で連載されている。
文
自分の中の“当たり前”を疑い始める主人公
極端な例え話をする。道端に生えている雑草は食べられないものだと一般的に認識されているし、食べようとも思わない人が大半だろう。だが「食べてもまったく体に害はなく、とても美味で栄養豊富だ。明日から必ず食べること」と強い口調で言われたら、自分の中に染み込んでいる“当たり前”や規範をすぐに崩せる人は、どのくらいいるだろうか。
「朱のチーリン」は、古代中国・三国時代を描く中華歴史ロマンである。横山光輝「三国志」や李學仁・王欣太「蒼天航路」など、三国時代を舞台とした名作は数多く発表されてきたが、ある程度の知識がないと敷居が高いジャンルだと感じている人も多いかもしれない。本稿ではまず、そんな方々に向けて、中国史に明るくなくとも楽しめる面から、「朱のチーリン」の魅力を紹介していきたい。
主人公は、魏から蜀へと降り、諸葛孔明のもとで薫陶を受けて活躍した武将・姜維(きょうい)。物語は三国時代が始まる前、彼の少年期からスタートする。重要な役職に就く父を持ち、漢の名家に育った姜維は、正義感の強い性格。「名家の務めは民を守ること。そのために誰よりも強くないといけない」と、友人たちへ声高に説く。
そんな彼の前にある日、父の奴隷として異民族の少年・姚宇(ようう)が現れる。この頃の漢では、人間は「儒教を解する偉大な漢人」と「儒教を理解できない獣である異民族」に二分されている、という価値観が浸透していた。
髪を長く伸ばし、女性とも親しげに話すなど、姚宇の振る舞いは、姜維にとっていわばカルチャーショックの連続。ある日、嫌がらせを受けていた姚宇を助けた姜維は、「妻子と奴隷は父の所有物。父上のものが傷つけられるのを黙って見過ごすのは親不孝であり、儒教において許されない」とその理由を説明するが、姚宇は「儒教ってやつは意味がわからねぇ」「俺とお前の問題に親父は関係ねぇだろ」と、姜維の考え方に異を唱える。
姚宇と接する中で姜維は、絶対的に正しいと思っていた儒教の教えはもしかしたら間違っているのかもしれないと、自分の中に積み上げられてきた“当たり前”を疑い始める。儒教に支配されているのは、もちろん姜維だけではない。劇中では「国のためなら我が子も捨てる!! これが“儒”」と、人質に捕られた我が子を趙昂の妻・王異が自らの手で射殺する衝撃的なシーンもあり、当時の人々の中で儒教がいかに絶対的なものだったかがうかがい知れる。
序章が終わり三国時代に突入した第4話からは、青年となった姜維のドラマが本格的に紡がれていくが、その中でも、姜維は何度も「儒教は正しいのか?」と己に問いかける。その真摯な姿は、現代に生きる私たちにもリアリティを持って響く。自分の中にある固定観念を疑うべきなのかもしれないと、考えさせられる人も多いはずだ。
これまであまり語られてこなかった、異民族との関係
そしてもちろん、三国時代に造詣が深い人にも楽しめる要素が満載。劉備や曹操などの英雄が亡くなった後の時代を舞台としているので、これまであまり語られることのなかったドラマは新鮮に感じられるはず。そして異民族との関係が軸となっているのも特徴的だろう。「三国志」といえば刻々と移り変わる戦況や壮大な戦闘の描写、個性豊かな武将たちのキャラクター性などで人気を集めてきたが、「朱のチーリン」では新たな角度から、三国時代を生きた人々のストーリーが深く描き出される。人々が民族の壁を越えて理解しあうことは可能なのかに注目したい。
作者の
“タイパ”という言葉が定着し、映像作品の倍速視聴も珍しくなくなった昨今。マンガ界でも親指ひとつで手軽に読める作品が人気を博している中、「朱のチーリン」は“タイパ”の概念から離れて、じっくりと没入したくなる作品だ。普段は職業柄、慌ただしい読書をしてしまいがちな筆者だが、メモを取りながら腰を据えて今作を精読したところ、とても充実感に満たされた時間を過ごし、「三国志」を改めてしっかり追いたいという意欲も高まった。ぜひ1コマ1コマを存分に味わって、三国時代にダイブしてほしい。
「朱のチーリン」第1話を試し読み!