マンガ編集者の原点 Vol.10 [バックナンバー]
「天は赤い河のほとり」「花にけだもの」の萩原綾乃(小学館ちゃお編集部)
「ずっと初恋について考え続けた30年だった」
2024年7月16日 15:00 5
マンガ家が作品を発表するのに、経験豊富なマンガ編集者の存在は重要だ。しかし誰にでも“初めて”がある。ヒット作を輩出してきた優秀な編集者も、成功だけではない経験を経ているはず。名作を生み出す売れっ子編集者が、最初にどんな連載作品を手がけたのか──いわば「担当デビュー作」について当時を振り返りながら語ってもらい、マンガ家と編集者の関係や、編集者が作品に及ぼす影響などに迫る連載シリーズ。2022年に反響を呼んだ同連載が、2年ぶりに帰ってきた。
今回登場してもらったのは、小学館ちゃお編集長の萩原綾乃氏。1994年の入社以降、ハイティーンからローティーンまで、少女マンガの編集一筋だ。担当作家は、
取材・
“ドジっ子編集長”の原点は「ときめきトゥナイト」と「キャプテン翼」
本人曰く、「今でいう陰キャだった」。私の目の前にいる、ニコニコしてパワフルで、覇気と才気がほとばしっている萩原氏からは想像できない言葉だ。お話が大好きで、本はもちろん、ドラマや落語も楽しむ子供だった。
「放課後運動をしないでうちに帰ってマンガを読むことが多かったですね。おそらく小学館の全編集部の中で一番のドジっ子編集長だと思うんですけど(笑)、当時から忘れ物が多かったり、ちょっとぼーっとしている子でした」
姉がおり、ちゃお、りぼん(集英社)、なかよし(講談社)、ひとみ(秋田書店)の4誌を読んでいたという。
「姉の影響で、かなり早い頃からマンガを読んでいました。姉妹で月に2冊ずつマンガ誌を買ってもらえていたんです。当時はちゃおとひとみがどマイナーでしたね(笑)」
そんな萩原氏のマンガライフで、最初にハマったのは池野恋「ときめきトゥナイト」だった。
「もう、大好きで! 私は、マンガの中にイケメンを出すことにおいては命をかけてるのですが、男子像については今も真壁くんの影響が強いですね。もう、カッコよくて……ちょっと斜に構えていたり、ボクシングをしているヒーローなんて初めてで、なんて面白い作品なんだろう!って夢中になりました」
「ときめきトゥナイト」は、りぼんで1982年から1994年に連載された作品で、りぼん黄金期を牽引したロマンティックファンタジーだ。小学生時代の筆者も姉妹でハマっていた。吸血鬼の父と狼女の母を持ち、噛みついたものに変身する能力を持つ中学生・江藤蘭世(らんぜ)が、隣の席の真壁俊と出会い、結婚するまでを描いたのが第1部(その後、第3部まで展開)。つれないのに優しい真壁くんに蘭世が寄せる一途で不器用な思いに、りぼんっ子は共感し、みんな真壁くんに恋していた。
「真壁くんは、実は『魔界の王子様だった』という衝撃の展開でしたが、『マンガってこのくらいやっていいんだ!』という思いも、今のちゃおに生きています」
少女マンガばかり読んでいた萩原氏が次にハマった作品が、運命を変えることになる。
「中学生になって『キャプテン翼』がものすごく流行り、いきなりサッカー部が60人くらいになっちゃう時代があったんです(笑)。読んだらものすごく面白くて。少女マンガと違う文法でキャラクターの魅力がいっぱいの作品。あらゆるタイプのキャラクターが出てきて、大好きになりました」
「キャプテン翼」は1981年から週刊少年ジャンプ(集英社)で連載された作品で、当時まだ日本ではマイナースポーツであったサッカーは、同作が1983年にアニメ化されるや否や大人気になり、日本にサッカーブームを巻き起こした。「ボールは友達」が信条のサッカー少年・大空翼がサッカー選手として仲間と成長していく過程をダイナミックに描いたこの作品で、萩原は「編集者」という存在と出会うことになる。
「『キャプテン翼』って、4話目を一度描いた後に高橋(陽一)先生が全部描き換えてるんですよ。もともとの4話目って、岬くんも松山くんも日向くんも全部いっぺんに出てくる。ところが先生が、それを自分で面白くないと思い、担当編集と打ち合わせをして『変えたほうが面白い』と確信し、全部描き換えた。
当時から有名なエピソードだったのですが、それを知ったときに、『編集者と作家さんってこうやって作品を作っていくんだ!』って感銘を受けたんです。マンガがものすごく面白くなるときに働く力があるとして、その隅っこのほうにでも自分が存在していられるような仕事ができたらと思った。そのとき初めてマンガの編集をやりたいと思いました」
現在単行本に収録されている第4話では、のちに翼の親友となる岬太郎は登場するが、ライバルとなる松山光や日向小次郎が登場するのはもっと後のことだ。高橋はのちに、最初に描いた第4話では迫力が足りないと感じて、締切まで数日あったので、思い切って描き換えることにしたと語っている。当時の担当編集はのちに集英社の常務取締役となり、現在は集英社クリエイティブ顧問を務める鈴木晴彦氏。高橋は初連載作、鈴木氏は新人編集者時代の話であり、ジャンプ作品を地で行くような作家と編集者の熱いエピソードだ。
そんな萩原氏の運命を変えた「キャプ翼」で、一番好きだったキャラは日向小次郎。翼のライバルで、執念の俺様キャラ。真壁くんから続く「ちょいS系」好きな気質が今も連綿と続いているという。
新人編集者として、篠原千絵と北川みゆきに教えてもらったこと
時は流れて1994年。「マンガ編集者になりたい」という夢を見事に叶え、萩原氏は小学館に入社。少女コミック(現在のSho-Comi)編集部に配属され、最初に担当した作品が篠原千絵「天は赤い河のほとり」だった(!)。少女マンガのド名作。いきなり、こんな大作を新人が担当したことに驚きだ。
「まだ連載が始まったばかりのときに副編集長から引き継ぎ、エンタメのなんたるかを、この作品で篠原先生に教わりました。『天は赤い河のほとり』って、“平凡な女子高生がヒッタイト帝国の王妃になる”話なんですが、最終話は先生の中で決まっていて、人気のあるなしでそこまでの過程が伸び縮みしていく。そうした作りの中、どのエピソードで最後まで組んでいくかという構成の仕方や、物語の作り方を学ばせていただきました」
「天は赤い河のほとり」は、1995年から2002年まで少女コミックで連載された作品で、単行本全28巻、累計発行部数は2000万部を突破している大ヒット作である。中学3年生の夕梨(ユーリ)が、紀元前14世紀のヒッタイト王国(現在のトルコ)の首都・ハットゥサにタイムスリップするところから始まる物語。ユーリは、時の第三皇子・カイルと出会って惹かれ合うも、皇妃が仕組む皇位継承争いに巻き込まれて何度も命を狙われ、そのたびカイルとの絆を強くする……と、歴史ロマンとサスペンス、そして恋愛のドキドキがこれでもかと詰まった作品だ。長編の多い篠原の作品の中でも、一番の長期連載となったマンガで、筆者を含めた全国の少女たちの胸を大いにときめかせ、熱狂させた。
当時、篠原から聞いた教えが今も息づいているのだという。まるで昨日聞いたばかりのように、篠原流「サスペンスの極意」をいきいきと語ってくれた。
「篠原千絵先生って“引き”の演出がものすごくうまい作家さんなのですが、忘れられない言葉があります。『女の子が断頭台に上がっただけでは引きにならない。ギロチンが落ちて首が転がれば、それが初めて引きになる。そこまでやって、どう覆すかが引きになるんだ』」
サスペンスの名手である篠原らしい言葉だ。ヒロインが断頭台に上がり、次の瞬間、鈍い音とともに首が落ちた!――次号、ハラハラしながら続きを読んでみると、実は落ちたのはヒロインの首ではなく、別の人間の首だった……といった演出が思い浮かぶ。
「断頭台に上がっただけでは、読者は『ヒロインだし、どうせ助かるだろう』と思ってしまう。もう一歩先まで踏み込んで描いて、初めて引きになるんだよ、ということです。これぞ、エンタテインメント!ですよね。のちにドラマ『24』なんかを見たときにも、『あ! これ篠原千絵先生が使ってた手法だ!』とか思ったりして、改めてすごいなと思いました。そうした教えから、今でも“引きの一歩先”まで描くようにマンガ家さんと打ち合わせをしています」
極上のサスペンス演出を篠原千絵から叩き込まれた。さらに、当時同時に担当していたのが北川みゆきだ。
「『亜未!ノンストップ』を終えて、『東京ジュリエット』の連載中でした。北川みゆき先生って、なんといっても物量がすごいんです。月100ページはザラで、2誌で月100枚分の打ち合せをさせてもらっていて……すごかったです」
衝撃的な枚数である。また、恐ろしいのは現在とは違い、作画はアナログ一択の時代。デジタル環境より何倍も手間がかかっていたはずだ。魔術的ともいえるこの枚数を、いったいどのような環境と想像力でこなしていたのだろうか。
1984年デビューの北川は、現在まで続くSho-Comiの、「ちょっとエッチな恋愛マンガ」のカラーを作った元祖と言える。……いや、厳密に言えば「けっこうエッチな恋愛マンガ」かも。萩原氏が先に挙げた2作のほかに「罪に濡れたふたり」「せいせいするほど、愛してる」などの代表作があり、おそらく多くの少女たちが、親のいないところでコッソリと北川作品を楽しみながら大人になっていった。
「1996年にCheese!が創刊されて、北川みゆき先生とはそちらでも少し上の年代に向けた作品を一緒に準備させてもらい、非常に楽しかったです。篠原千絵先生と北川みゆき先生、新入社員のときにおふたりが鍛えてくださったから、今の私があると思っています」
“新人”宮坂香帆と奮闘
アブラの乗った人気作家2人を担当する一方で、萩原氏がSho-Comiで初めて担当した新人は、宮坂香帆だった。「『彼』first love」「僕達は知ってしまった」などの代表作があるヒットメーカーにも、新人時代があったのだ。
「私と同年代の宮坂香帆先生は、当時まったくの新人で、初連載から一緒にやらせていただきました。もともとは副編集長が見ていたんですが、自分で担当したくて希望して変えてもらえました。『love love』『悪党 Scandalous Honey』という2作の短期連載をやってみて、非常にアンケートがよかったんです。その後宮坂さんがスターダムに乗り、巻頭作家になって長期連載をするようになっていくときに、いろいろとお手伝いさせていただきました。何時間も打ち合せしてくださいましたね。
ものすごく熱い先生で、とにかくネームが上手で女の子の絵がかわいくて。さらに、読者を熱中させるような男の子を描ける作家さんなんです。そして今見ると、男子がS系の“ちょいワル”で、やはりここでも私の真壁くん趣味を彷彿とさせます(笑)。それにしても、サスペンスにおけるエピソードでの引きを篠原千絵先生と作って、恋愛におけるドキドキの引きを北川先生と作って、その一方で、若くてぴちぴちの才能の宮坂香帆先生と作って……と、新入社員のときからものすごく恵まれていましたね」
Sho-Comi時代から、数え切れないほどの新人作家や持ち込みを見ている萩原氏が大事にしているポイント。それは「伸びしろを感じさせたり、育てたい欲を掻き立てられるかどうか」。驚いたことに、その時点でマンガがうまいかどうかはあまり関係ないのだという。
「みんな、最初は絶対にヘタなんですよ(笑)。だけど、何か光るところがある。パンチラのコマがいいとか、デフォルメがいいとか、ここで猫のキャラクター描いてくるんだ!?とか。新人の頃は、何か1つでも笑っちゃったところや、ドキっとするものがあった作品は、担当希望をつけるようにしていました。逆に、話がうますぎたりすると『私が担当じゃなくてもいいよね』って思っていたかもしれない。一緒に作品を作れたら楽しいかも、と思うかどうかも大事にしていました。
最初にちゃおに異動したのが25歳のときだったんですが、新人さんもたくさん見たいと思っていた時期で、
包容力に満ちたチャーミングな萩原氏だが、自らを「ドジっ子」だとする「失敗」の思い出についても教えてくれた。
「編集者って、自分で表紙や扉にテキストを入れたりしてページを作っていくんですが、私、いろんなことをすぐ忘れちゃうんですよね。一番ひどかったのは、
そんな萩原氏だが、メディアミックスについても苦い経験があるという。
「
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