「夕鶴」からイノセンスをはぎ取る
──岡田さんは岡本さんに、どんなオーダーをされたんですか?
岡田 まず、岡本さんがダンサーとして出てくるシーンではカッコよく出てきてほしいと(笑)。ステージングに関しては、岡本さんにだけ話すというより、岡本さんも参加した全体のミーティングの中で、子供をどう扱いたいかという話をした程度だと思います。それはどういうことかと言うと、原作ではつうも子供もイノセントな存在というイメージがあると思うんだけど、それをやめたいと。「夕鶴」の物語は、イノセントという要素をはぎ取っても、いやむしろはぎ取ったほうが、テーマがむき出しになってくると思う、という話をしました。だから子供もカッコよくしたいし、子供には“イノセントな子供”を演じてやっている、という体でいてほしい。それでチコ頭が必要なんだ、という話をしました。
岡本 私は今回、作品の立ち上げから参加したわけではなく、すでに進行している中に途中から参加した形なのですが、ミーティングのお話を踏まえつつ、舞台美術とか衣装とか具体的なイメージが立ち上がってきているものを見て、岡田さんが作る世界観を徐々に咀嚼していった感じです。
──先ほど岡田さんは、岡本さんから良いアイデアが出てきたとおっしゃいましたが、岡本さんのアイデアから膨らんだ部分もありますか?
岡田 岡本さんには、僕にはないものがたくさんあります。例えば動きの1つひとつを具体的に決めるということを僕はできないし、岡本さんからは僕が思い付かないことがたくさん出てくるんです。動き自体はそんなに複雑な動きではなくて、ダンサーじゃなくても、普通の人にとっても難しくはない動きなんですけど、それもすごく面白い。また、特にそういう話をしたわけではないんですが、同じ動きをそろってやっていても没個性的にユニゾンになってるわけじゃなくて、1人ひとりのゴツゴツとしたものが現れているのが僕は好きで。今回のステージングは動きの1つひとつが面白いんですよ。岡本さんは、一番大事なコンセプトはきちんと守ったうえで「こういうふうにしたい」「こういうことを起こしてみたい」というアイデアを出してくれるので「おおっ」と思いますね。
岡本 ありがとうございます! 私、整理整頓が好きで(笑)、クリエーションでもそれはつながっているというか、みんなからいろいろと出てきたアイデアを片端から綺麗に整えていくことが得意なんです。今回、私が子供たちに言っているのは、本人の個性や性格みたいなことを残したまま、動きだけやるということで、熊本の合唱団の子たちはそれをすっと理解してやってくれましたね。
──クリエーションの映像を拝見しましたが、“集団”として子供たちが存在するのではなく、それぞれに目を持った子供たちが、批評的な目線で大人の言動を見つめている感じが伝わってきました。
岡田 そうですね。僕はこの「夕鶴」という作品が、つうや子供を安心安全な存在として物語を成り立たせようとしていることが嫌で、そこをそうじゃない形にしたい、じゃないとこの作品をやることができない、と思っているんですね。だからと言って「夕鶴」という作品が嫌いなわけではなく、むしろその点を変えても構わない、変えるべきだと思ったんです。子供たちから与ひょうたち大人が見られること、問いを突きつけられることが大事だと。子供たちには「これはお金の話だよ」と最初に説明したのですが、そのことがパフォーマンスにも反映されていると思います。
岡本 そうですね。動きだけ伝えるとただの動きになりますが、コンセプトを伝えたことで子供たちが自然とやれている部分があり、それが面白かったです。
──日本語歌詞だからかもしれませんが、「夕鶴」では音楽とセリフが深く結びついていて不可分だと感じました。そのような音楽に動きをつけていくと、結果的に“当て振り”のようになる可能性もあるのではないかと思いますが、その点で意識していることはありますか?
岡田 当て振りみたいなものになってしまうことに対しての警戒心は僕もけっこう強いので、そうならないようには意識しています。例えば動きの単位になる小節が短ければ短いほどそうなりがちだと思うので、その単位を長く、大きく捉えるようにしたり、また音の問題だけじゃなく、ステージングってその人が舞台上にいるときの動機を与えるものだと思うんですけど、そこにいる根拠さえあれば、立居振る舞いはバラバラでも成立するわけなので、それぞれの動きを音楽に当てすぎないようにしたいなと思っています。
岡本 岡田さんのおっしゃること、よくわかります。私は作品の中にどんどん詰め込んで密にしてしまいがちなので、今後の自分のクリエーションの中でも今回の経験は生かすことができそうだと思います。
劇中劇にすることで、演劇の力が信じられる
──「夕鶴」の演出にあたり、岡田さんは今回、劇中劇のスタイルで臨まれるそうですね。それはどういうことなのだろうと考えていたのですが、子供たちが「夕鶴」の世界にいるときといないときがあるというお話を伺って納得しました。つまり、登場人物それぞれがいる世界がレイヤー状になっていて、現代と劇中と劇中劇の世界が別々に存在しているということなのかなと。またその方法であれば、つうが“資本主義を超える”こともできそうです。
岡田 あんまり気付かれていないかもしれないけど、僕、実は劇中劇をよくやっているんですね。「『未練の幽霊とその怪物』の上演の幽霊」(参照:中止公演の“幽霊”がオンライン環境に出没?岡田利規「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」)も「プラータナー:憑依のポートレート」(参照:岡田利規演出「プラータナー」開幕、ヘーマムーン「日本の抱擁を受けているよう」)も、劇中劇なんです。劇中劇の場合、観客はそれがどんな演劇かということをカッコに入れて観ることができる。これは運ず役の寺田(功治)さんと惣ど役の三戸(大久)さんがおっしゃっていたことですが、運ずと惣どのやり取りは、大人が語るには少し馬鹿馬鹿しいことなんだけど、それを子供に向けた“劇としてやっている”、劇中劇の体になればやりやすいと。
僕は演劇がとても好きだし、なんて面白いものなんだろうと思ってます、でも、演劇に恋をしたことはないと思うんですよね、つまり、とても冷静というか。それでなのかもしれないんですけど、劇中劇という形式がぼくにはとても信じられるというか、しっくり来るんです。
──「夕鶴」は1952年に初演された作品で、ジェンダー観をはじめとする価値観が現在とは違います。その点も、劇中劇という形になると前提ごと飲み込めるというか、物語と現実の整合性を取る必要性がなくなりますね。
岡田 まさにそういうことですね。ジェンダーの問題もそうだし、イノセントな存在が資本主義に疑問を呈するという構造もですね。イノセンス頼みでない仕方で資本主義批判をする「夕鶴」であるほうが、ぼくにはしっくりくるんですよ。
大きな器の中で、もう“見えてきている”
──ここまで主にステージングについてお話を伺いましたが、ダンサーとしての岡本さんは、どんな形で作品に登場するのでしょう?
岡本 私が出演するシーンの稽古はこれからなので、まだイメージの段階ではありますが……。着るものによって動きが変わると思っているので、今は衣装についていろいろと打ち合わせしている状態です。衣装の動きやすさ、動きにくさを生かしつつ、作品の世界観やコンセプトに則る形で何ができるのか。ただ私たちダンサーは、ある意味でつう自身であり、つうの気持ちや感情なんじゃないかと思っていて、つうの本音みたいなことを私たちが語れたら良いんじゃないかと思います。あと、何よりカッコよさが感じられるもの、お客さんに「観て良かったな」と思ってもらえるくらいのカッコいいものにしたいと思っています(笑)。
岡田 僕が言ってる “カッコよさ”ってもうちょっとちゃんとした言葉で言うと(笑)、資本主義的な欲望で見たときに「いいな、素敵だな、こうなりたいな」と思うことができるものってことなんですよね。もちろん、カッコいいにも種類があって、資本主義的な価値観を全然気にしていないカッコいいもあると思いますが、今回「夕鶴」が打ち出す“カッコいい”は、観客にとって突きつけられるようなものになるはずで、そうなったら良いなと思います。
──藤谷香子さんが作り出す衣装は、素材選びや動いたときのラインが特徴的で、岡田さんの作品に重要なピースになっていると思いますが、今回はさらに気合が入った衣装になりそうですね。
岡田 そうですね。彼女は良い意味で、天才的に俗っぽいところがあるので、今回はすごく合っていると思います(笑)。
──いよいよ作品の各ピースが立ち上がってきたところだと思いますが、全体の展望は見えてきましたか?
岡本 そうですね。まだ衣装も舞台美術も実際にはできていませんし、舞台に立ってもいませんが、強いコンセプトを持った大きな器の中で、「この舞台はこうなる」という実感がすでに感じられているので、もういける気がするというか。大抵は、公演1カ月前のこの時期って不安で、ギリギリまでどうなるんだろうということが多く発生するんですが、今回はそれがなくて、この先のクリエーションもすごく楽しみですし、自分自身が早く観たいなって(笑)。我々もがんばります。
岡田 僕も、ここまでの段階でやるべきことはやれていると思います。熊本のWSで子供たちのシーンについては見えてきたし、指揮の辻博之さんと鈴木優人さん、ソリストたちともコンセプトが共有できている。あとはステージングのレベルで、具体的に誰がどうするかが決まってくれば大丈夫なはずだろうと。それと僕は、照明が楽しみですね。高田(政義)さんの照明だから、絶対にすごく良いと思うし、照明が入ると舞台に表情ができてくるので、さらに“何かになっていく”と思う。それを楽しみにしています。
- 岡田利規(オカダトシキ)
- 1973年神奈川県生まれ。演劇作家・小説家・チェルフィッチュ主宰。2005年「三月の5日間」で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。同年7月「クーラー」で「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005ー次代を担う振付家の発掘ー」最終選考会に出場。2007年にデビュー小説集「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を発表し、翌年第二回大江健三郎賞受賞。2012年より岸田國士戯曲賞の審査員を務める。2013年初の演劇論集「遡行 変形していくための演劇論」、2014年戯曲集「現在地」を刊行。2016年よりドイツの公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリー作品の演出を4シーズンにわたって務め、2020年「The Vacuum Cleaner」が、ドイツの演劇祭シアタートレッフェンの“注目すべき10作品”に選出された。2018年にはタイの小説家、ウティット・へーマムーンの原作を舞台化した「プラータナー:憑依のポートレート」を国内外で上演し、第27回読売演劇大賞 選考委員特別賞を受賞2020年に刊行した戯曲集「未練の幽霊と怪物 挫波 / 敦賀」が第72回読売文学賞 戯曲・シナリオ賞を受賞した。
- 岡本優(オカモトユウ)
- 東京都生まれ。ダンサー・振付家。東京を拠点に国内外で活動。幼少よりクラシックバレエを始め、ストリートやジャズダンスなど他ジャンルのダンスも経験。桜美林大学卒。木佐貫邦子に師事。笠井叡、木佐貫、笠井瑞丈×上村なおか、伊藤千枝、黒田育世、熊谷拓明などの振付作品に参加。2011年にダンス集団TABATHAを旗揚げ、主宰を務める。ダンスにとどまらずデザイナーとしても活動するほか、CMやアイドル、演劇作品の振付も手がける。「トヨタ コレオグラフィーアワード2012」ファイナリスト、「横浜ダンスコレクション2019」若手振付家のための在日フランス大使館賞およびシビウ国際演劇祭賞を受賞。
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