愛知県で3年ごとに開催される国際芸術祭「あいち」が、2025年は9月13日から11月30日まで開催される。芸術監督のフール・アル・カシミが掲げる「灰と薔薇のあいまに」というテーマのもと、現代美術、パフォーミングアーツ、ラーニングを柱に多彩なプログラムが立ち上がる今回、ステージナタリーではパフォーミングアーツ部門のキュレーター・中村茜と、身体障がい者による身体表現を追究する大阪のパフォーマンスグループ・態変の金滿里、現代に生きるアイヌの存在と向き合う北海道出身の音楽家・現代美術家マユンキキ、「人類館」の作者・知念正真の娘で沖縄でAKNプロジェクトを主宰する知念あかね、アーティスト集団・オル太のメンバーで脚本・映像・パフォーマンスなどを担うメグ忍者による座談会を実施。7月某日、日差しが照りつける大阪に日本各地から集まったアーティスト4人は、ほぼ初対面にもかかわらず、熱いトークを繰り広げた。
なお特集後半では「あいち2025」パフォーミングアーツ部門にラインナップされた9演目の見どころを紹介している。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 吉見崚
2010年から3年ごとに開催され、今回で6回目となる国際芸術祭。愛知県名古屋市の愛知芸術文化センターをはじめとするさまざまな場所で展開される。現代美術を基軸に、パフォーミングアーツやラーニング・プログラムも含めた複合型の芸術祭で、今回は芸術監督をシャルジャ美術財団理事長兼ディレクター、国際ビエンナーレ協会(IBA)会長のフール・アル・カシミ、学芸統括をキュレーターの飯田志保子、現代美術のキュレーターを愛知県陶磁美術館学芸員の入澤聖明、パフォーミングアーツのキュレーターを中村茜、ラーニングのキュレーターを辻琢磨が務める。
消えていく声や記憶を、芸術表現で可視化できるのか
──中村さんは今回、どのような思いからアーティストの皆さんにお声がけされたのでしょうか?
中村茜 「あいち2025」芸術監督のフール・アル・カシミさんが掲げたテーマ「灰と薔薇のあいまに」を踏まえて、私は日本の立場で何をすべきか、ということを考えました。そのコンセプトの根底には、世界の権力構造やそれにまつわる土地の支配や資源の話などがあり、自然と人間の関係をどう掘り下げていくかを考えていく中で、資源を利用する私たちの現在の生活自体が、どういう権力構造によって成り立っているのかに目を向けずにはいられないなと思いました。そこで改めて日本の歴史を振り返ってみると帝国主義の時代があり、戦争があったわけですが、日本では現在、すでに過去のことになっている出来事であっても世界ではまだ過去になっていないことも多い。そのように、ある種の権力構造の中で消えていく声や記憶を、芸術表現を通じてどのように可視化できるのかを考えたいと思いました。それで一番初めに思い浮かんだのが、森崎和江さんという日本統治時代の朝鮮に生まれた作家の方で、彼女をキュレーションのキーとして、支配者側の罪の意識みたいなものを作品化している作家を考えていきました。その中で沖縄戦の記憶や朝鮮との関係、またアイヌと日本の関係などが浮かび上がり、今日お集まりいただいた4名をはじめとする顔ぶれになりました。
オル太は、森崎さんの「まっくら 女坑夫からの聞き書き」という女性の炭鉱労働者の聞き書きの本にもあたるなどずっと炭鉱のリサーチをされていて、2013年から世界を巡り近代化の負の遺産について追求されてきた団体なので、日本と朝鮮の関係や女性の労働の問題をテーマにした作品ができるのではないかと思いました。
沖縄については、那覇文化芸術劇場なはーとさんにご相談する中で、「実はAKNプロジェクトの『人類館』の再演を考えている」というお話を聞き、であればぜひ一緒に作らせてもらえないかとお話しました。
態変さんに関しては、金さん自身が在日コリアンのバックグラウンドを持ってるのは重要なアイデンティティだと思いました。また、自然と人間の関わりという点でも、金さんは身体障がいのある方々の身体を自然と一体化して捉え、命そのものの価値を追求していくという視点を持っている方なので、今回のテーマに合致すると考えました。
マユンキキさんは、影絵のパフォーマンスを拝見させていただき、音楽家であり美術家でありアイヌであるマユンさん独自の世界観が立ち上がっていて、そこで語られているというか、歌われているというか……表現されていることが具体的な物語ではなくイマジネーションを刺激するような空想的な作風だったのがとてもいいと思いました。言葉のコミュニケーションに偏りがちな現代において、言葉では表しきれない感覚や感情などの抽象的な想像力の重要性が増してきていますよね。実は「あいち2025」の現代美術部門からもお名前が挙がっていたので、双方からお声がけし、最終的に現代美術とパフォーミングアーツ両方に参加していただけることになりました。
全国各地で活動する先鋭的なアーティストたち
──本日の取材のため、全国各地からアーティストの皆さんにお集まりいただきました。皆さんも、じっくりお話されるのは今日が初めてということで、まずは自己紹介と今回どのような思いで参加を決められたのか教えていただけますか?
メグ忍者 オル太のメグ忍者です。オル太はメンバー5人で活動していて、それぞれが役割を分担しながら作品を立ち上げていくのですが、私は脚本や映像、パフォーマンスなどを担っています。オル太では、先ほど中村さんがおっしゃったように「生者のくに」(2021年)という作品で森崎和江さんのリサーチを行いました。「生者のくに」では炭鉱の街として、具体的には茨城の日立鉱山や福岡の筑豊地方のリサーチをして、山本作兵衛(編集注:明治から昭和を生きた炭鉱労働者で炭鉱記録画家。ユネスコ記憶遺産の登録を受けた炭鉱画で知られる。なお「あいち2025」に作品が出品される。参照:山本作兵衛 | 国際芸術祭「あいち2025」)の炭鉱画を観て、そこから感じたことを戯曲に落とし込んでいきました。作品としては第1部がゲーム、第2部が公演の2部構成で、新作「Eternal Labor」でもその方法を踏襲しようと思っています。今回お声がけいただき、「生者のくに」でやりきれなかったことに挑戦できるのではないかと思っています。
金滿里 私は在日コリアン2世で、24時間、他人介護が必要な重度障がい者です。ポリオという障がいで首から下が全身麻痺です。態変は立ち上げて42年になるのですが、一貫して身体障がい者の身体表現を私の視点から表現するということで積み重ねています。でも立ち上げから42年経っても全然完成されたという気はしません。
愛知の芸術祭と言うと、2019年の「あいちトリエンナーレ」で「表現の不自由展・その後」で話題になったとき、私にも関係することだと思い、観に行ったことがあります。そのとき「態変を呼んでくれたらいいのに」と思ったのですが、まさか6年後、本当に声がかかるとは(笑)。態変に声をかけるなんてよっぽどだと思いますし、そこに芸術祭のポリシーを感じて、二つ返事で「行きます!」と言いました。
ただそのときまで、私は中村茜さんのことは知らなくて、実際に会ってみたら権威的なところが全然なく、むしろスッと近寄ってきてスッと引くような当たりのいい感じの人だなという印象を持ちました。
マユンキキ 自己紹介にいつも悩むんですけど、美術作品も作るし、音楽もやっていて、アイヌ語の講師もしています。美術作品を作り始めたのは2020年からで、音楽はもう15年ぐらい、アイヌの伝統的な歌を歌っています。今回は、VA(現代美術)とPA(パフォーミングアーツ)で、共通したテーマを持つものにしたいなと思っています。
実は、私にとって国際芸術祭「あいち」に参加することは覚悟がいることでした。特にVAだけでなくPAにも出るとより目立ってしまうので、自分がここでどういうポジションで何をやれるかをすごく考える必要がありました。でも現在は「何かあればきっと茜さんが守ってくれるだろう」と思って頼りにしています(笑)。
知念あかね AKNプロジェクトという団体で、私の父で戯曲家の知念正真の「人類館」(編集注:1903年に大阪で開催された博覧会と合わせて、琉球人をはじめとするさまざまな地域の人が展示された“人類館事件”をモチーフにした作品で、1976年に初演、1978年に第22回岸田國士戯曲賞を受賞した)を上演しています。「人類館」は私の父が所属していた劇団(演劇集団創造)でずっと上演されていたお芝居なのですが、父も亡くなり、劇団のメンバーもみんな高齢になり活動が難しくなっていました。でも再演を熱望するファンの方の声がすごく多かったので、私がいろいろな方のお力を借りつつ、見よう見まねで上演を始めました。過去に2回、なはーとで上演したほか、YouTubeで作品の全国公開なども行ったのですが、作品を好きな方が多すぎて上演のたびにいろいろなご意見が寄せられることもありました。また、「人類館」を一応父親から預かっている身としては、父の時代のものをそのまま今の若い人たちに向けて上演したところでちょっと難しいだろうなという思いもあって、「人類館」の扱い方について悩んでいたんです。私も含めて、沖縄のつらい過去みたいなもの、悲しい思い出の話はなるべく避けて通りたい、という思いを持っている若い人が多く、「でもこういうことがあった」という歴史は伝えていくべきだと感じて……。そんなとき、信頼しているなはーとの方から「中村さんのお話を一旦聞いてみませんか」とお声がけいただき、実際に茜さんとお話ししてみたところサバサバした感じがすごくいいなと思ったのと、「一緒に作りましょう」という言葉に嘘がないことが一瞬でわかって、「ぜひ」とお返事しました。
「灰と薔薇のあいまに」への応答
──芸術祭のテーマ「灰と薔薇のあいまに」のコンセプトを、アーティストの皆さんはどのように受け止め、今回上演する作品を立ち上げていきましたか?
知念 私は直感的にこの「灰と薔薇のあいまに」というテーマに惹かれました。この言葉が、私や沖縄の今の状況に当てはまると感じたんです。また「人類館」の戯曲の中に、戦後の表現として“見渡す限りの焼け野が原だ。私たちの郷土は文字通り焦土と化してしまった”という一節があるんですね。首里城は沖縄の中でも高台にあり、港が一望できる場所にあったのですが、戦争で全部焼けてしまいました。それが今、首里と港の間に新都心という形で、富裕層に人気のエリアとして高級住宅街が出来ているんですけど、そんな沖縄の様子と重なったところがあって。ただ、「薔薇」という言葉については、果たして今の沖縄が薔薇になっているのか、薔薇ってなんだろう?というところは、自分の中で考えているところでもあります。その点も含めて“灰と薔薇”という言葉にすごく惹かれています。
中村 作品タイトルに“喜劇”とついているのはなぜですか?
知念 ああ、実はこれは私の記憶違いが発端で(笑)。私にとって「人類館」はずっと怖いお芝居という印象があり、小さい頃に父に「なんであんなに怖くするの?」というような文句を言ったことがあったんです。そうしたら父が「何を言ってるんだ、あれは喜劇だよ」と。そのことがずっと頭に残っていたのか、いつの間にか記憶がすり替わって、「人類館」に“喜劇”というワードがついているものだと思い込んでいたんです。だから改めてAKNプロジェクトで「人類館」を上演するとなったときにとき、「喜劇『人類館』」というタイトルでポスターを作ったら、劇団のOBの方たちや元々作品を知っていらっしゃる方たちから「なんで“喜劇”ってつけたの?」と聞かれて、初めて「え? もとは付いてなかったの?」と思ったという(笑)。でも実際、私の記憶でも上演中に笑いが起きていたし、父親としては、当時の同世代の人たちに向けた、共感し合えるお芝居として「人類館」を作ったそうなので、説明しなくてもわかることが多かったんだと思います。でも時代を経て、今の人には説明がないと笑えない部分も出てきていて、そこをどうするのかは考えなくてはと思っています。
それに「人類館」というタイトルだけで「喜劇」がついていなかったら、多分今の若い子たちはチラシさえ手に取ってくれないんじゃないかと思うんですよね。私としてはAKNプロジェクトを通じて若い世代につなげたいという気持ちがすごく強いので、AKNプロジェクトでやるときには「喜劇『人類館』」というタイトルにすることにしました。
金 ご存命だったらお父さんは今、いくつなんですか?
知念 12年前に亡くなっていて、生きていれば今年84歳でした。
金 そうなんですね。私は大阪で「人類館」を観たことがあるのですが、けっこう痛快な作品でしたよ。
中村 沖縄の人だから笑いが起きた、というわけではないんですね。
金 在日コリアンの感覚としても響くものはすごくありました。あと一人芝居というイメージが強かったのですが、三人芝居だったんですね。
知念 大阪では1970年代に1回、2003年にも1回、上演しているんです。沖縄の方がたくさん住んでいる地域があって……。
金 大正区やね。
知念 はい。その辺りで上演しました。ただ2003年に上演した時は父もすごく悩んでいて、沖縄県外で上演するということも、この時代に何十年も前に書いた戯曲をやることも、どうなんだろうと渋ったらしいのですが、熱心にオファーしてくださる方がいて、その方の説得で実現したと聞いています。
マユンキキ 私は、あまり「灰と薔薇のあいまに」というコンセプトに寄せて作品を考えてはいません。というのも、私の周りでは二項対立のようなことが起きやすく、常にその狭間にいる意識があるので、この気持ちを持ったまま作品を作れば、きっと今回のコンセプトに則した作品になるのではないかと思ったんです。
今回の作品は、測量士だった私の祖父・川村カ子トが、長野、愛知、静岡を跨ぐ三信鉄道(現・JR飯田線)の敷設工事に向けて測量をしたことに着想を得ています。アイヌの祖父は測量技師として本州の近代化の一端を担うことに、きっと矛盾を抱えていたと思います。今回はそのことについて考えたいと思っているのですが、個人的な物差しで捉えないと怖いところがあり、奥三河の天竜川流域や北海道の石狩川流域でリサーチを行いました。鉄道ってやっぱり近代化の象徴ですし、環境も破壊するわけで、そこで起きることは暴力的なことがとても多い。でもそれによって恩恵を受ける人もたくさんいるわけで、だから何がいいとか悪いではなく、「そこにあった事情はどんなことだったんだろう」ということをとにかく探っていきたいと思っています。
ちなみに祖父は朝鮮でも測量をしていて、そのときは「日本人」の測量士として朝鮮に行っているんですけど、植民地化と近代化はセットなので、自分がアイヌとして受けたことと日本の測量士として朝鮮で行ったことの間に、どんなジレンマがあったんだろうなということは、孫の私の代で考え進めないといけないんじゃないかと思っています。
なので、まずは飯田線のリサーチ、三信鉄道のリサーチをして、そこであった強制労働のこととか、結果として飯田市が焼肉の街になったことなどのつながりを考えながら、とにかく肉を食べたり人に会ったり、電車に乗りまくったりして(笑)、私が感じたこと一つひとつをパーツとして作品の中にちりばめようとしています。創作の中心にはどうしようもなさとか寂しさ、苦しさみたいなものがあるのですが、どうしようもなかったからといって諦めたり許したりするつもりは全然なく、むしろその「どうしようもなさみたいなもの」って重要だと思うので、そこは大切に作っていきたいなと思っています。タイトルの「クㇱテ」は、アイヌ語で「(場所に)~を通らせる」の意味。鑑賞した人が、誰かに「何かをさせる」というような意識を持てるものにしたいなと思っています。
金 私も「灰と薔薇のあいまに」は全然意識せず、作品を考え始めました。というのも、はっきり言って私には最初、ちょっと軽いコピーという感じがしてしまったんですね。ただ、コンセプトに込められたフールさんの深い思いについては徐々にわかってきました。今回、中村さんから依頼があったとき、再演も検討しましたが、態変の身体表現らしくガンガン攻めるのは、今回は違うんじゃないかと思ったので新作にしました。態変というと、一般的な障がい者団体とは違うということは知っていても、実際に舞台を観た人や触れた人はあまりいないと思うのです。
つらつら考えるに……私の中では今回、戦争への一つの応答やなって感じがしています。頭脳と身体って一体なんだろうという問いかけを、言語障害のない“しゃべれてしまう”身体障がい者として考えたい。障がい者って、「○○ができることがいいね」とか「しゃべれるからよかったね」というふうに周囲からの差別をいつも聞きながら育つんですけど、友達同士では別に何かができる / できないで友達を見下すなんてことはありませんし、そんな優生思想的な概念をぶち壊したいという思いをずっと持ってきました。今回の「BRAIN」では、頭で指令され、支配されている身体ではなく、頭も身体の方に組み込んで、つまり一般的な価値観とは逆の考えで取り組みたいと思っています。というのも、今の戦争をめぐる状況を見ていると、武器やパソコンを駆使して誰かを攻撃する能力が今後もっと求められていくのだろうと思っていて。でも障がい者は武器を持つこともパソコンを扱うことも難しいので、そんな今の価値観からすると、障がい者はもっと下の下の存在になっていくのだろうと思います。そこで今、改めて身体に重点を置いて考えてみると、身体っていろいろなパーツの集まりですが、それがばらけることなく、何か一つの目的に対してぎゅっと集まっていることはすごいことだなと思っていて、そのことを一つの形にできたらと思っています。
メグ忍者 実は私も、今回の芸術祭のコンセプトが、戦争を目の当たりにした詩人の方の言葉から引用されたものだと後から知ったので、コンセプトを意識して創作を始めたわけではないのですが、現代の日本に生きている私たちは今、戦争を目の当たりにしているわけではないけれどもSNSではひたすら戦争の惨状がフォロワーの画像から流れてきたり、デジタル上で見ることもありますよね。それによって自分の戦争に対する意識みたいなことには直面するのですが、でもその戦場にいるわけではなく、また資本主義の中で生きていてその恩恵も受けているので、自分自身と実際の戦地との差異を日常的に感じてはいて。今作では、リサーチで韓国にも行きましたが、ちょうど大統領の弾劾訴追デモがあったときで、友人たちが大きいフラッグを掲げながらデモに参加していました。朝から夜まで凍える寒さの中、パレードする姿に力強さを感じつつも、私は当事者性を持つことができなかったんです。
リサーチをするときはいつも自分は部外者として各地に入っていって、いろいろな方の話を聞く機会があるのですけれども、例えば炭鉱の労働をしていた方の話を聞く時も自分は実際に体験しているわけではないから、その場で起きる労働の苦痛までは感じ取ることはできないわけで、話を聞いて想像することしかできません。でもその想像から何を伝えることができるのか、もしくは伝えることができないのか……その合間を彷徨っているような感じがしています。
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キュレーターを超えるキュレーター、中村茜