北尾亘×きたまり×スズキ拓朗が語る「東京芸術祭2021」|観た人に衝撃や痕跡を残す、“今日的”な作品を

北尾亘は、コロナ前に立ち上げた作品を通して現在を注視する

──北尾さんは、2019年に初演された「ジャングル・コンクリート・ジャングル」(参照:「ジャングル~」開幕、北尾亘「Baobabが踏みしめた10年の軌跡が此処に」)の再演に臨まれます。

「ジャングル・コンクリート・ジャングル」より。(Photo by Riki Ishikura)

北尾 もともとこの作品は、カンパニーの10周年と重なったタイミングで上演した作品なんです。僕の振付はストリートダンスの影響を受けていて、土着的な身体性を探しながら創作活動を繰り返してきたんですけど、「ジャングル・コンクリート・ジャングル」はそれまでの創作の軌跡をたどり直し、そこからどういったものが立ち上がるかに挑戦した作品でした。“身体の生命讃歌”というキャッチフレーズを付け、小学生から四十代まで、たくさんのキャストに出演していただいたのですが、当時は翌年2020年にオリンピックが控えているという状況だったので、スポーツの祭典に先立って身体や生命を讃歌するような祭典をやろうと、そんな思いでした。初演はKAAT(神奈川芸術劇場)の大スタジオで対面客席の形で上演したのですが、今回はあうるすぽっとなので、空間が変われば上演の形も変化が生まれると思いますし、そこを今、模索しているところです。ただそれよりも大きいのは、この作品は原作などなく、あくまで自分たちの中から育まれてきた作品であるにもかかわらず、たった2年の間に外の世界が大きく変わったことで、作品が持つテーマ性とか意味合いがガラリと変わってしまったことなんです。だからまずはできるだけ初演の形をなぞりつつ、そこからどんなことが見えてくるのかを注視していきたいなと思います。

──近年、北尾さんは積極的に再演に取り組まれていますが、それはなぜですか?

北尾 ダンスって上演期間が短く、またどんどん消費摩耗されてしまう感覚があって。僕は“もったいない”精神が強いこともあり(笑)、10年の間にいろいろな人と作り上げてきた多くの“財産”を、初演時の感覚から少し距離をとって、もう一度見つめ直したいと思っているんです。

きたまりは、太田省吾「老花夜想(ノクターン)」をダンスに

──きたさんは今回、太田省吾戯曲に挑まれます。最初は2月に東京・こまばアゴラ劇場で上演予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で延期になり、今回は9月に京都で先に上演され、10月に東京・東京芸術劇場 シアターウエストで上演されます。

「あたご」より。(撮影:前谷開)
「あたご」より。(撮影:前谷開)

きた 振付プランは2月に考えていたまま変わっていませんが、劇場空間が変わったことにより、演出プランが大きく変わりました。また延期したことで2月の時点ではできなかったことができるようになったり、その逆だったりということもあります。

──太田省吾作品を、というアイデアはきたさんから生まれたものだったのでしょうか?

きた そうです。「老花夜想(ノクターン)」は大学生のときに読んでずっとやりたかった戯曲なんです。この作品は沖縄ものと言われる3部作の1つで、発表当時注目されていた沖縄返還問題のことを、沖縄という言葉を使わずに描かれている作品なんですね。同時に、人権問題にも関わる“発言できる人 / 発言できない人、表に出られる人 / 出られない人”の差なども描いている。ただ非常に難解だし、太田戯曲は書かれている内容と同時に、戯曲が持つ空気感も非常に大切なので、そういった点でも戯曲をどうやってダンスにするかがずっと手探りでした。でもようやく「もうできるかな」と思えたので、やることにしました。

──そう思うきっかけになった出来事はあったのですか?

きた この10年くらい、言葉を扱ったものや音楽を使った作品を作ってきた流れがあって、さらに2年前に「あたご」という作品を作ったとき(参照:芸術文化の視点から京都を見直す「CIRCULATION KYOTO」に中野成樹ら5組)、そのリサーチで嵯峨嵐山にある伝統芸能の嵯峨大念佛狂言を知ったんです。嵯峨狂言では言葉を全部失くして、パントマイムのように演じるんですけど、身振りに全部意味があって舞踊のようだなと思って。その手法と、これまで培ってきた私の手法を合わせれば、戯曲をダンスにすることができるんじゃないかと思いました。ただ、12人の登場人物をたった2人で演じるのが大変すぎて(笑)。まずセリフを全部覚えてから踊るんですけど、今どの役をやってるのか、すぐ混乱するんです。

ダンスと演劇、戯曲の距離

──またお三方とも演劇との距離感が近いという点でも共通点があります。演劇作品への振付や戯曲のダンス化ということに留まらず、特にストーリーを下敷きにしていないダンス作品のときも、皆さんの作品にはなぜか物語を感じるのですが、それぞれ演劇との距離やダンスとの違いについて、どのように感じていらっしゃいますか?

「ジャングル・コンクリート・ジャングル」より。(Photo by bozzo)

北尾 話が少し逸れるかもしれませんが、先ほどなぜ再演をするのかというご質問がありましたが、過去に作った作品を見直すことは、僕にとって戯曲を読み解いていく感覚と近い部分があります。また、僕自身が俳優として演劇に出演させていただいたり、お芝居に振付をさせていただくときは、カンパニーのときと違う脳が動いている感じがするんです。言葉や登場人物の背景にあるもの、さらに演出家の要望などを数学的に捉えて、身体を使って針の穴に糸を通していくというか。その一方で、戯曲などを用いないカンパニーの作品だと風呂敷をバッと広げるような感じで、「これはどうか、あれはどうか」と立ち上げていくんですね。そういう意味では、BaobabのRe:born project(参照:Baobab「アンバランス」シアタートラム公演、明日から期間限定配信)は、普段外部で振付提供させてもらっているときの脳で、Baobabの作品にあたっている感覚です。

きた 偏った意見かもしれませんが、私は前提として“演劇はここにあることをちゃんと見せるもの、ダンスはここにないものを見せるもの”だと思っていて。戯曲なり演劇なり、物語を扱うときは、その“ここ”をどう見せるかがキモだと思っています。ただその違いも、そこまで重要だとは思っていなくて。というのも以前、「We dance京都2012」や「Dance Fanfare Kyoto」を開催していた4年間で、初顔合わせの演劇の演出家とダンサーに組んでもらって、ダンス作品を創作してもらう企画をディレクションしていた時期があるんですけど、演出家それぞれに演出論・振付論があるから、やっぱり作品も全然違うものになって、すごく面白かったんですよね。そもそも何が正解ということもありませんし、作品を通して文化芸術の多様性が感じられれば、というような心持ちでやっています。

スズキ 僕はですね、実はかなり漢字が読めないんですよ。小学校2年生以降のドリルから漢字を覚えることをやめちゃったので、読むのが大変なんですよね(笑)。でも、演劇でよく“行間を読む”って言いますけど、読めなかったところとか行間を自分で勝手にダンスにするのが好きで。例えば「ぼくはあなたが好きです」ってセリフがあったとして、僕にとって「好き」が読めてるかどうかはどうでも良く、「〇〇は〇〇が〇〇です」っていう「は」とか「が」、「です」をダンスにしたいっていうか。人間と人間の間とか、漢字と漢字の間をダンスにするほうが人間らしいんじゃないかなと思うんです。なので、戯曲をやる僕なりの楽しみ方は、わからない部分を想像するとか埋めるっていう作業ですね。

──皆さん全部違うアプローチですが、どれも納得してしまいました。非常に面白いですね。

“今日的”な衝撃を、次の世代にも

──今年の「東京芸術祭」は、例年に比べてダンス作品が多くラインナップされています。「フェスティバル / トーキョー」「芸劇オータムセレクション」、としま国際アート・カルチャー都市発信プログラム、アジア舞台芸術人材育成部門(APAF)といったこれまでの多様な流れを汲む「東京芸術祭」ですが、皆さんの「東京芸術祭」のイメージや、ここでご自身の作品が上演される思いについて教えてください。

CHAiroiPLIN 踊るシェイクスピアII「TIC-TAC~ハムレット~」より。(Photo by HARU)
CHAiroiPLIN 踊る戯曲Ⅳ「BALLO~ロミオとジュリエット~」より。(撮影:福井理文)

スズキ 社交辞令とかではなく(笑)、「東京芸術祭」に一本化される前から本当にずっと観ていて、刺激や影響を受けた作品もいっぱいありますし、ずっと参加したかったので、今回参加できることがすごくうれしいです。と同時に、自分も歳を重ねたので、若い子たちに、僕が若いとき衝撃を受けたように何かから衝撃を受けて、それが新しい何かを作ってくれるきっかけになれば良いなと思っていて。だから絶対に面白いものを作らないといけないと、ってまあ、これはずっと思っていますけど改めて感じましたし、今の二十代の子たちに何かパンチを食らわせてあげないといけないんじゃないかなと勝手に責任を感じていて。自分もそういう世代になったのだなと思いますし、そういった新しい目線で作品に臨めるのが楽しみです。

北尾 「東京芸術祭」にはグローバルなイメージがあります。中でも、個人的には「F/T」へのなじみが強くあり、拓朗さんの言葉を借りるようですが僕もずっと憧れがありました。近年、「F/T」の街中でやるプログラムに参加させていただく機会はありましたが、今回は念願かなってと言いますか(笑)、Baobabとしてがっつり参加させていただけることがうれしいです。かつ、初演を観て選出していただけたことが、本当にうれしくて。冒頭でお話しそびれたんですけど、きたさんがおっしゃったように、僕もコンテンポラリーダンスという言葉への抵抗をずっと感じていたんですが、今年に入って逆に、コンテンポラリーダンスって言葉がしっくりき始めたんですよ。コンテンポラリーって、直訳すると「今日的」ってことですけど、コロナによって感じること、留めてはおけない思いや言葉がますますあふれ出るようになってきたという感覚があって。これまでは思いを作品にするとき、ちょっと体裁を整えがちだったんですけど(笑)、今やそれも整えられないくらいちょっとダダ漏れになってきてるなって。今回上演させていただく「ジャングル・コンクリート・ジャングル」も、“今日的な”という言葉がしっくりくるような作品になると思います。また、先ほど拓朗さんがおっしゃったように、僕も若い世代への思いを感じますし、今この時代、いろいろな思いを持って営みを続けている人たちに向けて、ちゃんと響く、轟くような作品になると良いなと思います。

きた 今、スズキさんと亘くんのお話を聞きながら、実は私は距離を感じていたんですけど……それは私の拠点が京都で、東京でフルレングスの作品を上演するのが初めてということもありますし、「東京芸術祭」のことを実はまだよく知らないというところもあって、ちょっと後ろめたさを感じているんです。お二人が「自分より下の世代に向けて」とおっしゃるのも、私も京都で公演するときはそういったことを考えるけれど、東京のときは具体的に誰かの顔が思い浮かぶわけではないし、考えてはいないんですね。……という“距離感”は、実際に小屋入りして上演しないことには縮まらないものだと思うんです。ただ、自分の拠点以外の場所で上演するときにいつも思っているのは、例えばご飯がおいしかったとか、その土地の良い思いだけを持ち帰ってはいけないということ。今回、私はいつになく本当に本当におかしな作品を作るんですけど、それはそれは真面目に作るので、“傷跡”というと言い方は良くないかもしれませんが、観てくださる方の中に、何か残せたらと思います。

北尾亘(キタオワタル)
1987年兵庫県生まれ、神奈川県育ち。2009年ダンスカンパニー・Baobabを旗揚げ、全作品の振付・構成・演出を担う。ダンスアーティストへ向けたフェスティバル「DANCE×Scrum!!!」を主催し、自らディレクターを務める。振付家として、舞台作品、テレビドラマ、CM、映画に多数振付を提供。ダンサー・俳優としても多くの作品に出演。俳優4人の演劇ユニット・さんぴんメンバーとしても活動。また、日本全国でダンスの普及活動にも積極的に取り組む。尚美学園大学・桜美林大学非常勤講師。ベッシー賞(ニューヨーク・ダンス&パフォーマンス賞)「OUTSTANDING PERFORMER部門」ノミネートほか、多数受賞。2021年より横浜ダンスコレクションコンペティションⅡ審査員。
きたまり
17歳より舞踏家・由良部正美の元で踊り始め、2003年より自身のダンスカンパニーであるKIKIKIKIKIKIを主宰。2006年京都造形芸術大学 映像・舞台芸術学科卒業。近年はマーラー全交響曲を振付するプロジェクトを開始し、2作目「夜の歌」で文化庁芸術祭新人賞(2016年度)を受賞。また長唄を使用し60分間ソロで見せる木ノ下歌舞伎「娘道成寺」、国指定重要無形文化財・嵯峨大念佛狂言のお囃子との共演「あたご」など、日本の伝統芸能を素材にした創作や、「We dance京都2012」「Dance Fanfare Kyoto」プログラムディレクターなど、ジャンルを越境した多岐にわたる活動を展開している。
スズキ拓朗(スズキタクロウ)
1985年、新潟県生まれ。CHAiroiPLIN主宰。第46回舞踊批評家協会新人賞、日本ダンスフォーラム賞、若手演出家コンクール最優秀賞、世田谷区芸術アワード飛翔、芸術祭新人賞など、数々の賞を獲得。コンドルズに所属し、若手エースダンサーとして活躍。NHK「みいつけた」振付・出演、「刀剣乱舞」「文豪ストレイドックス」、帝国劇場、博多座公演への振付など多数。フィリップ・ドゥクフレ作品などにも客演。城西国際大学、国際文化学園などで非常勤講師。公益財団法人セゾン文化財団シニア・フェロー。平成27年度東アジア文化交流使。

2021年10月6日更新