北尾亘×きたまり×スズキ拓朗が語る「東京芸術祭2021」|観た人に衝撃や痕跡を残す、“今日的”な作品を

「東京芸術祭2021」が9月1日に開幕する。今年は「歴史のまばたき」をテーマに、上演や配信を行う「東京芸術祭プログラム」と人材育成事業「東京芸術祭ファーム」の2本柱で行われ、「東京芸術祭プログラム」は実地と配信の2本立てとなる。また今年から、これまで「フェスティバル / トーキョー(F/T)」をはじめとする複数の事業の集合体として行われていた体制が一新され、国際芸術祭としての新たな一歩を踏み出す。

ステージナタリーでは、そんな新生「東京芸術祭」を彩る振付家・ダンサー3名に注目。Baobabの北尾亘、KIKIKIKIKIKIのきたまり、CHAiroiPLINのスズキ拓朗と、ダンス界のみならず舞台ファンに広く知られる旬な3名に、ダンスとの出会いから今回上演する作品まで、幅広く話を聞いた。

取材・文 / 熊井玲

“コンテンポラリーダンス”という言い方は、しっくり来てない

──皆さんは全員1980年代生まれで世代が近いと思いますが、これまでつながりはありましたか?

「ジャングル・コンクリート・ジャングル」より。(Photo by Riki Ishikura)

きたまり 私は、スズキさんとは初めましてです。

スズキ拓朗 どーもこんにちはー!

北尾亘 拓朗さんと僕は昔からです。拓朗さん、ご無沙汰してます!

スズキ 久しぶりー!

──きたさんと北尾さんは、木ノ下歌舞伎でのつながりもありますよね。

北尾 きたさんと最初にお会いしたのは、「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」の初期に参加させていただいたときでした。

──皆さんそれぞれ、お互いの作品をご覧になったことは?

スズキ 僕はお二人の作品とも観たことがあります。

北尾 僕もです。

きた 私はしばらくBaobabを観られてなくて、スズキさんの作品はまだ拝見したことがないです。

──今回お話いただくにあたり、皆さんのプロフィールを改めてたどったのですが、もともと表現に興味があったり、実際に活動を行われていた時期がそれぞれあって、十代の後半になってコンテンポラリーダンスを選択されていますよね。なぜダンスだったのか、という点についてお話いただけますか?

きた 私はまず、コンテンポラリーダンスという言葉が、いまだにしっくりきていません。ただ十代の終わり頃に、身体表現には大変興味を持ちました。それまで絵や服飾、音楽、カメラなど自己表現できるものをずっと求めていたんですけど、身体表現って何も持たずに身一つでできるものなので、その点に惹かれて身体表現を始めたら、いつの間にかコンテンポラリーダンスというジャンルの中に入っていたという感じです。

──最初にきたさんが踊ったのは舞踏なんですよね?

「娘道成寺」より。(撮影:井上嘉和)

きた そうですね。高校生のときは舞踏と知らずに舞踏をやっていて、周りのみんなが大野一雄さんの話をしているときに「誰のことを言ってるのかなあ」って思っていましたし、「なんでみんなゆっくり動くのかなあ」って思いながらも踊っていました(笑)。18歳のとき、当時所属していたカンパニーの一員として、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)で踊ったことがあったんですけど、同い年くらいのオーディエンスたちの前で、白塗りでゆっくりと踊る姿を晒したとき、「こんなアングラなことだけして大人になっていくのもどうかな」と感じて、ダンス以外のことも学びたいと思い、京都造形芸術大学に進学したんです。

スズキ 僕は演劇をやろうと思って桐朋学園に行ったんですが、当時学長だった蜷川幸雄さんに、「お前は体が利くから演劇よりダンスのほうがいいんじゃないか」と言われて。その頃野田秀樹さんのように身体を使う演劇が流行っていたこともあり、友達と旗揚げした劇団で、身体を使った演劇をやろうってことになったんですけど、そこで僕がダンス担当をすることになって。でも授業で習うバレエやジャズダンスは気恥ずかしいし、ダンスのことを知るにはもっとワークショップを受けてみようと思って、神楽坂のセッションハウスに出入りするようになったんです。そこでピナ・バウシュの元にいたジャン・サスポータスさんのワークショップを受けて、「ダンスってこんなことをしても良いんだ!」と思ったのがダンスに興味を持つようになったきっかけ。その後、劇団は解散したんですけど、ダンスは続けようと思って今に至るという感じです。

──では大学進学までは俳優になろうと?

スズキ そうですね。でもそもそも桐朋学園を目指したのは、またちょっと別の話で。中高時代にバスケにハマってたんですけど、けがをしてバスケができなくなってしまったんです。若いうちに夢が破れてどうしようと思っていたときに、母と一緒に舞台を観に行って、それがいわゆる教育劇だったんですけど、「演劇って教育に生かすこともできるんだ!」と思い、演劇をネットで調べたらシェイクスピアが出てきて、シェイクスピアを調べたら蜷川幸雄、蜷川幸雄を調べたら桐朋学園が出てきて、それでうっかり道を踏み外しちゃったんですよ(笑)。

一同 あははは!

──北尾さんは?

北尾 僕はもともと子役として舞台に触れ始めました。ミュージカルが中心だったので、児童劇団の基礎レッスンでダンスや歌唱、お芝居のレッスンをやってはいたんですけど、本当にほかのことを何も知らなかったので、ミュージカル俳優になると思って十代を過ごしました。高校を卒業するとき、芝居ができるミュージカル俳優になりたいと思い、進んだのが桜美林大学。それまで僕は、ミュージカルの三大要素であるお芝居・歌・ダンスでいうと、歌が好きだったんですけど、大学に行ったら「あなた、ダンスが良いじゃない」って師匠の木佐貫邦子さんに言われて。そう言われて思い返すと、それまでショーエンタテインメントに傾倒してはいたんですけど、ショーダンサーが外見的には笑顔を作りつつも内面はストイックな状態で踊っていることに、自分がしっくりきていなかったなと思って、その思いとコンテンポラリーとの出会いが重なって、どんどん足を踏み入れていったという感じです。

スズキ拓朗は、「十二夜」を通して現在の問題に踏み込む

──皆さんそれぞれ1人で踊り始めたわけではなく、さまざまな表現を試したり、誰かの影響を受けたり、仲間とカンパニーを立ち上げたりと、周囲とつながりながらクリエーションを膨らませていったんですね。そんな皆さんが、ご自身のオリジナル作品で「東京芸術祭」にそろうのが非常に楽しみです。それぞれの作品について伺いたいのですが、まずはスズキさん。今回はおどるシェイクスピアシリーズの新作「FESTƎ~十二夜~」に挑戦されます。

CHAiroiPLIN おどる小説「桜の森の満開の下」より。(Photo by HARU)

スズキ シェイクスピアの「十二夜」は演劇ファンの間では有名な作品だと思いますが、主人公が男女の双子で、彼らが生き別れちゃう話なんですね。でも実は2人とも生きていて、しかも周りは男女の双子だと知らないから話がチグハグになっていく、というシェイクスピア喜劇の王道です。その根底にあるのは、シェイクスピアの時代はすべての役を男性が演じていたということで、少年が女性の役を演じながらもさらに男装して“男性役”も演じるっていう、その入れ替わりの面白さなんですよね。ということは、自ずとジェンダーに絡んだ作品にはなっていて、今回はそういった部分にも踏み込みたいと思っています。さらに、“巡る”とか“十二”のイメージから時計を連想して、盆舞台に挑戦してみたいなとも思ってるんですけど、それはまだ相談中です。

──「ロミオとジュリエット」「ハムレット」に続き、シェイクスピアシリーズとしては3作目になります。

スズキ そうなんですよ。シェイクスピア37作品全部やるって言っちゃったんですけど、まだ3作目(笑)。1年に1作やったとしても70歳になってやっと終わるくらい。蜷川さん、よくやったなあ(笑)。


2021年10月6日更新