10月上旬、全国共同制作オペラ「愛の妙薬」の全体稽古が東京でスタートした。ステージナタリーでは稽古が始まって1週間の稽古場を取材する。
稽古場に入ってまず目を引くのは、アクティングエリア中央に構える大きなオブジェ。まだ骨組み状態の“それ”は強い存在感を放っていた。先立って行われた取材会で、「愛を象徴するものを、舞台上に配します」と杉原が語っていたけれど、なるほどこれのことかと納得した。
その日は、作品冒頭からシーンごとの稽古が行われた。村人役の合唱団ザ・オペラ・クワイアメンバーと、ダンサーとして出演者に名を連ねる福原冠、米田沙織、内海正考、水島麻理奈、井上向日葵、宮城優都がアクティングエリアに姿を現し、眠りについた状態から幕開け。一足先に目を覚ましたダンサーたちが立ち上がってオブジェを見つめていると、高野百合絵演じるアディーナが、秋本悠希演じるジャンネッタを連れてやって来て、アディーナはおもむろに本を読み始める。そんなアディーナの姿を、なんとか一目見ようと、遠くからそっと見つめている男が。宮里直樹演じるネモリーノだ。彼女に近づきたい一心で、ハイハイしながら近づいてみたり、物陰から眺めてみたり、本を覗き込もうとしたり……。そんなネモリーノの健気な様子を知ってか知らずか、アディーナは彼女を取り囲む村人たちを前に華やかな笑顔を振りまき、悠然とした立ち居振る舞いを見せるのだった。
冒頭のその数分で、宮里が共演者たちから「かわいい!」と言われている理由がすぐわかった。アディーナを見つめるネモリーノの様子が痛いほどいじらしく、アディーナの美声が力強く響き渡れば渡るほど、ネモリーノの存在が小さく見えて、思わず応援したくなってしまう。またネモリーノに寄り添うダンサーたちの存在も重要だ。今回、ダンサーたちは“愛の精霊”役を担うが、“ダンサー”と言いつつ、それぞれ俳優としても活動している面々なので、ネモリーノの仕草に細やかに反応し、物語に膨らみを与えた。
やがてそこへ、大西宇宙演じるベルコーレ軍曹が登場。胸を張り、堂々とした態度で現れたベルコーレが最初にロックオンしたのは、ネモリーノだった! 「昔、パリスがしたように」とアディーナに花束を渡し求婚しつつも、歌の要所要所でネモリーノに視線を送るベルコーレ。登場したときの勇ましさを思うと、言動がチグハグな彼の様子はどこかいじらしく、かわいい。そしてベルコーレの視線に戸惑っているネモリーノもかわいい。それほど長くはないこのシーンに、これほどいろいろなやり取りの可能性があったことに驚いた。
強烈な印象を残してベルコーレが去ったあと、煮え切らないネモリーノにすげない態度を見せるアディーナ。それまで自信に満ちた華やかな笑顔を見せていたアディーナの、揺れる気持ちが浮き彫りになる。大人の女性のように振る舞いつつも、柔らかな一面がのぞく彼女の様子は切なくて、これまた「アディーナ、かわいい!」と感じた。
続けて薬売りのドゥルカマーラ博士が、助手を従えて登場(編集注:この日はセルジオ・ヴィターレではなく、カバーキャストの後藤春馬がドゥルカマーラ博士を演じた)。ドゥルカマーラ博士は集まってきた村人たちを前に、扇情的な言動で薬を売ろうとする。このシーンでは、博士の言葉に熱狂していく村人たちの様子を、合唱団とダンサーたちがそれぞれに演じ、多彩なドラマが垣間見えて面白いので、ぜひ注目を。そして、一足遅れてその輪に入ったネモリーノは、ドゥルカマーラ博士に頼み込み、なんとか“愛の妙薬”を手に入れる。ここでも宮里が表情をくるくると変えながらネモリーノの必死な思いを熱演し、その熱心さとキュートさに稽古場から笑いが起きた。
杉原はいきいきと演じる出演者を穏やかな表情で見守りつつ、歌手の面々はもちろん、合唱団のメンバーにも声をかけながら演出をつけていった。出演者とスタッフを合わせると、かなりの大人数が稽古場に集まってはいたが、長身で明るい髪色の杉原はどこにいてもすぐにわかったし、実際、クリエーションの面でも、杉原は目指すべき点を高く指差しつつ、クリアな目線で作品を先導していた。
「愛の妙薬」開幕まであと1カ月弱。稽古はさらに深まっていく。
プロフィール
杉原邦生(スギハラクニオ)
1982年東京都生まれ、神奈川県茅ヶ崎市育ち。演出家、舞台美術家。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)映像・舞台芸術学科卒、同大学院 芸術研究科 修士課程修了。学科在籍中の2004年にプロデュース公演カンパニー・KUNIOを立ち上げ。これまでに「エンジェルス・イン・アメリカ」「ハムレット」、太田省吾「更地」などを上演。木ノ下歌舞伎には2006年から2017年まで参加し、「黒塚」「東海道四谷怪談―通し上演―」「勧進帳」などを演出。そのほか、近年の主な作品にCOCOON PRODUCTION 2022 / NINAGAWA MEMORIAL「パンドラの鐘」、ホリプロ「血の婚礼」、歌舞伎座「新・水滸伝」、KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「SHELL」、PARCO PRODUCE 2024「東京輪舞」、東京芸術劇場 Presents 木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買」、「モンスター」など。今後の演出作に、サンリオピューロランド35周年記念の新作パレード「The Quest of Wonders Parade」、木ノ下歌舞伎「勧進帳」北米ツアー、「黒百合」などが控えている。2018年度第36回京都府文化賞奨励賞受賞。
杉原邦生 Kunio Sugihara (@kuniooooooooo) | X
高野百合絵(タカノユリエ)
富山県出身。東京音楽大学及び大学院首席修了。佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2021「メリー・ウィドウ」主役ハンナ・グラヴァリ、2023「ドン・ジョヴァンニ」ドンナ・アンナ、2024「蝶々夫人」題名役のほか、小澤征爾音楽塾・子どものためのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」フィオルディリージ、東大阪市民オペラ「カルメン」題名役、九響定期「トスカ」題名役でいずれも高い評価を得ている。2025大阪・関西万博オープニングセレモニーでの「第九」、大竹しのぶ氏の語りとともに演奏されたバーンスタイン「交響曲第3番カディッシュ」のソリストなどで主要オーケストラと共演を重ねている。第19回岩城宏之音楽賞、令和7年度北日本新聞芸術選奨受賞。
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宮里直樹(ミヤサトナオキ)
東京藝術大学首席卒業。同大学院修了後、ウィーン国立音楽大学に留学。ウィーンとイタリアで研鑽を積む。オペラでは、東京芸術劇場シアターオペラ「ラ・トラヴィアータ」アルフレード、東京二期会「蝶々夫人」ピンカートン、「ファルスタッフ」フェントン、日生劇場「ラ・ボエーム」、ロドルフォ「ランメルモールのルチア」エドガルド、新国立劇場「ばらの騎士」テノール歌手、佐渡裕プロデュースオペラ「さまよえるオランダ人」エリックなどで出演。コンサートに「第九」、ロッシーニ「スターバト・マーテル」、ヴェルディ「レクイエム」など。NHK ニューイヤーコンサート、「リサイタル・ノヴァ」「クラシック倶楽部」出演。第10回グラチア音楽賞、第34回出光音楽賞受賞。二期会会員。





