「無隣館インターナショナル」が2024年12月にスタートした。「無隣館インターナショナル」は、兵庫県の江原河畔劇場が日本芸術文化振興会からのクリエイター支援基金「文化施設による高付加価値化機能強化支援事業」に採択されたことを受け、海外での活動を目指す劇作家、演出家などの育成を行っているプロジェクト。現在、キャリアの異なる19名の若手クリエイターが参加している。
本特集では、江原河畔劇場の館長で、「無隣館インターナショナル」の中核的指導者としてプロジェクトを牽引する平田オリザにインタビュー。平田が考える劇場と教育システムのあり方について話を聞いた。
取材・文 / 山﨑健太
青年団演出部から無隣館、そして「無隣館インターナショナル」へ
──「無隣館インターナショナル」は、かつての青年団演出部(編集注:2023年6月に解散。松井周、多田淳之介、岩井秀人、柴幸男、吉田小夏、工藤千夏、舘そらみ、山田百次らが名を連ねていた)や、こまばアゴラ劇場(編集注:2024年5月に閉館した、平田が支配人及び芸術監督を務めていた劇場)、江原河畔劇場で展開してきた演劇人養成塾・無隣館の延長線上にあるものだと思うのですが、「無隣館インターナショナル」は何を引き継ぎ、どのように変わっていくのでしょうか。
教育システムという意味では、僕が学長をしている芸術文化観光専門職大学でも同じことを考えながらやってきたので、まずはそこから話をしたいと思います。大前提として、演劇教育というのは国ごとにやり方が違うんですね。たとえば僕が一番多く仕事をするフランスの場合はコンセルヴァトワール(Conservatoire)という公的な芸術教育機関の確固たるシステムがある。入るための選抜の倍率が100倍以上で、選抜を受けるまでにも選抜があり、選ばれるのは1学年20人のみ。でも入ってしまえば3年間学費は無料で、生活費も受け取りながら教育を受けられる。卒業後も、アーティストとして3年ぐらい活動すれば年金がもらえるようになるので、20歳前後で一生を決めるような形になっています。
一方でアメリカでは、大学では演劇をリベラルアーツとして教えて、卒業後は自分でお金を払ってアクターズスタジオのようなところに通い、オーディションを受け続けるような形になっている。この違いを見てもフランスはエリートの国、アメリカは自由の国ですよね。国ごとの教育システムには国民性や文化が反映されていますが、演劇教育には特にそういう印象があります。
そのような前提のうえで、では日本ではどうするのかということを考えなければいけない。日本ではフランスのようなエリート型の選抜なんてすぐにはできないし、一方でアメリカ型の完全な自由競争のようなことも大学の責任としてできない。ではどうするか。芸術文化観光専門職大学の場合には、4年間かけて進路選択をきちんとできる大学を作ろうと考えました。在学中は演劇やダンスに打ち込みながら、その中で自分の才能も見極めて、演劇やダンスのプロになるのか、制作やスタッフなどの支える側になるのか、あるいはそこで得た技術や知識を生かして観光のほうに行くのか。それを1人ひとりが考えられる自立性を養っていこうというのが、芸術文化観光専門職大学を作るときに考えていたことです。
そのもとになっているのが、青年団演出部であり無隣館です。小中高と演劇教育のシステムがなく、大学での教育もシステムとしてはまだ機能していないような日本の演劇界の中で、世界で闘える演劇人を育成するにはどうすればいいかということをずっと考えてきました。そのためにはフランス型でもアメリカ型でもなく、僕はよく玉石混交と言いますけど、ある程度間口を広げておくということが必要になってくる。青年団の演出部の強みは、東京デスロックの多田淳之介やサンプルの松井周のように演出家として一線で活躍している人間がいる一方で、四国学院大学に演劇コースを作った西村和宏のように教育に携わる人間もいるところでした。演出家として一線で活躍する人間だけでなく、教育に興味があったり地域振興に興味があったり、そういう人間を適材適所で配置して、そのネットワークで青年団の演出部というのは成り立っていた。“競争と淘汰”という言い方をすると日本人はすごく嫌がるんですけど、ダーウィンの進化論と今西錦司の“棲み分け”理論の両方が入っているところが青年団の演出部が成功した理由だと思います。
無隣館も基本的には同じ理念に基づいています。無隣館では、初期段階では劇作家・演出家・俳優・スタッフとコース分けをしないで、混ざって学ぶということをしていました。そのほうがお互いが考えていることがわかるので、アメリカやカナダでは大体そういうシステムが採用されているんです。
今回は「無隣館インターナショナル」ということで、国際的に活躍できる人間の育成が目標になります。“国際的な活躍”と一口に言ってもそのためのいくつかのステップがあって、まずは翻訳字幕上演をするところから始めて、次に海外公演、そこからさらに海外の劇場からの委嘱や国際共同作業へとつながっていく。そうやって国際的に活動を展開することを目指していく中で、たとえばワークショップや教育に向いている人はそちらの方向も探る、ということをやっていく。国際的に活動を展開するのであれば、本当は制作者も一緒に育てたほうがいいんですけど、予算に限りがあるので、今回は作・演出に特化しているという点はこれまでの無隣館との大きな違いですね。
劇場でアーティストを育てるということ
──「無隣館インターナショナル」では江原河畔劇場を拠点として、アーティストを育成していくことになっています。劇場を拠点とすることの強みはどこにあると考えますか。
もともと青年団は、こまばアゴラ劇場(以下アゴラ)という民間の劇場のレジデントカンパニーとしてやってきました。もちろん専用の劇場を持っている劇団はほかにもありますが、貸し劇場でレジデントカンパニーがいるというのがアゴラの特徴だったんです。
私は劇場の役割というのは、何よりもまず、世界人類の遺産となるようなレパートリーを作っていくことだと考えています。これは世界的にはスタンダードな考え方ですが、日本の劇場にはその理念がない。だからただ作品を作って消費するだけになってしまっている。そこが最大の問題だと思うんです。国によってシステムは違いますが、日本の演劇はロングランも再演もどちらもないような経済構造になってしまっていて、劇場自体もそういうことに耐えられるシステムになっていない。これを変えていくためにも、レジデントカンパニーがいてクリエーションができる劇場であるということは重要だったんです。
同時に、青年団の俳優がいるというのは、青年団演出部や無隣館の大きな強みでもありました。日本では、小劇場の演出家はある一定の年齢までは自分より年上の俳優とは仕事をしたことがないということが起こりがちなんですけれど、青年団の俳優が使えるとなると、上の世代の俳優とも創作ができるわけですね。
青年団演出部と無隣館に共通するもう一つの強みとしては、メンバーが共通言語を持っているということが挙げられます。最初の1年は全員が僕のワークショップを受けるので、そこで共通言語を持つことができる。だから表現のスタイルは違ってもお互いの作品を観たときに、構造的な批評ができるんです。それは作品を作るときの強みでもある。ヨーロッパで仕事をしていて羨ましいのは、全員が共通言語を持っていることです。共通言語を持っている同士であればまったくのゼロから作品を作る必要はない。日本だとワークショップから始めないといけないので、それはやはり大変です。
劇場でアーティストを育成することのまた別の強みとしては、チームで闘えるということがあります。青年団演出部の頃からずっと言っているのは、こまばアゴラ劇場や無隣館は公的な資金で運営しているものなので、1人ひとりの活動は自由にやっていいけれど、チーム全体としては外部からの評価を獲得してほしいということなんです。たとえばそのために戯曲賞に積極的に応募してもらう。これを個々人でやってしまうと1人ひとりのいい悪いの評価になってしまう。でもチーム戦なら、劇場から受賞者が出たということがチーム全体の実績になり、それが助成金の獲得などにもつながっていく。そうやってチームで闘えるところが本来の劇場の強みなんです。
江原河畔劇場の場合、このような劇場としての強みを生かせるだけでなく、豊岡という地域のリソースも活用できることがさらに大きな強みとしてあります。城崎国際アートセンターや芸術文化観光専門職大学、豊岡演劇祭があり、レジデンスや教育、作品発表のための場があるのはアゴラ以上に恵まれた環境なので、その連携は十分に生かしていきたいですね。
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多様な受講生、それぞれの展開





