目まぐるしく変化していく日々、ふと非日常的な時間や空間に浸りたくなったら、“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”。2026年歌舞伎座の幕開けを飾る「壽 初春大歌舞伎」は、昼の部に「當午歳歌舞伎賑」「蜘蛛絲梓弦」「実盛物語」、夜の部に「女暫」「鬼次拍子舞」そしてラストに「女殺油地獄」がラインナップされた。
ステージナタリーでは、「女殺油地獄」で河内屋与兵衛をWキャストで勤める松本幸四郎と中村隼人に、12月南座「吉例顔見世興行」出演の合間を縫ってインタビュー。役を受け継ぎつつ、「自分なりの与兵衛を」と意気込む2人に思いを聞いた。
取材・文 / 川添史子撮影 / 平岩享
自分の中で新たな発見をしたい(幸四郎)
──12月南座の顔見世興行の幕間、現在「俊寛」丹波少将を演じている隼人さんの到着をお待ちしながら、昼の部「一條大蔵譚」を終えた幸四郎さんにお話を伺います。まずは2025年の振り返りからお願いいたします。
松本幸四郎 1月は歌舞伎座「陰陽師」「大富豪同心」という新作歌舞伎で始まり、2月の歌舞伎NEXT「朧の森に棲む鬼」博多座公演、そして「木挽町のあだ討ち」や「歌舞伎絶対続魂 幕を閉めるな」など“作る”ことが多い1年でした。お客さまに新しい作品で“伝えること”、座組みの皆さんに自分のビジョンを“伝えること”を勉強した1年でもありましたし。そして古典においても、初役で勤めさせていただいた「菅原伝授手習鑑」の菅丞相を、(片岡)仁左衛門のおじ様とのWキャストで経験させていただいたことは、僕にとってかなり大きな出来事でした。身体を通して菅丞相を感じていただく……つくづく、精神的にも体力的にも半端ではない役だとわかり、今後の役の捉え方も大きく変化したと感じます。
──菅丞相は、「じっとしていて、そう見えなくてはいけない」という一筋縄ではいかない役。現在では仁左衛門さんしか演じていなかった役を、幸四郎さんがつながれた意義も大きいです。本日伺う「女殺油地獄」の与兵衛も、2001年に仁左衛門さんから習われた役です。
幸四郎 今でこそいろいろな方が演じるようになった演目ですが、当時はこれも、おじ様以外には演じる方がいない状況でした。僕が生まれ育った高麗屋の芸とは遠いところにある役柄でしたが、知らないからこそ「やってみたい」と素直に思えた役でもありました。演じていると、自分が自分ではないような感情が動く役でもあり、出会えたことが幸せな役の一つですね。
──その後上演を重ね、2011年のル テアトル銀座公演、2014年のこんぴら歌舞伎では、「豊嶋屋逮夜の場」まで演じられました。
幸四郎 借金に追いつめられた与兵衛が、衝動的にお吉を殺害した“その後”を描く場面。あれだけ残酷な所業をしたにも関わらず、与兵衛はお吉の三十五日の逮夜(法要)に「手を合わせにきました」とシラッと殺人現場である豊嶋屋に姿を現します。そこで悪事が露見し捕まるわけですが……これ、とても理解不能な行動ですよね(笑)。ル テアトル銀座のときは、反省も後悔もしない、引っ立てられるときでさえ薄ら笑いを見せるような与兵衛として演りました。一方こんぴらでは、最後に懺悔をするという真逆のベクトルで演じてみた。どこか与兵衛に遠慮がちだった継父・徳兵衛が、息子に手を挙げて叱ることで“本当の父になる”という終わり方も、この時に加えた演出です。
──2018年には大阪松竹座でも演じ、歴代の幸四郎が演じなかった役を襲名の演目に加えたことで、“新しい幸四郎”を印象付けました。上演するたび新たな解釈を加え、進化させ、幸四郎さんを語るうえで欠かせない役に育てられています。
幸四郎 ありがたいことに初役以来何度か勤めておりますので、進化なのか蛇足なのかわかりませんが(笑)、毎回、何か自分の中で新たな発見をしたいじゃないですか。作者の近松門左衛門は信心深い方だったと聞くので、改心するのが正しいのかもしれませんが、共通するのは、良くも悪くもその時その時を真剣に生きている男であるということ。遊ぶときも、人を騙すときも、欲望のまま感情の赴くままに行動する。近松作品にはドラマがきっちりとあって、いわゆる役者で見せるのとはまた違う、作品の枠の中でいろいろな生き方ができるというのは、大きな特徴だと感じます。ですから、どれだけ深く読み込めるかが“自分の与兵衛”にたどり着く勝負どころだと考えています。
──更新される与兵衛像に、大いに期待しております。また今回は新しい歌舞伎座初の「女殺油地獄」とか。隼人さんとのWキャストですし、この作品が次の世代にもリレーされていきます。
幸四郎 そうですね。と同時に、どこまで隼人くんの前に立ちはだかり、自分が先に行けるかを考えたいとも思っていて(笑)。そのことによって役も作品も役者自身も前進できますし、そのうえでいかに経験を渡せるかです。
カツラ、音楽…計算し尽くされた演出
──とウワサをしていたら、ちょうど隼人さんが舞台を終えられました。
中村隼人 お待たせしてすみません!
──隼人さんの与兵衛は、2024年南座の「三月花形歌舞伎」での初役から、間もないタイミングでの再演です。
隼人 再び演じられることが本当にありがたいですし、お兄さんとのWキャストというのがとても光栄です。まだ十代のときに拝見したル テアトル銀座の「女殺油地獄」は自分にとって鮮烈な記憶として残っています。役者が違えば自ずと芝居も違ってくるとも思いますし、お兄さんの与兵衛からどんどん盗んでいきたいと思っています。
──歌舞伎界を代表する二枚目与兵衛を日替わりで、贅沢なひと月です。演じられた方にしかわからない、発見についても教えていただければ。
幸四郎 与兵衛がカツラを4回も掛け替えるというのは、演じてみて初めて知ったことです。一番驚いたのが「豊嶋屋油店の場」で、花道をほっかむりをしてゆっくり歩いてくる場面。頬にシケ(こめかみから短い毛が垂れている部分)がピタッとかかる形になっていて、お客様から見える髪の本数は10本程度、長さも少し短めに調整されています。数ミリの世界ですよね。この形を美しく見せるためだけのために、カツラを替えるんです。役の心理が細やかに考えられていることはもちろんですが、拵えに関しても繊細に突き詰められているお芝居なんです。
──あの横顔は本当にゾッとするほど美しいです。仁左衛門さんの工夫と美学が詰まっているのですね。
幸四郎 与兵衛の不安、恐れ、真っ暗闇のような心情を表す表現でもあるのでしょうね。
隼人 土手のケンカの場面では、川に落ちたときにも頭を掛け替えていますし……僕が驚いたのは、お吉を殺した後にお金を懐にねじ込んで逃げる場面。ただ懐に入れるだけでは途中で落ちてしまうので、中にポケットがついているんですよ。これもおじさまが何度も上演されるうちに完成していった工夫。つくづく役を教えていただけるありがたさを感じました。
幸四郎 殺しの場面でも、一つひとつの型の美しさが考え抜かれています。転ぶ動きでさえ、どこを切り取っても絵にならないといけないバランスになっている。そこにさらに義太夫が入りますので、音とも調和した表現方法になっているんです。〽打ちまく油、流るる血……ここは詞章も壮絶ですし。
隼人 義太夫の語りと三味線、お吉のうめき声、そして樽から油がドクドクとこぼれる。さまざまなサウンド設計も考え抜かれているんですよね。
幸四郎 そういえば、大阪の襲名公演で演らせていただいたときはシネマ歌舞伎の撮影もあったのですが、監督の希望で殺しの場面だけ別に撮影したんですね。その時あえて音を入れずに撮ったのですが、「すごく静かなところで行われた殺人だったんだろうな」と感じ、またこれも発見がありました。
隼人 与兵衛は真っ暗闇の中、音を頼りにお吉を探しながら殺していくわけですから、僕自身も不思議と静寂を感じる瞬間がありました。後半は月明かりが差し込んできて、獲物に狙いを定めていくように……。お吉を演じる(中村)米吉くんと相談しながら、改めてこの緊迫した場面をきちんとつくりたいと考えています。




