あらゆるものを包み込む「かわいい」というコンセプト
──「愛の妙薬」では、スペイン・バスク地方のとある村を舞台に、村一番の美人アディーナと農夫ネモリーノの恋、ベルコーレ軍曹の一目惚れ、ネモリーノが怪しい薬売りから買った“愛の妙薬”などをめぐって物語が展開します。ただ今回の「愛の妙薬」では、場所や時代を明確にしないだけでなく、ヘテロセクシャルだけに限らない愛を描く点が大きなポイントの一つとなっています。杉原さんの作品では「三人吉三廓初買」をはじめ、ジェンダーレスな存在が登場することがたびたびありますが、そのことにより、登場人物たちが背負わされた社会的な役割、作品における意味合いが問い直され、古典と現代の距離を縮めることに寄与しているのではないかと思います。
杉原 古典を演出する際にジェンダーの視点を絶対に入れようと決めているわけではなく、作品ごとにより広がりのあるものにしていきたいという思いで演出しているだけなんです。「三人吉三」ではお嬢吉三という役が女装の盗賊というある意味でジェンダーレスな存在だったので、その現代性がくっきりと伝わるように演出していきました。「勧進帳」ではトランスジェンダーの俳優を義経役に配役することで、「ボーダーライン」というテーマがより広がりを持って伝わると良いなと思いました。今回は「かわいい」というコンセプトが浮かんだときに、この登場人物たちがどうしたらかわいいと感じられるだろうか、「かわいい」という言葉は今、社会でどういうふうに受け入れられているのだろうかと考え始めました。その結果、「かわいい」という言葉は、「インクルーシブな世界にしていこう」という広い意味で使われることがあるなと気づいたんですね。アイドルたちが歌詞の中で「かわいい」と多様性を肯定することでリスナーが自己肯定感を得られたりと、「かわいい」は物事をポジティブに捉え直していく言葉として受け入れられているなと。
その視点で「愛の妙薬」を見直したとき、恋愛がテーマの作品の中で「恋愛=男:女」という構造だけでは「かわいい」と思えないなと思ったんです。それならば、この物語の中にクィア的な存在がいたらどうだろうかというアイデアがまず浮かびました。たとえば、軍曹のベルコーレの恋愛矢印はストーリー上アディーナに向かっていくわけなんですが、改めて歌詞を読み込んでいくと、1幕でベルコーレとの結婚が決まったアディーナにネモリーノが「明日まで待ってくれ」と懇願するとき、ベルコーレはけっこう辛辣な言葉をネモリーノに言っているんです。「その日出会った女性に、ベルコーレはなんでそこまでこだわるんだろう? なんでそんなにネモリーノを罵倒するんだろう」と考えていくうちに、“ベルコーレは軍曹という立場上、社会的にも男らしさをアピールしなければならない。だから、自身の感情を隠して生きているんじゃないか。本当はアディーナではなくネモリーノに一目惚れしてしまったのだけれど、ネモリーノに直接アタックできないから、アディーナとネモリーノの関係を崩そうとしているんじゃないか、だとしたら感情の振れ幅が大きくなってもおかしくないんじゃないか”……というふうに、思いの矢印が1方向ではない可能性を見つけていきました。
ただ、本当にそのような形で捉えてしまって成立するかどうかわからなかったので、まずは稽古でやってみようと思い、試してみたところ、大西さんもその解釈に賛同してくださり、非常にいきいきと演じてくださっているので、良い手応えを感じているところです。
──作品に新たなコンセプトが持ち込まれたことで、歌手の皆さんの演じ方、歌い方にも変化はあるのでしょうか。
宮里 今回影響を受ける役があるとしたらそれはベルコーレで、アディーナとネモリーノは基本的には変わらないんですよ。ネモリーノは、ベルコーレの思いに気づかずに、淡々と物語を進めていくという役割でいいのかなって。
杉原 そうですね。アディーナとネモリーノの関係性はそんなに変わらないと思います。周りの人たちの方が変化があると思います。
──これまでさまざまな「愛の妙薬」の上演を観たり演じたりしてきたお二人は、杉原演出版をどう感じますか?
宮里 面白いんじゃないでしょうか。ただプログラムによく書いてある「愛の妙薬」登場人物の相関図は、今回は書けないでしょうけど……。
一同 あははは!
宮里 僕はロジックで考えるほうですが、逆にそこが大きくずれなければ大体のものはいいんじゃないかと思うんです。だから今回も「面白いし、できるんじゃないかな」と思ってます。
高野 私も今回の役づくりは面白いなと感じています。これまで「愛の妙薬」のアディーナには、キャピキャピした女性というイメージが強く、そう演じなければいけないのかなと思っていましたが、今回はそれぞれの個性を生かしてくださっているなと思います。
高野 私、身長が高いので、舞台上では「後ろの方に立ってください」と指示されたり、男性歌手の方と共演する際には「ヒールのある靴は履かないでください」とお願いされることがよくありました。おそらく、女性を華奢でか弱い存在に見せたいという意図があるのだと思うのですが……。でも今回、邦生さんから「8cmくらいのヒールがいいんじゃない?」「むしろネモリーノとの身長差があったほうがいい」と言っていただいたんですね。その言葉を聞いて、「こう見せなきゃいけない」じゃなくて、「このままでいいんだ」と思えたんです。自分を肯定してもらえたような気がして、すごく自由に舞台に立てています。お客様がどう感じられるかはわかりませんが、私自身はそのことがとてもうれしくて、のびのびと演じさせていただいています。
──ちなみに宮里さんは過去のインタビューで「どちらかというと演じづらいのは自分に近い役。たとえばネモリーノは自分に近い役」というお話をされていました。
宮里 確かにそういう時期もありましたね。ネモリーノって本当に純粋で、信じたことをあまり深く考えず、真っ向から突き進んでいくタイプだと思います。僕もそういう猪突猛進型なので、演技しているのか素の自分なのか、ときどきわからなくなってしまうことがあるんですけど(笑)、今回は振り切って演じているのでかなり意識が違いますし、やっぱり僕はこの役が好きなんですよね。途中で気の迷いが生じて不幸な結末に陥っていく役も多い中、ネモリーノは1本筋が通った人なので、なのでネモリーノのようにありたいなという気持ちもあります。
──また杉原さんは、現代口語演劇ではない作品を演出する際、言葉の伝え方についても非常にこだわりをお持ちだと思います。古典の言い回しと現代語の塩梅、聞き取りやすいリズムなど、歌舞伎やシェイクスピア劇、ギリシャ悲劇であっても観客がスッと作品世界に入り込めるような言葉選びをされてきたと思いますが、今回はイタリア語上演ということもあり不可侵の部分かと。その点についてはどのような思いを持っていらっしゃいますか?
杉原 言葉を触れないことに対してのストレスは特になくて、それよりも言葉がわからないことのほうが大変です(笑)。稽古中によく「今(楽譜の)どこをやってるんだっけ?」となってしまうので、普段だったらすぐ台本を手放して演出するんですけど、今回は楽譜から離れられない。ただ、言葉がわからなくても皆さんの演技を見ていると感情がわかる瞬間がいっぱいあるので、そこを信じていけばいいのかなと。「なぜそう見えたのか、見えなかったのか」を判断材料に考えていったほうが豊かなんじゃないかと思っています。
宮里 福原冠さんはじめダンサーさんがよく「この歌詞ってどういう意味なんですか?」って聞いてくださるんです。そんなことも気にしてくれてるんだ、僕たちが歌っている歌詞を考えて演じているんだと思って驚きましたし、普段はそれぞれ分業という感じが強いところ、今回はみんなで一緒に作っている感じがして、本当にいいメンバーだなと思っています。
これまでの経験が生かされる現場
──作品のコンセプトを指揮のセバスティアーノ・ロッリさんに説明する際、あるいは稽古場でキャストやスタッフとやり取りされているとき、歌舞伎やシェイクスピア劇、ギリシャ悲劇、さらに今の社会状況などを織り交ぜながら、杉原さんが作品への補助線を明確に引いていく様に、これまでのご経験が総動員されている印象を受けました。
杉原 いや、本当にそうだと思いますね。シェイクスピアやギリシャ悲劇、歌舞伎をやったことで、僕は「演劇は音楽だ」ということを知ったんです。昔はもちろんサブスクもなく、コンサートにしょっちゅう行けるわけでもなく、演劇を観に行くことは耳で楽しむ部分が大きかったと思うんです。その感覚が自分の身体にも馴染んでいたから、「オペラは全編音楽です」と言われても、構造的にスッと入っていけたんじゃないかと。これまでいろいろなことをやらせていただいて、本当に良かったなと思います。
──ロッリさんとお話しする中で、影響を受けた部分はありますか?
杉原 まだそんなに長い時間お話をしたわけではないのですが、僕が演出コンセプトを説明した際にいくつか作品にまつわる情報をくださいました。印象に残っているのは、「愛の妙薬」という作品は、合唱が役を持ち始めた時代のオペラだということ。だから、「合唱の人たちがただ立って歌っているだけでなく、村人という役を持っていることが重要で、その部分の演出も楽しみにしています」とおっしゃったんですね。僕はオペラの歴史までは全然学べていないので、「そういう時代のオペラなんだ!」というのは発見で。「だったらいきいきと、それぞれ1人の登場人物として個性も出していきたいな」と思い、そのように感じられる演出にしようと思っています。
それと……まだ稽古が始まって1週間ですが、オペラ歌手の皆さんが、どことなく歌舞伎俳優さんたちに似ている感じがするんですよ。
高野・宮里 え?
杉原 雰囲気というか……あらかじめ共有されている知識がたくさんあるということがまず大きいと思います。たとえば「愛の妙薬」を何回も観ていたり、ご自分が出演したこともあったりするから、「『愛の妙薬』はこういう作品だよね」という共通認識が皆さんの中にあるし、それはほかの作品に関しても言えます。またおそらく日本のオペラ業界もそんなに広いものではないと思うから、皆さん知り合いで、その点も歌舞伎俳優さんたちと状況が近いと思います。だから僕が知っている歌舞伎俳優さんたちと「愛の妙薬」のキャストの方たちがどんどん当てはまっていく感じがして、オペラの現場なのに歌舞伎の現場の空気と似たものを感じて面白いです(笑)。
一同 あははは!
宮里 歌舞伎と言えば、10年以上前ですが、ローランド・ビリャソンという世界的に有名なテノール歌手にザルツブルクかどこかのバーで偶然出会ったことがあって、そのときに思い切って「僕も声楽をやっているんですけど……」と話しかけたことがあったんです。そのとき、彼が「僕がこの世界で一番好きなオペラは歌舞伎なんだ。あんなに感動するものはほかにない」とおっしゃっていて。本物の舞台人というのはジャンルの垣根を超えて、舞台を捉えているんだな、僕ももっと学ばなければいけないなと思ったんです。邦生さんのお話を聞きながらそれを思い出しました。
杉原 歌舞伎もオペラと捉えていらっしゃるんですね。面白いなあ!
宮里 日本の古典的なオペラという位置付けなんでしょうね。
「愛の妙薬」に新しい可能性を感じて
──全国共同制作オペラシリーズは、“独創的かつ高いレベルのオペラを新演出で制作する”ことが目標として掲げられたシリーズです。作品を通じて、新たな観客を生み出すということも重要ではないかと思いますが、高野さんと宮里さんには普段オペラしか観ない、ご自身と同世代の若いオペラファンに向けて、杉原さんには普段オペラを観ない舞台ファンに向けて、ぜひメッセージをいただけたらと思います。
宮里 プッチーニなどは舞台のことをちゃんと把握していて、そのシーンに必要な言葉をちゃんと並べている作曲家だから、ある意味演出家泣かせというか、逆に言うと決まったものをとにかくこなしていけば、成立してしまう部分があるんです。でもドニゼッティの場合、特に「愛の妙薬」は、設定も“スペインのバスク地方の、とある村”という感じでだいぶあいまいで、おそらくバスクであることに大した理由はない。特にバスクを象徴するようなセリフやエピソードも出てきませんから。つまりは“なんでもない村”っていうことなんじゃないかと僕は思っているんですけれども、そのように設定からしてあいまいだから、作品の中にも「どうしてもこれじゃなきゃいけない」というほどの何かはないんじゃないかなと思っていて。むしろ一番大事なのは、“愛の妙薬”が本当に魔法的な何かだったわけではなく、偶然と勘違いといろいろなものが重なった結果であり、それを薬の効果であるかのようにみんなが感じてしまったということであって、ネモリーノに薬を売りつけたドゥルカマーラ博士でさえ「あれ、俺本当に愛の妙薬を作っちゃったのかな?」と感じてしまうくらいの(笑)、不思議なことが起こったってことだと思うんですね。その部分は今回の上演でも変わっていないので、この作品を観て嫌な気持ちになる人はいないんじゃないかと思うんです。ジェンダーレスというコンセプトに関しても、そもそもこういうコンセプトで「愛の妙薬」を捉えて上演したことはこれまでにないことだと思うので、これを新しい試みの一つとして「こういう可能性もあるんだな」というふうに観客の皆さんにも受け入れてもらえたらなと思います。それにね、本当に普通に「登場人物がみんなかわいいな」と思って、笑ってもらえる作品になるんじゃないかと思います。
高野 宮里さんが素敵にお話くださって、その通りだと思います。私としてもお客様には純粋に楽しんで観ていただけたらと思いますし、伝統があるものに新しいテーマを持ち込んで新たに上演するということはやっていかなければいけないことだと思います。お客様にはぜひ、固定観念に縛られず、オペラはこうやって進化していくんだなと思って楽しんでいただけたらと思います。
──また先ほど高野さんのお話にもあったように、これまでとは異なる、ありのままの女性像としてアディーナが立ち上がりそうな期待感もあります。
高野 そうですね! オペラファンの方には「アディーナ役はこうだ」というイメージがあるかもしれませんが、「こういうアディーナもありかな」と広い気持ちで観てもらえたらと思いますし、私もそういった説得力がある歌を歌いたい、演技をしたいと思います。そのためにも尊敬する先輩たちのお力を借りて、がんばりたいです!
杉原 僕の友達でも、本作でオペラデビューする人がけっこういるくらい、普段演劇を観ている人でオペラも観る人って、本当に少ないと思うんです。でもオペラにしろ歌舞伎にしろ、古典には作り手としての刺激が詰まっていると思いますし、観客としても生きていくうえでのヒントや発見がたくさんあると思っているので、これを機に「演劇も観るし、オペラも観る」という人が増えてくれたらすごくうれしいです。過去に僕の作品を観たことのある方々が今回、いつもの“KUNIO節”が出ていると感じるのか、新しい一面を見出してくださるのかわかりませんが、初めて僕の演出に触れるお客様にもとにかく楽しんでいただける作品にしたいなと思っています。
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杉原邦生演出版「愛の妙薬」稽古場レポート





