森山開次・麿赤兒、プロデューサーと語る「踊る。遠野物語」石橋奨也・大久保沙耶・尾上眞秀の役への思い

K-BALLET Opto「踊る。遠野物語」が、12月の東京公演を皮切りに山形・秋田・青森・岩手・北海道で上演される。原作の柳田國男「遠野物語」は、岩手県遠野出身の佐々木喜善から聞いた話をもとにした説話集で、1910年に発表され、のちに日本の民俗学の先駆けと言われるようになった作品。今回、振付家・ダンサーの森山開次が演出・振付・構成を手がけ、とある特攻隊員と許嫁の悲恋を軸に「遠野物語」の世界に迫る。「会いたい、話したい、無性に。」と遺書に思いを書き残し、出撃した特攻隊員。やがて彼は、幻影の地・遠野をさまよい歩き……。

石橋奨也、大久保沙耶らK-BALLET TOKYOのダンサーと、麿赤兒ら舞踏家たち、そして若き歌舞伎俳優・尾上眞秀という異色の顔合わせも魅力の本作。初日まで3カ月と迫った9月下旬、森山と麿、そしてプロデューサーの髙野泰樹に本作への熱い思いを聞いた。また特集の後半では石橋、大久保、眞秀が役に対する思いなどをつづったメッセージも掲載している。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 平岩享

森山さんだったら「遠野物語」をお願いできるのではないか

──K-BALLET Optoは、「芸術がいかに社会にその価値を還元していくか」という命題に対し、今を生きる私たちが共感しうる“時代性のある新作”を届けるためにスタートした、BunkamuraとK-BALLET TOKYO(Kバレエ)による新プロジェクトです。過去3作品は、近未来感のあるものだったのに対し、4作目の「踊る。遠野物語」はかなりベクトルが違うように感じますが、どのような思いで立ち上げられた作品なのでしょうか?

髙野泰樹 確かに舞台の雰囲気や時代設定はこれまでと違いますが、根底にある思いは一貫しています。踊りには、古典バレエのような形式美だけでなく、その時代を映す“共時性”を持つ作品を通じて、社会に何を語るかという価値があると思っています。Kバレエのダンサーたちが、そうした新しいテーマに挑戦すること自体に意味がある。熊川哲也さんとBunkamuraでこのシリーズを立ち上げた理由も、まさにそこにあります。これまでの作品でも、たとえばヤングケアラーの問題など、現代社会が抱えるテーマを古典バレエの“ストーリーテリング”の手法で描いてきました。

今回「遠野物語」をやろうと思ったのは、赤坂憲雄さんの「災間に生かされて」という本との出会いがきっかけでした。あの本にある“災間”──災害の前でも後でもなく、その“あいだ”をどう生きるか──という視点がすごく印象に残ったんです。震災のあと、これだけマテリアリスティックになった社会の中で、同時に、幽霊の話や“この世ならざるもの”への感覚がふっと露わになった。あの出来事を経て、人々の無意識の奥にある“日本的な死生観”が姿を現したように感じました。そんなことを考えているうちに、自然と「遠野物語」にたどり着きました。あの本には、人と自然、生と死、見えるものと見えないものがゆるやかにつながっていて、現代人が忘れかけている“あわい”の感覚が息づいている。だから「遠野物語」を今やることは、昔話を蘇らせるというよりも、現代の僕たちが失いかけた感性をもう一度呼び起こす試みなのかなと思いました。

髙野泰樹

髙野泰樹

──森山さんにお声掛けされたきっかけは何だったのでしょうか?

髙野 この作品をお頼みするなら、森山さんしかありえないだろうとすぐに思いました。2023年にセルリアンタワー能楽堂で上演された「伝統と創造シリーズvol.13 創作舞『雨ニモマケズ』」を拝見したのですが、これは宮沢賢治の作品群をもとに森山さんが演出・振付された作品で、シテ方観世流の能楽師・津村禮次郎さんや義足のダンサー・大前光市さん、盲目の生田流箏曲家の澤村祐司さんなど多様な表現者とともに、驚くほど繊細で普遍的な舞台に仕上げられていて。特に「春と修羅」を思わせるシーンでは思わず涙が出ました。テキストがある作品をベースにしつつも、言葉を超えて、身体だけであそこまで深い世界を立ち上げる人はいない。そう感じて、ぜひご一緒したいと強く思いました。

──それを受けて、森山さんはどんなふうにお感じになったのでしょうか?

森山開次 舞踊家になってから、1つの舞台をやると不思議と次の課題が生まれてくるんです。宮沢賢治をやったときも、僕がずっとやりたかったことを温めて作品のテーマを見つけたというよりは、別の舞台に向き合っていたときに宮沢賢治というお題が降ってきた感覚で、髙野さんから「遠野物語」を、と言われたときも「今度は『遠野物語』というお題か」と。一方で、自分は日本人でありながら日本のことをあまり知らないなと感じることがあり、「遠野物語」についても作品のことはもちろん存じていましたが、自分で「遠野物語」を舞台にしようとは思っていなかったんです。今回お話をいただいて、何か導かれるような感じがしました。

──クリエーションに入る前の、「遠野物語」に対する印象はどんなものでしたか?

森山 以前は「遠野物語」に対して妖怪の本というようなイメージがありました。僕自身、「妖怪ダンサーになりたい」とずっと思ってきたのですが(笑)……というのも僕、存在しながらもそこにいないことをどう表現するかを追求してきたところがあり。役を演じるときも人間の役じゃない精霊とかコロス、黒子、後見のような役が好きですし、スポットライトを浴びて歌ったりしゃべったりすることより舞台転換中の暗転の時間がすごくしっくりくるというか、闇の狭間で何かをやっている感覚が好きなので、妖怪とか、目に見えない向こう側の何か、といった存在に自然と惹かれる部分があります。そういった“向こう側”を描いたようなお話という点で、「遠野物語」は自分が普段感じている感覚と通じる部分があるのではないかと思いました。

森山開次

森山開次

麿さんの、年輪が刻み込まれた身体に入ってほしかった

──森山さんの演出作品にはさまざまなバックボーンのパフォーマーが出演する作品が多いと思いますが、今回は特に踊りの両極とも言えるような、バレエダンサーと舞踏家が一堂に会します。麿さんにお声がけされたのはなぜですか?

森山 まず「遠野物語」をやるにあたって、「これは1人でできるものではないな」という感じを持っていました。またKバレエのダンサーの若く素晴らしい身体だけでなく、もっといろいろな身体、多様な踊り手に入っていただきたいし、年輪が刻み込まれた身体、ある意味“向こう側”に行っているような身体の方に入っていただきたいなと思って、そのとき「麿さんだ!」と。

髙野 開次さんから麿さんのお名前が挙がって、我々も即答で「ぜひ!」と(笑)。そこから麿さんのところにご相談に行きました。

──麿さんはどんなところにご興味を持ってご出演を決めたのですか?

麿赤兒 お二人が言われたように、いかにも「遠野物語」の時代を生きてきたような、そして言い伝えを実際に見聞きしてきたかのような(笑)、年齢を重ねた、骨の軋みを感じさせる身体なわけですけれども、時代的・時間的パースペクティブのある作品は僕が得意とするところですし、森山さんが言う“妖怪感”というのもよくわかるなと。妖怪ってあくまで人間の欲望などが具体性を持ったもので、でもむしろ妖怪のほうが人間を表しているんじゃないかみたいなことも感じていたので、最初に話をもらったときに非常に大きいプロジェクトだなと思いました。一方で、「遠野物語」はやっておきたかった作品でもありました。実はあまり舞台化されていないと思うし、「遠野物語」の世界にアクロバティックな展開を持ち込む森山さんの発想がすごく面白いなと思って、即答で話に乗りましたね。

麿赤兒

麿赤兒

──ちなみに森山さんと麿さんは、これまで接点は?

森山 いえ、初めてです。僕が一方的に存じ上げているだけで。

麿 僕もどこかで意識はしてましたよ。

森山 本当ですか!?

麿 テレビでもいろいろやられていたでしょ? 奮闘しているな、奮闘しながら踊っているなと思っていました。

森山 ありがとうございます!

先人たちの思いを、表現を通して受け継ぐことができたら

──「遠野物語」は119編のエピソードから成る作品です。「踊る。遠野物語」では、特攻隊員とその許嫁の物語を軸に、馬と娘の悲恋を描いたオシラサマや、生者や死者の思いが凝って出歩くオマクのエピソードなどが織り込まれるほか、座敷童子や山人、山姥、河童などが登場します。「踊る。遠野物語」という大きな器の中に、「遠野物語」のエッセンスが多数盛り込まれ、「遠野物語」を丸ごと体感するような印象を受けました。どのように作品の柱を立てていかれたのでしょうか?

森山 どうやるか、とても悩みました。ただ、まずは現地に行くことが大事だと思っていたので、1年半ぐらい前にまず遠野へ行って、そこから私たちが少しでも体感したり、感じたことを舞台にしようと思いました。遠野を訪れて、今の遠野のことと同じくらい、昔の日本、ここまで生きてきた日本を感じたんですね。実は「遠野物語」に限らずどの作品でも、僕は踊りの中で過去に1回入ってから未来に向かいたいという思いがあり、先人たちのいろいろな思いを一度自分の身体の器に入れてから踊ることが、自分自身の舞踊に対する1つのアプローチになっています。今回も、遠野でさまざまな方とお話しする中で、全119話の中から、自分がピンときたものを軸にエピソードを選んでいきました。ただ、髙野さんと話す中で、「遠野物語とはこういう物語なんだ」と言い切れるような横軸が必要ではないかと考えました。そのときに出会ったのが、遠野の在野研究者・大橋先生の言葉でした。

左から麿赤兒、森山開次。

左から麿赤兒、森山開次。

森山 先生は「遠野物語」を“オマク”と“シルマシ(兆し)”の話だと言うんです。オマクとは、生者や死者の思いが凝って形になったもの。シルマシは、その“兆し”のこと。つまり、不条理な形でいなくなった人への想いが凝縮し、人の前に幻想として現れ、それが語り継がれてきた──「遠野物語」とはそういう話なのだと。その考えを聞いているうちに、偶然、東北出身の実在した特攻隊員の絶筆に出会いました。裃をつけたような言葉のあと許嫁への本音がつづられていて、その一筆に強く胸を打たれました。もしこの特攻隊員の魂が、遠野という“生と死のあわい”が結実する土地に引き寄せられ、許嫁と再会することができたなら。そこから、この作品の物語の入口が開けていきました。

とはいえ、戦争について触れることは非常に勇気がいることなので、特攻隊員の方のお話を入れることにかなり悩みました。ただ今年が戦後80年というタイミングでもあり、80年前の戦争体験者の方がどんどんいなくなっている今、表現を通して何かを受け継いでいくことができるとすれば、それに向き合いたい、と思いました。また僕たちを巡る状況はあまりにもわちゃわちゃしていて、自分のアイデンティティがなんなのかもよくわからなくなっているところがある中、先人たちの生き様を通じて何かが感じられるきっかけやヒントがもらえるのではないかとも思いました。

知覧特攻平和会館を訪れたときの森山開次。(写真:渡邉肇)
知覧特攻平和会館を訪れたときの森山開次。(写真:渡邉肇)

知覧特攻平和会館を訪れたときの森山開次。(写真:渡邉肇)

森山 そう考えて、実際に知覧特攻平和会館を訪れ、特攻隊員だった若者たちの思いを学んでいくうちに、今の私たちとはだいぶ違う、当時の死生観というか、死との向き合い方を知るようになり、その点についても見つめ直していくことができたらいいなと思っています。