SPAC「冬の特別公演」より 笈田ヨシ&宮城聰が語る「Le Tambour de soie 綾の鼓」「夢と錯乱」、そして三島由紀夫

演劇だからこそ得られる“微かな共感”

──老人の成就しない恋を描いた「Le Tambour de soie 綾の鼓」と、文才に恵まれながらも現実の諸問題に苦しむ少年を描いた「夢と錯乱」。2作に共通するものとして、現実とは逆方向に膨らんでいく妄想やイマジネーションといったことが挙げられるかと思います。近年、プロジェクションマッピングやVRなど、非現実的な世界をリアルに体感できる技術はどんどん身近になっていますが、舞台でしか感じられないイマジネーションついて、お二人はどのようにお考えですか?

宮城 作り手が見せたいイメージを観客に見せるというメカニズムを求めるなら、生の舞台じゃなくても良いと思うんですよ。でも僕が本当に励まされる舞台芸術、観客席で観ていて「自分はこの地上にいても良いんだ」と、存在を許容されるような感覚を得られるときというのは、思いっきり泣いたとかすごいビジョンを見せられたときではなく、もっとぼんやりじわじわと「今ここにいる人がみんなで同じものを願ったよね? 一瞬だけど同じことを感じたよね?」と微かな共感を得られたときだと思います。人間はどれだけバックボーンが違っても微かに共有できるものがあると感じられたとき、そこに救いがあるんじゃないかと思うんですね。今の時代、「他人なんて理解しようがない」とか「あのグループやあの国のことは価値観が違うから理解するなんて無理だ」と考えがちですが、それを乗り越えて、なぜかお互い共有できるものが人間にはあったりする。その微かな共感は、生の舞台でしか起こらないと思います。

笈田 僕もまったくその通りのことを考えていますね。我々は誰しも家庭があり職業があり、バラバラのところに住んでいるわけですが、ある晩ある劇場に集まって、それがどんな話でもどんな演出でも良いのだけれど、とにかく舞台にいる人と客席の人たちが何らかの一体感を感じること。それは映画やYouTubeを観ても得られない、演劇でしか得られないものだと思います。ただ演劇のそのような一体感は、ファシズムに走ったりするような危険性も孕んでいるので、その危険性も含めて、我々はお客さんと演劇でしか得られない一体感をどう作っていくかが大事だと思います。

“本当の天才”を教えてくれた三島由紀夫

──9月の会見で宮城さんは、笈田さんと三島由紀夫の深い関わりについて言及され、「ヨシさんにとって三島由紀夫は若い頃の恩人、あるいは羅針盤となった人。その戯曲に取り組まれているということで、(本作は)おそらくヨシさんの人生の中でも、非常に重要で大きなお仕事だろうと思っています」とお話しされました。三島作品という点では、宮城さんも「綾の鼓」や「熱帯樹」「黒蜥蜴」などの演出をされていますが、お二人は三島作品や作家本人についてどんな印象をお持ちですか?

笈田 三島先生はつくづくすごい人だと思いますね。世の中よりもあの人の方が、何でも20年くらい早かった。例えば初めて先生が演出した「サロメ」では、先生がオーブリー・ビアズリーのサロメの絵が良いと言って、ビアズリーの絵の通りに装置や衣裳を作ったんですね。それから10年経ってビアズリーの絵がヨーロッパではやったんです。ということがほかにもいろいろありました。

本にも書きましたが、僕は人生で3人、天才に会ったと思っていて。それは杉村春子、ピーター・ブルック、三島由紀夫なんです。最近つくづく思うのは、我々役者は自分に才能があると思って、僕も芝居を始めた頃は日本一の名優になるんじゃないかと思ったりしましたが(笑)、本物の天才に出会ったおかげで自分は凡才だとしみじみ思うことができた。自分に才能があるんじゃないかというイリュージョンがまったくなくなって、だったら凡人として自分を見つめ直し、凡人として自分の職業を続けようと思ったんですね。それは先生にお会いしたおかげというか、恨みというか(笑)。でも僕は僕の道として、それで良かったんじゃないかと思うんです。自分の才能に必要以上にうぬぼれることなく、1つひとつの仕事をやらせてもらうことができた。すごく大きなことを先生から学んだんじゃないかと思います。

宮城 ご著書で書いていらっしゃいましたが、三島さんは芝居を趣味でやっているとおっしゃっていたそうで。

笈田 何度も繰り返しておっしゃっていましたね。「俺は芝居と心中するつもりはない。俺の仕事は小説だから、芝居は道楽だ」と。

宮城 「なよたけ」を書いた加藤道夫全集の中に挟み込まれた集報に三島さんが書いた文章にも「加藤道夫のように芝居に心中立てして一生を棒に振りたくない」と書かれていました。でも僕はそれを読んだとき、三島さんはよっぽど芝居が好きなんだなって思ったんです。だって、わざわざ書くということはうっかりするとそうなってしまうということですよね?

ゲオルク・トラークル作、クロード・レジ演出「夢と錯乱」(2016年)より。 ©Pascal Victor
ゲオルク・トラークル作、クロード・レジ演出「夢と錯乱」(2016年)より。 ©Pascal Victor

笈田 結局三島さんは、ご自身の戯曲のような人生をまっとうされましたよね。自分で思った筋書き通りのことを最後までやられた。あのような最期を遂げたけれど、あれも芝居であって、人間存在の魂の生き方ではないということをご存知であった。頭で考えた筋書きを人生で演じただけで彼の本当の心は別にあったんじゃないかなと僕は思います。芝居が好きで、とてつもない芝居をお書きになったけれども、それはあくまで芝居で、自分の本心の表れではなかったのかもしれないですね。ただその点については僕も共感するところがあって。パンデミックによって世の中みんなが大騒ぎして、僕も3カ月間パリから外に出てはいけないと言われましたが、その間も僕は、「これは恐怖映画みたいなものだ」と思っていたところがありました。長年役者をやっていると役と自分の二重生活が染み付いているというか、いつも“あるシチュエーションに置かれた自分”を冷静に見ているところがあり、実人生で起きたことも役者として眺める訓練ができているんですね。ですからこのような時期、嘆きたくなること、腹が立つこと、怖いこともありますが、どこか静かな気持ちでいられるのは役者を長年やってきたからだと思います。

宮城 ご著書の中でヨシさんは、かつて三島さんと理想の死に方についてもお話したとも書かれていました。

笈田 先生はどうしてそんなにいろいろな話を僕にしてくださったんだろうと思いますが、三島先生の周りには、例えば「自分の会社に何か書いてほしい」と思っている出版社の人や、「自分のために演劇を書いてほしい」と思っている俳優など、下心のある人がたくさんいたんだと思うんですね。でも僕はそこまで頭が良くないから(笑)、小説のことを先生と議論する知識もないし、先生に芝居を書いてほしいとも思わず、お会いすると馬鹿話しかしなかった(笑)。また先生と僕は8つ違いで、実はピーター・ブルックとも僕は8つ違いなんですけど、8つ年下の頭の冴えない若者に対して、先生はいわゆる作家先生の態度ではなく、友達同士のような話し方をされていました。

宮城 そうだったんですね。でもそのように胸襟を開いた状態で三島さんがお話しできた相手は、実はそんなにたくさんはいなかったのではないかという気がするのですが。

笈田 今となっては良い思い出です(笑)。

──昨年は三島没後50年で、ドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」が公開されるなど、再び三島由紀夫に注目が集まりました。

宮城 僕はあの映像を観て、三島さんの謙虚さみたいなものにびっくりしました。学生が生半可な世界認識で三島さんに食ってかかってきても、ばかにせず、学生たちの話をちゃんと聞いているんですよね。

笈田 ピーター・ブルックにせよ、三島先生にせよ、立派な方は人の言うことを非常によく聞きますね。そうして自分の創作世界を広げていく。自分の狭まった思いで器をいっぱいにするのではなく、常に空っぽにしておくことで、そこへ天からいただいたものを入れて創作の幅を広げていたのではないかと思います。

宮城 僕も本当にそう思いますね。自分自身の中にあるものは大したことがなくて、でも天がくださる恵みみたいなものがたまたまあれば良い作品になる。僕の場合は10年に一度くらい、不思議とうまくいく作品があったりします。でも三島さんは自分の中からいくらでも湧き出してくるものがあって創作していたように見えるので、その三島さんでさえ自分の器を空っぽにして人の言葉を聞くスタンスをとっていたのは、改めてすごいことだなと思います。

笈田 そうですよね。おっしゃるように三島先生はあふれ出る表現をお持ちだけれども、常にアンテナを張っていらっしゃる方だったんでしょうね。つまりそれが才能であり、また運が良いってことでもあるのでしょうけど。

宮城 そうですね(笑)。

笈田 あのドキュメンタリー映画は僕も観ましたが、東大に入って行くときの先生の雰囲気を見ると、そこで自分が殺されるかもしれないという状況なのに、表情に恐怖などがまったく感じられなくて、むしろのほほんとした様子なんです。役者としては、芝居を演じるときに登場人物の心理を解釈して、「今はこういう気持ちだからこういう表情じゃないといけない」なんて言うけど、その論理は通じないなってあの映像を観て感じました。三島先生はとにかく、家を一歩出ると敵ばかりだとおっしゃっていましたが、すごく張り詰めて生きていらっしゃったんでしょうね。

“アーティストとしての人生”が見えてくれば

──対談冒頭で宮城さんは、「冬の特別公演」の企画のベースに、“言葉と身体”という目線があるとおっしゃいました、本日の対談を踏まえて、新たにお感じになったことはありますか?

宮城 どちらの作品も、舞台に立つアーティストとしての人生が、1つの戯曲のように感じていただけるのではないかなと、ヨシさんとお話ししながら感じました。ほかの動物と人間を決定的に分けている“言葉と身体”に対して、伊藤郁女さん、美加理さん、僕、ヨシさんとそれぞれの世代の舞台芸術家が、自分という瓶の中で葛藤や闘いを繰り返しながら表現活動を続けている。それぞれの世代が“人間たるゆえん”と闘う様が作品から見えてくるのではないかと思っています。

笈田ヨシ(オイダヨシ)
1933年、兵庫県神戸市生まれ。慶応義塾大学で哲学の修士号を取得。テレビ、映画、現代劇で活躍し、三島由紀夫とも仕事をする。1968年、ジャン=ルイ・バローに招かれてフランスに渡り、1970年にピーター・ブルックが設立した国際演劇研究センター(CIRT)に参加。その後、ブッフ・デュ・ノール劇場で「マハーバーラタ」「テンペスト」「ザ・マン・フー」など主要な公演に参加した。1975年からは演劇、オペラ、ダンスの演出も数多く手がける。主な著書に「俳優漂流」「見えない俳優―人間存在の神秘を探る旅」など。近年の日本での主な舞台に「春琴 Shun-kin」、渋谷・コクーン歌舞伎 第14弾「三人吉三」、「2018 PARCO PRODUCE “三島×MISHIMA”『豊饒の海』」ほか。1992年にフランス芸術文化勲章シュヴァリエ、2007年に同オフィシエ、2013年に同コマンドゥールを受勲。
宮城聰(ミヤギサトシ)
1959年、東京都生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京大学で小田島雄志、渡邊守章、日高八郎各師から演劇論を学び、1990年にク・ナウカを旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出で国内外から評価を得る。2007年4月、SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を切り取った作品を次々と招聘し、“世界を見る窓”としての劇場作りに力を注いでいる。2014年7月にアビニョン演劇祭から招聘された「マハーバーラタ」の成功を受け、2017年に「アンティゴネ」を同演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演した。なお「アンティゴネ」は2019年9・10月に「Japan 2019」の公式企画としてニューヨークのパーク・アべニュー・アーモリーで上演され1万人以上を動員した。2006年から2017年までAPAF(アジア舞台芸術祭)のプロデューサー、2018年より東京芸術祭総合ディレクターを務める。平成29年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2019年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。

2021年12月9日更新