2025年11月6日から9日にかけて、東京の座・高円寺を中心に、街ぐるみで「手話のまち 東京国際ろう芸術祭2025」が開催される。
「手話のまち 東京国際ろう芸術祭2025」は、ろう者で映画作家・演出家の牧原依里が仕掛ける、国境・言語・文化を超えた、ろう芸術の祭典。会期中には、牧原をはじめとするろう者たちがキュレーションした国内外のろう芸術の作品が集結し、ろう者・聴者の隔てなく、ろう芸術に触れることができる。
2025年11月には“きこえない・きこえにくい人のためのオリンピック”、東京2025デフリンピックが控え、ろう文化・ろう芸術に対する関心が高まりつつある昨今、ステージナタリーでは牧原に、東京2025デフリンピックと同時期に開催されるろう芸術祭「手話のまち」への思いを聞いた。
取材・文 / 大滝知里撮影 / 平岩享取材協力 / NPO法人劇場創造ネットワーク
コロナ禍後に感じた、ろうの俳優たちの盛り上がり
──今回、日本初開催となる、ろう者主導の芸術祭「手話のまち 東京国際ろう芸術祭2025」(以下「手話のまち」)で、牧原さんは総合ディレクションを務めます。本芸術祭の前身は、2017年より隔年で開催されていた「東京国際ろう映画祭」ですが、映画祭が芸術祭に形を変えて展開することになった経緯を教えてください。
「東京国際ろう映画祭」は渋谷のユーロライブで始めたもので、コロナ禍での休止を乗り越えて、今まで継続してきました。今年の11月に東京2025デフリンピックが開催されますが、それをきっかけに、「東京国際ろう映画祭」を“芸術祭”として幅広く展開したいという思いがあったんです。
映画祭から芸術祭へと広げた理由は、2019年にフランスのろう芸術祭「クランドゥイユ(Clin d'Oeil)」に参加して、手話話者が作り上げる世界そのものを体感したからでした。ろう者による芸術には、映画・演劇・パフォーマンスといったそれぞれの表現だからこそ生まれる独自の視座や新しい表現があることを改めて実感したんです。また日本には、ほかの国にはない面白いコンテンツや今まで育んできたろう演劇の歴史がある。“デフリンピックイヤー”という今年のタイミングで、日本から発信するろう芸術祭を開催したいと思いました。
──フランスのろう芸術祭「クランドゥイユ(Clin d'Oeil)」では、ろう者同士、またはろう者と聴者が国や文化を超えてコミュニケートされている様子にも感動されたそうですね。国によって、使われる手話は違うんですか?
はい、音声言語が国ごとに異なるように、手話言語(編集注:各国のろう者コミュニティの中で自然に発達した言語の1つ。日本手話、韓国手話、アメリカ手話、デンマーク手話など、国や地域によって体系が異なるが、それらの各国の手話を総括する用語として“手話言語”が使われる)もまた国ごとに異なります。さらに、異なる国のろう者が意思疎通するために各国の手話をもとにした、簡略化されたコミュニケーションツール“国際手話”というものも存在します。今回のろう芸術祭では、演劇やパフォーマンス、映画などを含めて15カ国以上のろう者のアーティストたちが来られるので、さまざまな国の手話が観られる機会にもなります。
──手話言語の面白さはどのようなところにあるのでしょうか?
ろう芸術としての面白さにも共通するのですが、音声言語では、イメージそのものを“当てはめられたラベル”に落とし込む特徴がある一方、手話言語では身体や記憶、視覚が国境を超えてつながり、それ自体が“身体という言語”になります。そのため、国によって異なる手話であっても、どこかしら共通する動きがあり、それがろう芸術の1つとして生まれています。例えば“水が動く”という感覚は、人間という共通の身体を持っている以上、誰にとっても似た感覚であり、その表現も似通ってきます。手話は言葉の“ラベル”に縛られず、より広い表現として共有できる──そこに手話言語を取り入れたろう芸術の大きな強みがあるのだと考えています。
──牧原さんが考える、ろう芸術の魅力について教えてください。
ろう芸術には、映画や演劇、現代アートなどさまざまなジャンルがありますが、例えばろう演劇の分野では、ビジュアル・ヴァナキュラー(Visual Vernacular / VV)と呼ばれる視覚的な表現手法があります。これは約50年前にアメリカやヨーロッパから広まったもので、映画的な視覚表現を取り込んだ舞台言語として発展してきました。手話を知らない人でも花が咲く様子や風が吹く感覚をイメージできるように、身体と視覚を使った直感的な手話表現がアートになっていったんです。日本ではこのVVが派生し、サインマイム(手話とマイムを融合させた表現)や手話ポエムといった独自のスタイルとしても発展してきました。ろう芸術の大きな魅力は、手話や視覚的感覚をベースにしながら、誰もが直感的に楽しめる表現を生み出せることです。つまり、ろう芸術は“言葉の壁を越えて伝わる普遍性”と“手話だからこそ生まれる独自性”の両方を兼ね備えている点が魅力といえます。
ろう者たちによる新しい表現と出会ってほしい
──今回のろう芸術祭のラインナップは、どのようなことを核として選ばれたのでしょうか?
私は、手話は空間言語だと捉えています。ろうの演劇については、アメリカ、ヨーロッパ、日本などでそれぞれ脈々と続く歴史があって、聴者にとって舞台に適した発声、動きがあるように、ろう者も試行錯誤を繰り返しながら舞台ならではの手話の表現、動き、形などを培ってきました。その中に、“手話の中の非言語的表現”というものがあります。“手話の中の非言語的表現”は、音声に支配されないろう者の身体から生み出すもの、とでも言うのでしょうか。お客さんと舞台上の俳優の呼吸やテンポが混ざり合い、リアルタイムで生まれる空間を皆さんにぜひ体感してもらいたいです。映画では“ろう”だからこその新しい表現が詰まったユニークな作品が集まっています。視覚を含め、聴覚や音声で世界を捉えている方々にとって、それはきっと、新しい表現との出会いになるのではないかと思っています。ですので、総合ディレクターとしてラインナップを考える際も、聴文化の作品を手話に単に翻訳した作品ではなく、“ろう”そのものの新しいアプローチが生まれている作品を重心的に選びました。
──ラインナップの中でも、牧原さんが舞台ファンにおすすめしたい作品は何ですか?
すべておすすめなんですが、個人的に注目したい作品は、「オン・ザ・エッジ」(デンマーク)です。2023年にフランスのろう芸術祭に行ったときに観た作品で、デンマークのTeater5005という劇団が制作しています。デンマークの劇団でろう者のボー・ホーデル、ラグナ・ヒューセ、聴者のオーレリアン・マンシノの3名が共同で運営しているんですが、この作品には作り手にデンマーク以外の国の人が多数参加しています。出演者のオリヴィエ・カルカダさんは、もともとVVの表現者としても活動されている方で、VVの講師などもされています。とにかく演技力が抜群で、一瞬で魅了されてしまいました。オリヴィエさんの表現力は必見です!
高円寺はろう芸術にもゆかりがある、開かれた地域
──会期中は、高円寺の商店街などを巻き込んで、人々との交流が生まれる企画もたくさん開催されます。「手話のまち」の初回に高円寺を拠点にした理由は何でしょうか?
杉並区は文化人がたくさん集まる場所で、日本のろう芸術のパイオニアとされる故米内山明宏さんも杉並区で活動されていました。米内山さんは日本のろう芸術に貢献された方なので、ぜひ杉並区でやりたいという思いがありました。今回、「マーク・オブ・ウーマン」という作品を上演するパフォーマーの南村千里さんも杉並区生まれですし、イマーシブシアター「交差」を手がける異言語Lab.の菊永ふみさんも杉並区出身。不思議なつながりですが、杉並区には文化的な関わりを持つろう者がたくさんいる地域なんです。
──また、座・高円寺がまるっと「手話のまち」の演目で埋め尽くされる、ぜいたくな期間でもありますね。
そうですね。民間がすべてのホールを貸し切ることは、阿波おどり以外では初めてなんじゃないかと思います(笑)。いくつもホールを持つ劇場で、1つのホールを貸し切って行う芸術祭では、同時期に別のホールで聴者による音声言語の作品がかかることになります。けれど私は、ろう芸術を観終わったあとに、ロビーや劇場外で手話で語り合ったり、手話が生まれる空間での体感が継続したりすることが大事だと思っていて。“座・高円寺全体を手話のまちにする”ことに意味があり、そこでは音声言語での語り合いにはない感覚や、聴者への新たな体験提供があるということを、座・高円寺芸術監督にシライケイタさんにお伝えしたところ、快く私の意図を汲んでくださいました。共催でもある杉並区もちょうど、手話言語条例(編集注:手話は言語であるという認識のもと、手話に対する理解促進や手話の普及啓発、使用する環境の構築といった基本理念を定め、誰もが安心して暮らすことができる共生社会の実現を目指す条例)が2023年4月に可決したのもあり、手話に対して積極的にご協力いただける環境にあります。杉並区、座・高円寺、私たちの三者で盛り上げていきたいです。
「手話のまち」ではありのままのろう芸術を
──今回は、国内外の映画作品、舞台作品に加え、無料のイベントやトークショー、レクチャーなど総合的にろうの芸術に触れられる機会となります。
1回目の開催となるので、お客さんがよくわからないものにお金を出すことへのハードルを下げたいと思ったんです。まずはきっかけ作りに、無料のイベントにお試し気分で参加して、偶然の出会いを提供したいなと。“ろう芸術祭”とうたっているので、聴者が「私は行ってもいいのだろうか」と躊躇するような、ハードルが高いものにはしたくなかった。ふらっと訪れた先に偶然の出会いがあるような仕組みを作ろうと思いました。
身体と視覚言語から成る世界に飛び込んで
──「手話のまち」はさまざまなコミュニケーションが生まれる芸術祭となりそうです。総合ディレクターの立場として、観客または参加者には「手話のまち」での体験から、どのようなことを受け取ってもらいたいですか?
まずは、ろう文化やろう芸術があるということを知ってもらえたらうれしいです。さらにその面白さにも気づいてほしい。私は、ろう者と聴者それぞれの文化を無理やり1つにはしたくはないんですね。お互いの文化・芸術を知って経験することも、面白い文化経験の1つ。ろう者・聴者に関係なく、今回の「手話のまち」を観て、知って、こんな世界があるんだと面白く感じていただけたら。私たちが表現する芸術は、聴者による音声言語だけの作品とはまた違う、身体と視覚言語から成る世界で、そのような世界を体験できるいい機会になればと思います。ぜひ、もう1つの国に飛び込むイメージで、ご来場いただけたらうれしいですね。
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ディレクター・牧原依里がオススメを解説