新国立劇場シリーズ「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」 小川絵梨子×桑原裕子×五戸真理枝 座談会|言葉の、裏も奥も先も見つめて描くこと

「新国立劇場 演劇 2021 / 2022シーズン」では、シリーズ「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」を展開。1人では導き出せない何かに到達するための“議論”を問う本シリーズでは、4月に小川絵梨子芸術監督がアニー・ベイカー作「アンチポデス」、5月に新国立劇場初登場の桑原裕子がケネス・ロナーガン作「ロビー・ヒーロー」、6月に「どん底」(2019年)に続けて新国立劇場に登場する五戸真理枝がフリードリヒ・デュレンマット作「貴婦人の来訪」を手がける。

SNSなどを通じてさまざまな言葉があふれ出す今、戯曲の言葉から演劇を立ち上げて来た演出家たちは、言葉の裏や奥、先をどのように見つめているのか。その目線の先を追う。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 祭貴義道

コロナと対峙した、それぞれの1年

──小川さんは「SNSを含めて個人が発言しやすくなっている状況の中で、自分が発した言葉は意見なのか、感想なのか、批判なのか、議論なのか、愚痴のようなものなのか、何かを変えたくて述べようとした言葉なのか、どういう性質を持った発言なのかを今一度考えたいと思って、「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」というタイトルを決めたそうですね。また、コロナによって演劇をはじめとするエンタテインメントは、中止や延期といった具体的な打撃と共に、“不要不急”という厳しい目線にどう向き合っていくかという問題に直面しました。皆さん、この2年を振り返ってどんな印象が残っていますか。

左から小川絵梨子、桑原裕子、五戸真理枝。

五戸真理枝 コロナのことが問題になり始めた頃、私は所属する文学座の公演準備中で、稽古の佳境に差し掛かっていました(参照:鵜山仁監修「岸田國士フェスティバル」に、豪華トークゲスト&面白企画がそろい踏み)。緊急事態宣言が出るんじゃないか、やはり公演を中止しなきゃいけないんじゃないかと言われる中、3本立ての公演だったのですが、「ここまで作ってきたものを上演しないと行き場がない。突き進むしかない」という考えと「感染症が蔓延しているときにお客さんを呼ぶのは非常識ではないか」という考えの両方があり、個人によって危険を感じる度合いが違って……結局、公演をやるかどうか会議をし、中止を決めたのですが、そのあとで緊急事態宣言が発令されたので、結果的には続行しようとしてもできなかった、という状況でした。でも今思うと、その頃って都内の感染者が300人を超えたかどうかくらいだったんですよね。その後300人を超えていても、しっかりと感染対策を行いながら公演を継続できるようになりましたし、社会はどんどん変化していくんだな、人間社会の適応能力ってけっこう高いんだなと感じたりもしています。演劇を含めて、“不要不急“という言葉で切り捨てられるものはないんだ、という考え方も、反動によって生まれてきているようにも感じます。

桑原裕子 最初にコロナの影響を受けたのは一昨年の2月に上演した「往転(オウテン)」(参照:つまずき転んでも“生きて往く”、KAKUTA桑原裕子が時代映す「往転」)という舞台の公演中で、あと数日で千穐楽というときにイベント自粛要請が出たんです。そのときは劇場のキャパシティ的に中止の対象にはならなかったので、なんとかギリギリ千穐楽までやらせていただいたんですが、やはりキャンセルは相次ぎました。その年の秋のKAKUTA本公演(参照:“KAKUTAにしかできないこと”を詰め込み出発、渡辺えり主演「ひとよ」幕開け)は、ちょっと感染が落ち着いたタイミングだったこともあり、全公演上演できました。ただ5月に予定していた若手公演は中止になって……。急にやることがなくなったうえに、外にも出られないし、バイトも辞めさせられちゃうし、っていう若手劇団員たちの行き場のなさや鬱屈がすごくて、本当に心配しました。それでなんとか自分たちの気を紛らわせようと、読み合わせをオンライン配信してみたりしたんですけど(参照:KAKUTA“リモート読み合わせ遊び”第2弾、「彼の地」を本日19時からライブ放送)、そうやってなんとかつないだ感じがありましたね。

そのつらかった頃、政府の対応に私も思うことがあって、「これは自分が声を上げなきゃいけないんじゃないか」「正しいと思ったことは発言すべきだ!」と思ったんですね。でも日に日にSNSでのやり取りが激化していくのを見て、疑問に感じるようになってきて。例えば人を傷つけるようなことを言ってしまった人があとでそれを謝ったとしても、「お前が悪い」「間違ってる」と、その人が立ち直れなくなるほど、周囲が完膚なきまで叩きのめすような状況、その“正しい声”の大きさにだんだん怖くなってきちゃったんです。と同時に、「これって自分がやろうとしてたこととあまり変わらないんじゃないか」と気付かされて。そんなときに小川さんからこのシリーズのお話を伺い、まさしく今考えていることだったので「ああ、小川さん!」と思いました。

小川絵梨子 (笑)。ありがとうございます。新国立劇場は、2020年4月にフルオーディション企画を上演予定でしたが、緊急事態宣言が出る前から、公演が本当にやれるのかどうか、どんな対策をすれば公演が実施できるかについて話し合っていました。最初はコロナに対するガイドラインなどもなかったので、スタッフそれぞれが、キャストとお客様、そして自分たちの安全をどう守っていくか、考えるところから始まったんです。ただ新国立劇場のように組織が大きいと、自分1人だけでは動かすことができないこともありますし、対策として「このやり方が合っているのかどうか」さえわからないことも多くて、とにかく「作品をやりたい」「安全を守りたい」という両方の思いを持って日々動いていました。そのときはとてつもない不安に駆られましたが、今はそれに比べれば、マスク着用のルールや手指消毒の手順など、だいぶ状況が見えてきました。

桑原 本当にそうですね。

五戸 (大きくうなずく)

小川絵梨子

小川 その後、劇場向けのコロナ対策に関するガイドラインができ、劇場ごとにさらに細かなことを考えていくことになりました。例えば稽古場は土足で良いのか、稽古場に入って良いのは誰までなのか、稽古場のどこを歩いて良いのかとか、プロデューサーや制作のスタッフと話し合いながら決めていきましたね。また私個人も予定されていた公演が中止となりました。プロデューサーの方があまりにも悔しそうで、ここまでずっと準備してきたという思いと、その頃は公演中止に伴う補償もまだ見えていなかったので負債に対する不安で、私も胸が痛かったです。その後、いよいよ劇場再開となったときに、今度は「お客様はいらしてくれるだろうか」という思いで不安になり……。

──再開後の2020年夏に「イヌビト」(参照:長塚圭史・近藤良平・首藤康之・松たか子の顔合わせ、最新作「イヌビト~犬人~」)の観劇で新国立劇場に来て、劇場の入り口に小川さんが立って、来場者にあいさつされていたことに驚きました。

小川 「こんな中も来てくださるんだ!」と、お客様の様子を見て泣きました。お子さんを連れて来てくださった方もいて、すごくうれしかったです。

意見の伝え方を考える

──ラインナップやテーマについては数年前から決めていらっしゃると、以前小川さんに伺いました。SNSでの誹謗中傷が社会問題となっている現在、新シリーズのタイトルは非常にタイムリーに感じますが、今回のテーマも数年前から考えられていたのでしょうか?

桑原裕子

小川 ええ、ずっと考えていたことです。コロナ以前から、特に匿名性の高い発言の在り方、ともすると誹謗中傷と捉えられてしまうものの度が過ぎるなって感じていて、それがこの1年でより顕在化したのではないかなと。自分自身がネガティブな人間なので、どれだけ褒められても1つ悪いことを言われたらそこだけ妙に気になってしまうんですけど……って、桑原さんもきっと一緒ですよね?

桑原 一緒です! 私もすごく気になっちゃう。

小川 まだお会いして3回目くらいなんですけど、なんとなくわかります(笑)。だからそのことで壊れてしまったり、潰れてしまったり、その人の人生を動かすようなことが起きてしまうのはすごく怖いなとずっと思っているんですけど、SNSなどでは「人の思いが洪水のようにあふれてる!」と感じることがあって……。私はアメリカにいたものですから、“I think”“I feel”というように「私は~だと思う」という言い方に慣れているんですね。でも日本語では、井上ひさしさんが書いていらっしゃいましたが、“私”という言葉をあまり使わないので、何か意見を言おうとしたときに、それが断定的に聞こえやすかったり、みんなの意見を包括した発言のように聞こえやすかったりするのかもしれないなって。もちろん発言すること自体は素晴らしいことだと思うんですけれど、「私はこう思うよ」と伝え方に注意するようにしています。

人間の本質が赤裸々に描かれる「貴婦人の来訪」

──今回は、テーマを軸にまず作品を決め、そこから演出家を考えていかれたのでしょうか?

小川 ええ。これまでは、お願いしたいと思っている演出家の方に「こういうテーマなんですが、何か好きな戯曲はありますか?」とお聞きして作品を決めていったのですが、今回はテーマ推しでいきたい、という思いがあったのと、こんな“謎”なテーマを渡されても、皆さん困るだろうなと思って(笑)。で、自粛期間中にいろいろな戯曲を読んで、ピンと来た作品を選び、「この作品は桑原さん、あの作品は五戸さんがやってくださったら良いな」と思って、それぞれにご相談しました。

──2021年のラインナップ記者会見で小川さんは、シリーズ3作品の中で、「貴婦人の来訪」が一番最初にピンと来た作品、とおっしゃっていました。1956年に初演された本作は、スイスの作家フリードリヒ・デュレンマットの作品で、貧困にあえぐ町に帰郷した大富豪のクレール・ツァハナシアン夫人が、大金を寄付する代わりに、かつての恋人を死刑にしてほしいと町の人に条件を出す、というスリリングな物語です。

小川 「貴婦人の来訪」は、今回のテーマにすごくぴったりのお話だと思ったんです。でも劇場のプロデューサーたちから「難しいのでは」とか「ストレートすぎるのでは」という意見があったので、別の候補も考えていて。ところが残念ながらそちらは版権が取れなかったので、初心に返って「貴婦人の来訪」に決め、同時に「これはぜひ五戸さんにお願いしたいな」と。

五戸真理枝

五戸 面白い作品だなと思いました。「貴婦人の来訪」は、登場人物が30人くらい出てくる作品で、主役の2人と、2人を取り巻く町の人たちがたくさん出てきます。だからわらわら出てくる町の人たちの状況までを理解するのが最初は大変だったんですけど(笑)、読み終わったらすごく面白いなと感じて。人間の偽りのない姿が、赤裸々に描かれていて、全編を通して人間が批判されっぱなしなのですが、そこにゾクゾクするというか。「小川さんの演出で観たいな」って思ったんですけど、私が演出させていただくことになりました。

小川 お願いいたします(笑)。でも本当に、怖い作品ですよね。

五戸 はい。あまりに赤裸々すぎて、「人間なんて最低な生き物だ」とぶったぎられるような感じがするんですけど、クレールの抱いている強い恨みは、恋心や、愛情に進化する可能性があった、温かい心情が変質したもので、その変化の仕方が読んでて悲嘆にくれちゃうほどダイナミックだなって。この作品の強烈な人間批判の裏側には、巨大な人類愛が潜んでいる気がしています……と、これがただの私の願望じゃないと良いなと思っています。

──五戸さんが新国立劇場で演出された「どん底」(参照:五戸真理枝「生きていく魅力を確かめたい」、「ことぜん」第1弾「どん底」開幕)は、高架下で暮らすホームレスたちという大胆な設定に驚きました。「貴婦人の来訪」については現在、どのようなイメージをお持ちですか?

五戸 「貴婦人の来訪」は、ト書きに“俳優が木を演じる”など、普通に上演することを拒むようなことが書かれています。私には、リアリズムの手法で書かれた戯曲であっても、素直にリアリズムな世界観で上演する道を避けようとしてしまう性癖があるので、そういう意味ではちょっと気楽です(笑)。考え方が似てるじゃん、みたいな。でも「どん底」とはまた違うやり方をしないと、作者のデュレンマット氏の意図は汲みきれないのかなって。デュレンマット氏に負けないくらい演劇的な表現の飛躍の可能性を考えないといけないと思います。

小川 頼もしい!