“小さな声”を聞く、「ロビー・ヒーロー」
──桑原さんは、ケネス・ロナーガン作「ロビー・ヒーロー」を演出されます。ロビーの警備員・ジェフが思わず口を滑らせてしまったことから始まるトラブルを描いた作品で、2001年にアメリカで初演、日本では今回が初めての上演となります。そもそも小川さんと桑原さんは、これまでどんなつながりがあったのですか?
実は今回が初めましてです。ただ小川さんのことはもちろん存じていて、とある稽古場の休憩所で、小川さんが俳優さんたちと真剣に作品についてお話しされているのをお見かけしたり……。
小川 わ、そうでしたか!(笑)
女性劇作家たちの「女々しき力」序章に、渡辺えり「演劇を通して夢と勇気を」)で、実はそこで小川さんにもシンポジウムなどに参加していただきたいとお話していたのですが、結局、新型コロナウイルスの影響で一昨年は“序章”という形になってしまって……。
また2020年に、渡辺えりさんを軸にした女性劇作家たちによる「女々しき力」プロジェクトをやる予定(参照:小川 そうなんですよね。共通の知り合いもいたりするので、ずっとお会いしたいと思っていました。
私もです。
──そうだったんですね。では今回、小川さんが桑原さんに「ロビー・ヒーロー」を託されたのはどんな思いからだったのですか?
小川 まず台本が面白いなと思ったんですね。登場人物の中に誰も悪い人がいないんです……って言ったら変なんですけど、ひねくれていたり難しい人だったりはするんだけれど、その深層には愛情がある。そういった部分をちゃんと引き出してくれる人に演出してほしいと思いました。今回のシリーズ3作品全部に言えることなんですけど、「みんながそれぞれ最善を尽くし、みんながそれぞれに葛藤している」という姿をちゃんと描かないと、見えてこないテーマだと思うんです。それを桑原さんだったら見せてくださるんじゃないかと強く思いました。温かい人、繊細なところまでちゃんと人を見ている人なら、この作品の“人間”を立ち上げてくださるだろうと。
私は、自分が書くものもそうですが、清濁混合というか、白黒はっきりしないグレーなものが好きで、それが見たいと思うんです。でも近年、作品に求められるものがちょっと変わってきていて、「今回は笑えるものでお願いします!」というように、ハッキリしたものを求められているなって感じていて。その点、「ロビー・ヒーロー」の登場人物たちは、みんな良い人なんだけどみんなダメ、っていう両面を持った人たちなんですね。しかも“声が小さい人たちの話”というところにもすごく惹かれました。人種や性別など立場的な声の小ささもありますが、彼らは「自分がこういう発言をしてもわかってもらえないんじゃないか」とどこかで思っている。今、その小さい声の人たちの声が、偉い人たちが間違っていることでも大きな声で正しいことにしてしまうせいで、より小さくなっている感じがして。でもそんな中でも前に進むこと、もがくことに意味があるんじゃないか……ということが「ロビー・ヒーロー」には描かれている気がします。なので、何が正しいかということよりも、“もがきの輝き”みたいなものを描きたいなと。
小川 素敵! お話を聞いているだけでワクワクします。
(笑)。ただ、今回はキャストが4人と少ないですし、翻訳劇の演出経験もあまりないので、いろいろな意味で挑戦だと思ってはいます。
言葉で描けないものを描く「アンチポデス」
──小川さんは、シリーズの第1弾として、日本初演となる「アンチポデス」に挑まれます。会議室に集められた8人が、物語を生み出すために話し合いを続けるという、アメリカの劇作家アニー・ベイカーの作品です。
小川 「物語ってなんだ?」というようなお話で、起承転結がありカタルシスがある、というような作品ではありません。作者のアニー・ベイカーはまだ三十代後半と若手で、アメリカの演劇界を変えようとするような、勢いのある気鋭の作家。でもアメリカで初演されたときは、長いうえに特に何も起こらない作品なので、客席の半分が帰ったそうです(笑)。私は、アメリカにいたときは彼女の作品を観ていないのですが、新国立劇場で上演されたピュリツァー賞受賞作「フリック」(マキノノゾミ演出)を観てピンときて、「アンチポデス」を読みました。
「アンチポデス」では、会議室の中で8人がずっと何かを話しているのですが、それが何の企画のための会議なのかはわからないんです。私のイメージではNetflixのような会社の会議室なのかな? 誰も観たことがないような新しい物語を生み出さないといけなくて、それぞれモンスターの話をしてみたり、抽象的なことを語ってみたり、自分の個人的な話をシェアしてみたり……。でも自分が本当に大事にしている話って、起承転結がなくて単なる心象風景だったり、話の到達点がなくてフワッとしていたりするので、結局どこにもいかないまま、物語が終わっていくんです。そういった説明できないもの、置きどころのなさみたいなものを、この作品では描いているのかなって。また日常の会話をそのまま切り取ったかのようにセリフが描かれていて、言葉にならないコミュニケーションを見せようとしているのが面白いと思うので、稽古では、役者さんたちと言葉の裏側やコミュニケーションを一緒に考えつつ作っていきたいです。またそうじゃないと本当に何もない作品になってしまうかもしれないので(笑)、挑戦だと思っています。そして、3作品の中で「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話…の物語」というテーマと直接的なお話に感じにくいかもしれませんが、どこまでこのテーマの視点に沿って立ち上げていくのか、そこもまた大きな挑戦です。
戯曲に書かれているのは旋律だけ
──小川さんのお話にもあった通り、脚本に書かれた言葉の可能性や裏側を考え、舞台上でその“余白”部分も含めて立体化していくのが演劇の面白さだと思いますが、皆さんは普段、戯曲の言葉をどのくらい信じ、あるいは疑って、演出されていますか。
五戸 戯曲の言葉って記号みたいなもので、鳴らせば美しい音が鳴る点であることは間違いないんですけど、あとは全部現場で作らなくてはいけないというイメージがあります。小説は言葉だけで成立しますが、演劇は言葉だけでは成立しないんですよね。その意味で、交響曲の主旋律だけ書いてあるようなイメージ。また、私自身は作家が思いついたときのインスピレーションの中で鳴っていた音が一番面白いと思うので、いつも作家の思考回路を探すことから始めるんですが、表現の仕方には本当にいろいろな可能性があって、だから戯曲を読み解くにはすごく時間がかかります。
難しいですよね。最近、戯曲賞の審査員をやらせていただくこともあるのですが、台本を読むとき私は時々、その場で声に出して演じてみるんですね。すると黙読しただけでは気付かなかった作家のリズムや、「本当はこんなことを感じていたのかな」という発見がある。また、物語にはさほど惹かれないけど音がめちゃくちゃ気持ち良い台本とか、筋は通ってないんだけど、フラフラしている様子自体が面白い台本とか、本当にいろいろな台本があって、読み方もいろいろあるんだなと実感して。実際、私自身も自分が描いたセリフを演じてくれる人には、「セリフを信じないでほしい」といつも思っています。「あなたが好きよ」と言っていても、そのそばから「死ね」って思っているかもしれませんから。だから表層で行われているやり取りを「本当?」って疑いながら台本を読んでほしいし、私もそう思いながら読めたら良いなと思っています。
小川 面白いですね! 私は、翻訳はしますが、戯曲は書きません。でも戯曲を読みながら、作家によって戯曲の中で言葉をどのように定義付けているのかは全然違うなと感じます。例えばアニー・ベイカーや、私がよく演出する作家たちは、言葉をコミュニケーションツールとして使っているだけで、本心や感情とは全然連結しないものとして書いています。なので私は、戯曲と出会ったらまず、その戯曲がどういう感覚のものかを知ろうと考えます。さらに演出する場合は、戯曲の言葉にどう取り組むかよりも、どういったコミュニケーションをすればその戯曲が立ち上がるかを考えます。
演劇が良いなって思うのは、登場人物それぞれに気持ちがあって、それぞれに直面している問題がある、ということをカンパニー全体で共感しながら作品を立ち上げていけること。「人にはそれぞれ事情がある」ということを、台本を介して、身に沁みて感じながらクリエーションするので、演劇をやっていると絶対に人を嫌いになれない。それは役得だなと思います。
- 小川絵梨子(オガワエリコ)
- 2004年、ニューヨーク・アクターズスタジオ大学院演出部卒業。2006年から2007年、平成17年度文化庁新進芸術家海外派遣制度研修生。2018年9月より新国立劇場の演劇芸術監督に就任。近年の演出作品に「ダウト~疑いについての寓話」「検察側の証人」「ほんとうのハウンド警部」「作者を探す六人の登場人物」「じゃり」「ART」「死と乙女」「WILD」「熱帯樹」「出口なし」「マクガワン・トリロジー」「FUN HOME」「The Beauty Queen of Leenane」「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」「CRIMES OF THE HEART ―心の罪―」「死の舞踏/令嬢ジュリー」「ユビュ王」「夜想曲集」「RED」「スポケーンの左手」など。新国立劇場では「キネマの天地」「タージマハルの衛兵」「骨と十字架」「スカイライト」「1984」「マリアの首─幻に長崎を想う曲─」「星ノ数ホド」「OPUS/作品」の演出のほか、「かもめ」「ウインズロウ・ボーイ」の翻訳も手がける。
- 桑原裕子(クワバラユウコ)
- 東京都生まれ。劇団KAKUTA主宰、俳優・劇作・演出を務める。近年の出演作として、白井晃演出「ペール・ギュント」、福原充則脚本・演出「俺節」「忘れてもらえないの歌」、松尾スズキ演出「シブヤデアイマショウ」、土田英生作・演出「徒花に水やり」など。2007年KAKUTA「甘い丘」で、2009年に第64回文化庁芸術祭・芸術祭新人賞(脚本・演出)受賞。2015年「痕跡」で第18回鶴屋南北戯曲賞受賞。2018年「荒れ野」が第5回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞、2019年第70回読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞。また、劇団作品「ひとよ」が白石和彌監督で映画化された。2018年穂の国とよはし芸術劇場PLAT芸術文化アドバイザーに就任。
- 五戸真理枝(ゴノヘマリエ)
- 兵庫県生まれ。2005年に文学座附属演劇研究所に入所。2010年に座員に昇格。演出助手として座内の多数の公演に関わる。2016年に文学座アトリエの会 久保田万太郎作「舵」で初演出を努めた。その後「桜の園」「阿修羅のごとく」「三人姉妹」「年あらそい」などを演出。2018年には新国立劇場にて「どん底」を上演した。また戯曲や童話の執筆も手がけている。脚色・演出を手がける文学座3月アトリエの会「コーヒーと恋愛」が、3月15日から27日まで、東京・文学座アトリエにて上演される。