ステージナタリー Power Push - 追悼 蜷川幸雄
「青の炎」「蛇にピアス」脚本家・宮脇卓也インタビュー 蜷川の書斎で過ごした日々を振り返る
観たい映画があると蜷川さんに言う
──稽古場で時間を過ごす中で、プライベートな会話を交わす機会はありましたか?
僕、蜷川さんのご自宅の隣の駅に住んでたので、帰りによく車に乗っけてもらってたんです。蜷川さんの家、ドキュメンタリー(「疾走する蜷川幸雄80歳~生きる覚悟~」)にもちょっと出てたけど、自宅の庭に離れがあるんです。あの書斎の鍵を開けっ放しにして「俺いないときもここを使ってていいよ。勝手に入っていいから」っておっしゃってくれてたので、勝手に書斎を訪ねて映画観たり本読んだりしてました。溝口健二の後期の大映の映画とかはレーザーディスクのボックスがあって、全部蜷川さんちで観ましたね。
──小学生が友達の家に気軽に出入りしちゃう感じですね。
そうそう。時々母屋に真山さん(蜷川の妻・真山知子)がいらっしゃって、挨拶するとお昼を作ってくれたりして。
──2人のときは芝居の話を深くされることも?
そんなに芝居の話はしてなくて。「蜷川さん、なんとかって映画が面白いみたいなんですよね」「そうか。じゃあ観に行こうか」って稽古終わりに連れて行ってもらったり。だから僕、観たい映画があると蜷川さんに言ってました。おごってくれるから。
──あはは(笑)。
観終わったあとに蜷川さんが作品について解説してくださるので、それを聞いてると勉強になるんですよ。テオ・アンゲロプロスとか。エミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」、ジム・ジャームッシュの「デッドマン」も観たな。
青梅街道で降ろされて
──蜷川さんとの時間は、いろいろ吸収する機会になっていたんですね。
ええ。ただ元々役者志望ではなかったので、ある日稽古が終わって蜷川さんの車で帰ってるときに、「役者辞めようと思うんです。作るほうに回りたいんです」って告白したんです。そしたら蜷川さんから「じゃあうちのカンパニーの演出部に入るか?」って言われて。でも作家になりたい気持ちが大きかったので、これだけお世話になりながら「嫌です」って答えて……「なんだよお前」って激怒されましたね。舞台美術家の(中越)司さんの車が後ろからついてきてたんで、「お前もう司に乗っけてもらえよ」って、青梅街道で降ろされました(笑)。
──関係に亀裂が……。そこからどうして、「青の炎」の脚本を依頼されることになったんですか?
車を降ろされたのが1998年で、そこから2年ぐらいは、アルバイトしながら1人で小説を書いてました。時間が経ってほとぼりが冷めたくらいに、また蜷川さんのところに顔を出すようになって原稿を読んでもらったり。だんだん「ああ、役者下手だからこっちのほうがいいよ」と言ってもらえるようになり、2001年に「カンパニーの公演やるからなんか書けよ、よかったら使ってやるよ」って声がかかって、オリジナルで芝居の本を書き下ろしたのが、脚本家としての初仕事です。
──ベニサン・ピットで上演された、ニナガワカンパニー・ダッシュ名義の「2001・待つ」ですね。
その公演が終わった後に、蜷川さんが「青の炎」を撮ることになって、「何人か作家さんでコンペティションやるから、参加してみたら」って言われて、書いたのが2002年の最初ぐらいですかね。それを採用してもらったのがきっかけです。
水槽は蜷川さんの中にあるイメージ
──実際に「青の炎」の脚本を書くにあたって、「蜷川さんに演出される」という意識を持って臨みましたか?
それは特にはなかったです。20代前半に蜷川さんの書斎や稽古場でいろいろ吸収させてもらったので、蜷川さんのやりたいこととか好きなものから自分も多大な影響を受けているから、意識する必要もなかったんだと思います。
──オープニングに登場する水槽は、蜷川さんが手がけた舞台「海辺のカフカ」やさいたまゴールド・シアター「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」にも見られる、まさに蜷川さんの演出だと思いました。
そうですよね。僕の脚本上は書いていなかったので、水槽を使ったのは蜷川さんの演出です。「NINAGAWA・マクベス」も、最後マクベスが死ぬときに舞台の中央で膝を抱えて丸くなってましたし、水槽っていうのは、“子宮”じゃないけど、おそらく蜷川さんの中にあるイメージなんでしょうね。
──完成した映画を見て、特に気に入っているシーンはありますか?
秀一(二宮和也)と石岡(川村陽介)の2人が、長いエスカレーターで話してるシーン。石岡が脅してるのに、秀一のほうがリードしてるみたいな、あの2人の関係がよくでてる。そして行きつ戻りつしながら留まっている感じが、いいなあと思いますね。映画の中に演劇的な蜷川さんの演出が入ってる、好きなところかな。あと自分が台本に残してよかったと思うのが、刑事と秀一の母親が話してるところに少年がふらっと自転車でやってきて、ジュースを買おうとするシーン。
──お金を入れてもジュースが出てこなくて、ずっと自販機を蹴っている場面ですね。
そうです。プロデューサーからは「このシーンいる?」って言われたんですよ。海岸に自販機をセッティングするだけで労力とかお金もかかるし。でも蜷川さんが、「物語の主人公ではない世界の片隅にいる無名の若者が、今もどこかでふつふつと苛立ってる。無言で蹴飛ばし続ける、彼らの世界に対する異の唱え方というか、自分たちの主張みたいな叫びがちゃんと入ってる映画っていいんだよな」って後で褒めてくださって。ああ残してよかったな、とすごく思いました。
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8月ラインナップ
- 「疾走する蜷川幸雄80歳~生きる覚悟~」
- 2016年8月1日(月)11:00~ ほか
- 「蛇にピアス」
- 2016年8月5日(金)25:15~ ほか
- 「青の炎」
- 2016年8月7日(日)16:30~ ほか
- 「ヘンリー四世」
- 2016年8月12日(金)25:00~
- 「ヘンリー六世」
- 2016年8月19日(金)25:15~
- 「ヴェニスの商人」
- 2016年8月26日(金)25:00~
9月ラインナップ
- 「冬物語」
- 2016年9月17日(土)23:00~ ほか
- 「から騒ぎ」
- 2016年9月15日(木)27:00~
- 「じゃじゃ馬馴らし」
- 2016年9月25日(日)25:15~
- 「ジュリアス・シーザー」
- 2016年9月30日(金)25:15~
- 「ヘルタースケルター」
- 2016年9月2日(金)23:00~
- 「さくらん」
- 2016年9月9日(金)23:00~
蜷川幸雄(ニナガワユキオ)
1935年10月15日、埼玉県川口市生まれ。1955年に劇団青俳に入団し、1968年に劇団現代人劇場を創立。1969年に「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビューした。代表作は「身毒丸」「NINAGAWA・マクベス」「ハムレット」など多数。肺炎による多臓器不全のため2016年5月12日に逝去。8月には森田剛、宮沢りえ出演の「ビニールの城」、12月には「1万人のゴールド・シアター2016」、2017年には「NINAGAWA・マクベス」が追悼公演として上演される。
宮脇卓也(ミヤワキタクヤ)
1975年生まれ。愛媛県出身。1993年より蜷川幸雄の舞台に俳優として参加。1999年より執筆活動を始める。2003年、映画「青の炎」で脚本家デビュー。2008年に映画「蛇にピアス」、2009年にテレビ朝日開局50周年記念ドラマ「警官の血」(脚本協力)、2015年にNHK大河ドラマ「花燃ゆ」(脚本協力・取材協力)などを執筆。2014年より公開されているフジテレビとIQIYIの日中共同製作インターネットドラマ「不可思議的夏天」の脚本を務め、中国全土で再生回数が1億ビューを超えるヒットを記録。北中南米など全世界35カ国で配信された。同作は2015ニューヨーク・フェスティバルにおいてファイナリスト入賞。
2016年8月30日更新