「WOWOW presents 勝手に演劇大賞」|今年の受賞作は? 演劇ジャーナリスト徳永京子が2019年の舞台を振り返る

2019年も残り2カ月弱。注目の若手の登場や老舗劇団の周年企画など、今年もさまざまなニュースが演劇界をにぎわしたが、果たして2019年はどんな年だったのだろうか。

ステージナタリーでは、今回が10回目となる「WOWOW presents 勝手に演劇大賞」の開催に合わせ、演劇ジャーナリストの徳永京子に今年の演劇界のトピックを振り返ってもらい、徳永自身の「勝手に演劇大賞2019」を発表してもらった。

取材・文 / 熊井玲 撮影 / 祭貴義道

作り手たちの“変化”が表出した2019年

──まずは2019年の演劇界全体について、徳永さんの印象を伺わせてください。

徳永京子

いわゆる“テン年代”最後の年でしたが、それにふさわしくと言いますか、やはり若手の方たちの作品が変わってきたと感じます。この4・5年、若い劇作家の戯曲にはモノローグが圧倒的に増えていて、今年の岸田國士戯曲賞の選考でも、最終候補に挙がってくる作品自体にスタンダードな会話劇が少なく、演劇における会話を残さなくていいのかという問題が出たようです。ただ、モノローグやモノローグに近い会話で戯曲を書いている劇作家にとっては、その形自体のほうにリアリティがあるはずで、コミュニケーションと言葉の関係の変化が可視化されたのかなと思います。同時に若い作り手たちの“サバイバルの方法”も変わってきたことが、表に出てきたのではないかなと。演劇を取り上げるメディアは減っていますが、自分たちでWeb上にプラットホームを作ったり印刷物でアーカイブを残したりと、プロデュース力のある人たちが増えました。上演場所に関しても、かつては劇場ありきで、「次は今より大きな劇場でやること」が大事だったと思います。それが少し前からカフェやギャラリーを上演会場に選ぶ若い作り手たちが増えてきて、当初は、劇場を借りるお金がないといった理由が大きかったと思いますが、近年では、上演場所を一から考えることで自分たちのやりたいことを問い直すなどの作家性を身につけている人たちも増えています。とはいえ、そのスタイルでは、緻密な照明や舞台美術が観客に受け渡すイメージをいかに豊かにするかを経験できず、演劇が持っている力の一部を知らないまま進む、ということになり、もったいないとは思いますが。

──中堅からベテランの作家に関してはいかがでしょうか?

ロロの三浦直之さん(「腐女子、うっかりゲイに告る。」)や福原充則さん(「あなたの番です」)、とくお組の徳尾浩司さん(「おっさんずラブ」)など、テレビドラマの脚本で大きな注目と高い評価を得ましたね。俳優ですが、ロロの板橋駿谷さんは朝ドラ(NHK連続テレビ小説「なつぞら」)出演から広く注目されました。少し前は、演劇界からテレビ業界に “乗り込んでいく”感じが本人にも周囲にもあったと思うんですけれど、そこがスムーズになったと言うか。そこを平らにしたのは、今年のNHK大河ドラマ(「いだてん」)を担当された宮藤官九郎さんのこの10年の活躍かもしれないと思ったりします。

いかに続けていくか、の方法が変わってきている

──2019年にアニバーサリーイヤーを迎えた劇団、劇場も多くありました。劇団☆新感線が40周年を目前にした“39興行”を現在も行っているほか、劇団山の手事情社35周年、MONO30周年、モダンスイマーズ20周年、Noism15周年、井上ひさし没後10年(こまつ座が「井上ひさしメモリアル10」企画を実施)、月刊「根本宗子」10周年を迎えました。さらにBunkamuraが30周年、野田秀樹さんが東京芸術劇場芸術監督就任から10年、京都では新劇場・THEATRE E9 KYOTOが開場し、それに伴う企画が多数展開されました。

モダンスイマーズ結成20周年記念公演「ビューティフルワールド」より。(撮影:Yoshizo Okamoto)

確かにいろいろありますね。もちろん多くの劇団が生まれては消え、なくなる劇場があるのも知っていますが、周年を迎えた人たちがいるのは、演劇を続ける環境が少しずつ整ったり、続けていくスキルが共有されているということなのかもしれません。特に新感線さんは“バカバカしいことがやりたい”“カッコよい舞台を作りたい”の初期衝動を持ち続けたまま、新橋演舞場やIHIステージアラウンド東京での大型公演を成功させている唯一の劇団。彼らのような劇団がこれから生まれることはないと思います。もう1つ印象的だったのはモダンスイマーズさんが「句読点三部作連続上演」を、20周年の“前夜祭”的に行い(参照:モダンスイマーズが「句読点三部作」再演、ラスト作主演女優はオーディション)、結成20周年記念公演として新作「ビューティフルワールド」を上演したことです。モダンスイマーズさんはチケット代を3000円に据え置いていたり、キャスティングも動員目当てで有名芸能人に頼ることをしない。新感線さんとは規模も方向性も違いますが、小劇場の感覚を大事にして活動を続けていて、そういう劇団が20周年というのはいろいろな人の励みになり得る、夢のある話だなと思います。

──また昨年30周年を迎えた大人計画の松尾スズキさんが、今年新劇団として東京成人演劇部を立ち上げたことについてはいかがでしょう?(参照:松尾スズキ×安藤玉恵の二人芝居、東京成人演劇部「命、ギガ長ス」が開幕

東京成人演劇部 vol.1「命、ギガ長ス」より。(撮影:引地信彦)

シアターコクーンやPARCO劇場といった中劇場で公演をするようになった劇作・演出家が、定期的にザ・スズナリや本多劇場といった小さめの劇場で作品を作りたくなる、という話はよく聞きます。ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下KERA)さん、赤堀雅秋さん、倉持裕さんなどがそうですよね。とりわけ松尾さんは、大人計画を絶対的なホームとしながらも、自分の足場をいくつも持っていたいタイプのクリエイターなのではないでしょうか。過去にも、悪人会議や日本総合悲劇協会などの団体を作ったり、つい最近も映画(「108~海馬五郎の復讐と冒険~」)を監督されましたが、映像にも小説にも興味があり、実際に大きな足跡を残している。東京成人演劇部も広がっていく活動の1つだと思いますが、共演者が1人なのでじっくりコミュニケーションを取ったりツアーをたくさんしたりという形が、これまでとは違う点だと思います。

──確かにそうかもしれません。

松尾さんやKERAさんより前の世代では、「紀伊國屋ホールに行けば上がり」というような劇場すごろくや、「俳優はテレビに出ればOK」というような成功の図というものがあったと思います。でもその過程で作り手たちが疲弊し、モチベーションを失ったり、身体を壊してフェードアウトしたり、あるいは劇団が解散して活動形態が変わったり……という状況がありました。松尾さん、KERAさん世代は、そんな先行世代とは別のやり方、例えば劇団は残しつつ、別にユニットを持つとか、あえて小さな場所でやってみるとか、演劇を長く続けるためにフレキシブルな形をとるようになってきたのではないかと思います。先ほど、若い作り手が彼らの世代ならではのサバイバル方法を生み出しているという話をしましたが、松尾さんやKERAさんにとっては、それが上の世代にはなかったサバイバル方法の1つなのかもしれません。

──KERAさんも、ナイロン100℃とは別にオリガト・プラスティコやKERA・MAPなど複数のユニットを持っていますよね。その点で、松尾さんの東京成人演劇部「命、ギガ長ス」は、二人芝居で美術、照明、音響もシンプルな作りになっており、演劇の最小単位に帰っていくアプローチだったと言えます。その直後にシアターコクーンの芸術監督就任が発表され、非常に驚きましたが……(参照:松尾スズキが抱負「色気のある劇場に」、阿部サダヲら歴代ハリコナも駆けつける)。

私も驚きましたが、とてもよいことだと思いました。松尾さんは演劇における笑いや猥雑さ、また音楽性にこだわっているので、そういうカラーが強く出てくればいいですよね。「コクーンはおしゃれ」というイメージもあると思いますが、蜷川幸雄さんが唐十郎さんの作品を演出したり、実はアングラの匂いを守ってきた劇場でもある。その点では納得の人選でもあります。かつて蜷川さんがアングラ演劇から商業に関わることになったとき、周囲から「裏切り者」と言われ、劇団仲間とは長く不和だった歴史がありますが、松尾さんの就任会見では劇団員の皆川猿時さんが司会を務めたりして、すごく柔らかい雰囲気だった。商業演劇や大きな劇場との仕切りがなくなったというか、混ざった印象を持ちました。

音楽の力が大きく影響した、「世界は一人」と「Q」

──その流れの1つかもしれませんが、岩井秀人さんがそれまでの活動規模より大きな、東京芸術劇場 プレイハウスで音楽劇「世界は一人」を上演したことは驚きでした。

PARCOプロデュース2019「世界は一人」より。(写真提供:株式会社パルコ 撮影:引地信彦)

松尾さんやKERAさんと岩井さんの世界観は相当違っていて、同じ家族を描いても、松尾さんは土着的、神話的だし、KERAさんは寓話的で、枠組みが大きい。それに対して、岩井さんの作品は個人的な体験に基づく非常にデリケートな話なので、そのデリケートさを保ったまま、プレイハウスの大きな空間を埋めることができるのか、おこがましいのですが少し心配があったんです。でも台本や演出の力はもちろん、松尾さん、松たか子さん、瑛太さんといったキャストが岩井さんのデリケートな世界観を理解し、それを大きな劇場サイズにしてアウトプットして見せたことは素晴らしかったし、前野健太さんの音楽の力もとても大きかったと思います。もう1つ、「世界は一人」のプロダクションで評価しなければならないのは音響(大木裕介、藤森直樹)です。音楽劇って歌が時々出てくるということでなく、作品全体が音楽的であること。この作品は客席全体を優しく包み込むような音の設計で、音響が作家の世界観をよく理解していたと感じました。

──同じプレイハウスの公演では、NODA・MAPの「Q」が10月に開幕し、現在、2度目の東京公演中です。QUEENの楽曲を用いた、こちらも音楽性の高い作品ですね。

NODA・MAP 第23回公演「Q:A Night At The Kabuki」より。(撮影:篠山紀信)

私が感じたのは、曲をかけるタイミングや聞かせる長さなどが、かなり丁寧に考えられているということでした。つまり、1章節終わるまでセリフを始めない、というように。ほかの作品でも音楽に意識的ではあるのでしょうが、劇中ではクラシックを使うことが多かったですし、ここまでではなかったと思います。野田さんご本人にその感想を伝えたところ、「それはQUEENに対してのリスペクトだ」とおっしゃっていました。戯曲は歌詞からインスパイアされて書いていった部分もかなりあったそうで、こうした体験は、今後の創作で、野田さんの音楽との向き合い方に影響を与えるのかもしれないですね。