国立劇場での文楽全段通し狂言「菅原伝授手習鑑」クライマックスを裏から支える技術室、表で魅せる人形遣い・吉田玉男に迫る

1966年の開場以来、文楽ファンに愛されてきた初代国立劇場。再整備のための閉場が10月末に迫り、現在の劇場で文楽公演を観られるのも残り1公演となる。その最後の文楽公演「令和5年8・9月文楽公演」では、「菅原伝授手習鑑」を全段通しで上演する企画の後編として、三段目からラストとなる五段目までを上演。さらに、近松門左衛門が手がけた世話物「曾根崎心中」も上演される。

「菅原伝授手習鑑」通し上演は文楽の歴史の中でも非常に稀有なこと。そんな大舞台で活躍する“名優たち”の舞台裏を覗き見るべく、ステージナタリーでは文楽の本拠地・大阪の国立文楽劇場の技術室を取材した。また7月に人間国宝認定が発表された人形遣い・吉田玉男にもインタビュー。文楽の魅力を表と裏、両面から紹介する。

取材・文 / 櫻井美穂、熊井玲撮影 / 熊井玲

国立文楽劇場の技術室潜入レポート

いざ、文楽の本拠地・国立文楽劇場へ

7月後半、文楽の本拠地である大阪・国立文楽劇場を訪れた。国立文楽劇場は大阪のかつての電気街・日本橋駅から徒歩1分の街中にあり、シックな外観にカラフルな幟が映える。その日の国立文楽劇場は「夏休み文楽特別公演」の公演期間中で、第1部【親子劇場】では「かみなり太鼓」「西遊記」、第2部【名作劇場】では「妹背山婦女庭訓」四段目、第3部【サマーレイトショー】では「夏祭浪花鑑」と趣向を凝らした演目が行われていた。

文楽の“技術室”はそんな国立文楽劇場と同じ建物の中にある。技術室とは人形浄瑠璃文楽公演を支える唯一のアトリエで、「かしら」、「かつら床山とこやま」、「衣裳」、「小道具」の部門に分かれて、日々の作業を行っている。

そもそも文楽人形は、頭の部分にあたる“かしら”と胴体、そして手足で構成されている。全長は役によって多少異なるが、おおよそ130~150cmと人間の子供サイズ。またメインの役は人形1体につき3人の人形遣いが動かしていて、かしらと右手を動かす“主遣い”、左手を動かす“左遣い”、そして足を動かす“足遣い”がそれぞれ担当の場所を操作し、人形に魂を吹き込んでいく。なお人形遣いの修業は、足遣いからスタートし、その修業期間は「足10年、左15年」と呼ばれる長い道のり。人形遣いは師匠の技を間近に見ながら、その呼吸、魂ごと受け継いでいく。

まずはかしら・床山部屋へ

劇場スタッフさんの案内で、まずは技術室のかしら・床山部屋へ。部屋に入るなり目に飛び込んできたのは、壁一面にかけられた、たくさんのかしらたちだ。ここにあるのは次の公演に使われることが決定しているかしらで、かしらの胴串の付け根の部分には、何やら紙が結び付けられており、よく見ると、“菅丞相 玉男”と、役名と人形遣いの名前が書かれている。「使うことが決まったかしらには“会符”という、割り振られた役の札が付けられているんです」と、かしら担当の村尾愉さんが教えてくれた。ということは、これは8・9月公演で上演される、「菅原伝授手習鑑」四段目の「天拝山の段」に登場する菅丞相のかしら“丞相”ということだろうか。

かしら・床山部屋の壁にかかるかしらたち。

かしら・床山部屋の壁にかかるかしらたち。

「この“丞相”は、ついこの間まで『平家女護島』の俊寛でした。今回、菅丞相を演じることになったので、顔を役に合わせて白く塗り直し、化粧をし、鬘も菅丞相のものに変えました」と“丞相”のかしらを実際に手で持って見せてくれた。さらに「かしら自体、全体の数が決まっています。1つの役しか演じないかしらもありますが、今月は松王丸、来月は団七……と、鬘や顔の色、化粧を変えながらさまざまな役に使い回していきます。『この子はこの役』と会符を付ける、“かしら割り”するのは、担当の人形遣いさんの仕事。会符が付けられて初めて、我々の仕事が始まります」と説明が続いた。

かしらを“キャスティング”、主役になれない顔の子も…

それにしても1つの公演でこれほどのかしらが使われるとは。しかもかしらの1つひとつをよく見てみると、似た顔立ちだが鬘が異なるものがある。実は文楽人形のかしらは約80種類ほどあって、歌舞伎の白塗りや隈取と同様に、役の性根によってかしらを遣い分ける。例えば「曾根崎心中」の主人公・醤油屋の手代徳兵衛は、ザ・二枚目の“源太”というかしら、ヒロインのお初は“娘”のかしら、そして徳兵衛から金をだまし取る油屋九平次は、険のある目元に曲がった口と、顔全体に意地悪な雰囲気がにじむ“陀羅助”のかしらといった感じで“キャスティング”されているのだ。そのように、かしらを見ただけで役の性根がわかるのが文楽の面白いところ。ただし中には、「菅原伝授手習鑑」の松王丸や「夏祭浪花鑑」の団七のかしらに使われる“文七”のように、一見コワモテだけど、実は良いやつ……というかしらも。“人は見かけによらない”のは、人形も同じかもしれない。

いずれも松王丸に扮した”文七”。場面で髪型が変わるので、その数だけかしらが必要になる。

いずれも松王丸に扮した”文七”。場面で髪型が変わるので、その数だけかしらが必要になる。

さらに村尾さんは「先代の吉田玉男師匠は『自分が文七を遣うときはこのかしらが良い』というお気に入りがありました。また同じ“老女方”のかしらでも、武家の妻が合う顔と、町人の奥さんが合う顔、それぞれあります。『曾根崎心中』のお初はこのかしらでないとお初に見えない、決まり役になっています。また同じ娘のかしらなのに、残念ながら主役になれない顔の子もいます。でもこういう子がいるから、芝居が引き立つのです」と語り、人形に笑いかけた。

「冥途の飛脚」の梅川(左)と「曾根崎心中」の遊女(右)。同じ“娘”のかしらだが、顔の印象が異なる。

「冥途の飛脚」の梅川(左)と「曾根崎心中」の遊女(右)。同じ“娘”のかしらだが、顔の印象が異なる。

20年も使うと、顔が2回り大きくなる

しかし、かしらの外見的な役作りをすることだけが、かしら担当の仕事ではない。「今月はこの役、来月は別の役……とかしらの出演が重なっていくと、当たり前ですがかしらが傷んできます。表面がひび割れていたら、胡粉を塗り直したり、鬘を釘で打ち付けるときに開いた穴を塞いだりと、かしらのメンテナンスも我々の仕事です。しかも胡粉を塗り重ねたり化粧を重ねていくうちに、顔がどんどん大きくなっていくんです。20年も使うと、(新品のものと比べて)2回りぐらい顔が大きくなるんですよ(笑)」と明かす。20年!と驚いていると、「第二次世界大戦でほとんどの人形が焼失してしまいましたが、作られて150年経ったかしらも、まだ現役で使われています。人間と同じように、かしらも舞台を重ねれば重ねるほど、味や雰囲気が出てくる。新品のツルツルした顔より、塗り重ねられて凹凸が出てきたくらいが、舞台に立ったときに生々しい表情が生まれるんです」と続けた。

またかしら・床山部屋の一角には、現在劇場で上演中の公演の模様がモニターに映し出されていた。村尾さんはそれを優しげな眼差しで眺めながら「芝居中もアクシデントがあったら舞台に間に合うように修理します。保健室の先生みたいな存在かもしれない」とポツリ。公演中も気が抜けないのだ。