国立劇場での文楽全段通し狂言「菅原伝授手習鑑」クライマックスを裏から支える技術室、表で魅せる人形遣い・吉田玉男に迫る (3/3)

吉田玉男インタビュー

日々それぞれの技術を磨き、舞台の輝きを支えている文楽スタッフ陣。そんな彼らの思いを胸に、舞台で人形たちに魂を込め演じるのは長年にわたり研鑽を積む人形遣いたちだ。ここでは8・9月公演の「菅原伝授手習鑑」で菅丞相、「曾根崎心中」で徳兵衛を遣う、先日人間国宝認定が発表された吉田玉男が登場。演目への思いや、初代国立劇場への思いを語ってくれた。

師匠の初代吉田玉男が得意だった

──5月には、「菅原伝授手習鑑」の「筆法伝授の段」「丞相名残の段」で菅丞相を遣っていらっしゃいました。「筆法伝授の段」では、元弟子の武部源蔵の才能を見極める気高さ、「丞相名残の段」では不思議な力を持った神々しさを強く感じさせる、気品あふれる菅丞相でしたが、演じられて、いかがでしたでしょうか。

菅丞相を主遣いとして遣うのは今回が3回目ですが、この役は何度も遣わないと掴むのが難しいお役ですね。何と言っても、菅丞相は“天神さま”と言われるぐらいの人ですから。歌舞伎だと片岡仁左衛門さんがおやりになられていましたが、すごく位の高いお役で、普通の役とはやはり違います。特に、「丞相名残の段」での菅丞相は、じっとした静かな動きの中から“役”を伝えないといけない。こういった芸は、師匠(初代吉田玉男)が得意でしたね。

吉田玉男

吉田玉男

──初代玉男さんが亡くなったのは、2006年。その翌年2007年の一周忌追善公演で、玉男さんは「菅原伝授手習鑑」の二段目「丞相名残の段」で初めて菅丞相を遣われました。

(初代玉男が遣う)菅丞相の左(遣い)も足(遣い)も、それぞれ1回ずつ経験しています。師匠からは、直接何かを教えてもらったということはないのですが、人形の動きはそこで修得していましたし、師匠の“息”というものを感じられていたことは、今につながっていると感じています。菅丞相は、演じるごとに新しい発見がある、深めがいのあるお役。繰り返し演じることで、自分の役にしていきたい、という思いはあります。

──どのように役を深めていかれるのでしょう?

もちろん床本は読み直しますし、師匠の映像も見返しています。自分の映像と比較するのですが……正直、自分のはあまり見返したくないんですけどね。「いやあ、ダメやなあ」「格好悪なってるなあ」ってショックを受けてしまうんです(笑)。

菅丞相が暴れ、火を吹く!

──「令和5年8・9月文楽公演」では、「菅原伝授手習鑑」三段目からラストの五段目までが描かれます。玉男さんがお出になられるのは、「天拝山の段」。ここでは、流罪になった菅丞相が、藤原時平の企みを知り激怒します。技術室では前半と後半で菅丞相の表情が変わる、面落としを見せてもらいました。

これまで動きの少なかった菅丞相が、暴れるのが見どころですね。初段・二段目と比べて、人形が少し大きくなっているんです。なので、遣っていても感覚がそれまでとまったく違います。この段では、梅の枝で家来・鷲塚平馬の首を打ち落とすという振りがあり、最後には雷が鳴る中で天拝山に登って、雷神になるわけですね。引き抜き(編集注:一瞬で衣裳を変化させる演出)もありますし、雷の効果音もすごく派手。人形はちょっと重たいんですけど、動きが大きいので人形遣いとしては楽です(笑)。

吉田玉男

吉田玉男

──時平の企みに怒った菅丞相が、火を吹くという演出もありますね。

舞台上で使われる火は、普通の花火と構造上は一緒。昔、師匠が主遣い、私が左遣いをしていたとき、火の勢いがすごくて、着物がちょっとだけ焦げてしまったこともあるんです(笑)。人形の中は綿なので、こうやって(揉み込む手の動き)そっと火を消してね……(笑)。それくらい、ボン!と勢いよく火が出るので、注目してほしいですね。

“泣ける浄瑠璃”を聞き逃しなく

──三段目では、主を失い浪人となった梅王丸と桜丸が、藤原時平サイドに付く松王丸と押し問答を繰り広げる「車曳の段」や、三つ子の父親・四郎九郎の古希を祝う、賀の祝いでの出来事を描いた「茶筅酒の段」「喧嘩の段」、そして責任を感じた桜丸が自害する「桜丸切腹の段」が展開します。

賀の祝いから、桜丸の切腹までの浄瑠璃が、本当に素晴らしく、泣けるんですよね。梅王丸と松王丸の兄弟喧嘩からドラマが一転するのも、緩急があって見応えがあるかと。

──四段目の「寺子屋の段」は、歌舞伎ファンにはおなじみの段ですが、同じく四段目「北嵯峨の段」、五段目「大内天変の段」は、それぞれ上演の機会が滅多にありません。今回の通し狂言で、初めて知る方もいるのではないでしょうか。

最後に「菅原伝授手習鑑」を全段通しで上演したのは1972年ですが、どちらも、それ以来出ていない場ですね。「北嵯峨の段」では、桜丸の女房・八重が、御台様を松王丸に引き渡す、このあとの「寺子屋」につながる大事な段。「大内天変の段」は、物語のクライマックスですが、桜丸と八重の幽霊など、とにかく登場人物がたくさん出てきます。藤原時平サイドの人間たちがみんな死にますので、お客様にはスッキリしていただけるかと(笑)。

──今お話に上がりました、1972年の全段通しについて、何か記憶に残っていらっしゃることはありますか?

前回(1972年)は1日がかりで上演したので、朝10時開演で終わるのが22時近くでしたね。私や吉田和生さん、桐竹勘十郎さんも、若手として出ていたのですが、もうご飯を食べる暇もなくって。劇場の制作担当だった山田(庄一)さんからお弁当をいただいたのを覚えています。本当に大変でしたが、すごく良い経験になりました。単独で上演してももちろん面白いのですが、やはり通しで上演したほうが、より作品を理解していただけるのではと思っています。菅丞相、三つ子、武部源蔵と、それぞれの物語がうまく絡み合っている、よくできたお芝居ですし。

吉田玉男

吉田玉男

「曾根崎心中」お初役・吉田和生とは息ぴったり

──第三部「曾根崎心中」のお話もお聞かせください。本作は近松門左衛門による世話物で、醤油屋の手代である徳兵衛と、その恋人の遊女・お初の悲恋が切なく描かれます。徳兵衛を玉男さん、その相手役であるお初役を和生さんが遣われます。

和生さんとは、もう何も言わずとも、お互いの気持ちがわかってますので。公演でも、そういった息の合ったところをお見せできるのではないかなと思っています。

──本演目は、初代国立劇場で行われる最後の文楽作品になります。

その最後の作品である「曾根崎心中」で、徳兵衛役を演じさせていただけることは、本当に光栄でうれしいことです。初代国立劇場では、二十代の若い頃に勉強会を何度かさせていただいたのが記憶に残っています。「菅原伝授手習鑑」の松王丸や、「一谷嫩軍記」の熊谷次郎直実といった大きなお役を主遣いで勉強をさせていただきました。もちろんうまくはなかったのですが、そのあと何年かしてからその役を本役でいただいたとき、役への理解度が全然違いました。今は主役をずっとやらせていただいていますけど、二十代でそういう経験をさせていただいたことが、今につながっていると感じています。閉場が本当に寂しいですね。

「待ってました! 人間国宝!」という大向うにびっくり

──7月に発表されましたが、人間国宝への認定、おめでとうございます(参照:人間国宝に宝生欣哉・五街道雲助・金剛永謹・茂山七五三・吉田玉男・中村歌六ら)。文楽ファンにとって、気分が明るくなるニュースでした。

認定いただけるとは、自分ではまったく予想していなかったので、本当にびっくりしました。7月22日に行われた「令和5年夏休み文楽特別公演」初日には、「あれほどの拍手はない」ってぐらいの拍手と、「待ってました! 人間国宝!」っていう大向うが飛んで、それも驚きましたね(笑)。これからは、和生さん、勘十郎さんと3人で文楽を引っ張っていかないといけないな、という責任も感じております。

──2015年の玉男襲名時には、自分の襲名が話題になることで、文楽に興味を持つ方が1人でも増えれば、とおっしゃっていました。

そうですね。たくさんのお客様に観に来ていただきたい、という気持ちももちろんありますが、後継者問題も大きくて。文楽は太夫、三味線、人形遣いの三業ありまして、もちろんすべて必要なんですけど、特に人形遣いが少ない。まずは文楽を観に来ていただいて、興味を持っていただけたらうれしいですね。私自身、家柄も何もなく、たまたま近所に人形遣いの家があって(文楽に)出会ったのがきっかけですから。世襲制度がなく、自分の努力次第なのが、文楽の良いところでもあります。

文楽には、七十の芸、八十の芸という言葉があります。私自身、今年10月に70歳になるのですが、人形遣いとしてはこれからが始まりだと思っています。認定していただいたからといって、何かが変わるわけではないのですが、お客様にも楽しんでいただくために、これから先を目指して芸を高めていきたいですね。

吉田玉男

吉田玉男

プロフィール

吉田玉男(ヨシダタマオ)

1953年、大阪府生まれ。1968年に初代吉田玉男に入門、吉田玉女と名乗る。1969年に朝日座で初舞台。2015年に吉田玉男を襲名。2020年に紫綬褒章受章、2023年に、重要無形文化財「人形浄瑠璃文楽人形」保持者の各個認定(人間国宝)を受ける。