「キティ」市原佐都子と韓国・日本・香港のアーティストが作る“かわいい”から始まり、宇宙へ到達する物語

国内外から注目を集めるアーティスト・市原佐都子が2月、京都で新たな作品を立ち上げる。“かわいい”を象徴するような存在、子猫(kitty)をタイトルに掲げる本作では、主人公のねこが家庭の中、そして社会の中で出会うさまざまな“かわいくない”出来事に違和感を感じていく様が描かれる。創作を共にするのは、以前も市原作品に出演経験があるソン・スヨン、永山由里恵、バーディ・ウォン・チンヤン。韓国・日本・香港の作り手たちは、本作にどのような思いで臨むのか。

ステージナタリーでは2024年12月末、本格的なクリエーションを目前に控えた4人にオンラインでインタビューを行った。3カ国語が飛び交う座談会は長時間に及んだが、インタビューでも語られている通り、1つの話題を全員が通訳を介して理解するまで待つ時間は、まるで乾いた土に水が染み込んでいくような、豊かなひとときに感じられた。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 中谷利明

7年ぶりの再タッグに高まる期待

──本作は、2022年の「妖精の問題 デラックス」以来、約3年ぶりに市原さんがロームシアター京都で上演する作品となります。4月に行われたロームシアター京都の2024年度ラインナップ発表では、韓国でリサーチを行ったとお話しされていましたが、新作にどのような構想で臨まれたのでしょうか?

市原佐都子 ロームシアター京都のプログラムディレクターである小倉由佳子さんと、何もないところから相談して進めてきました。韓国にフィーチャーしようと思ったのは、小倉さんが以前から韓国の事情に興味を持たれていたり、私も2017年に韓国のソウル・マージナル・シアターフェスティバルに参加させてもらったり、2018年には韓国・日本・香港3カ国共同制作による「私とセーラームーンの地下鉄旅行」に参加したりと、韓国との関わりが多かったからです。韓国と日本は文化的にもすごく似ているところがあるんだけれど、全然違うところもあって、その思いを発端に“韓国に関する何か”というふうに作品の方向性が決まっていきました。ただどこから作品を作っていけばいいのか考えあぐねていたところ、シンパク・ジニョンさんの「性売買のブラックホール」という本に出会って、韓国の性売買についてリサーチしようと思いたち、昨年2月、韓国へ行って、作家の方に会いに行ったり、性売買に対していろいろな考えを持っているアクティビストに会いに行くなどのリサーチを行いました。

市原佐都子

市原佐都子

──「キティ」には、今お話に挙がった「私とセーラームーンの地下鉄旅行」にも出演された韓国のソン・スヨンさん、日本の永山由里恵さん、香港のバーディ・ウォン・チンヤンさん、さらにダンサーの花本ゆかさんが出演されます。「私とセーラームーンの地下鉄旅行」は日本では未発表ですが、どのような作品だったのでしょうか?

市原 韓国のプロデューサーによる3カ国のアーティストで作品を1本作るという企画で出会いました。作品を作るにあたりたくさん話し合いをする中で、私たちはみんな1980年代生まれで、ポップカルチャー、マンガやアニメなどに共通点が多かった。それでそれを作品の材料にしていこう、ということになりました。

永山由里恵 「私とセーラームーンの地下鉄旅行」では韓国で1カ月間稽古が行われ、香港と日本のメンバーは共同生活しながら創作にあたったのですが、私はそのことがすごく印象に残っています。朝から晩まで毎日話し合いをする中で、韓国も日本も地下鉄が多いこと、幼少期に見ていたアニメやマンガのイメージにセーラームーンが出てくることなど、いくつかの共通点が見つかり、最終的には市原さんが東日本大震災に着想を得た戯曲を上演するシーンがあったり、香港の民主化運動に対する思いやその時の団結の歌(「香港に栄光あれ」)をみんなで歌うシーンがあったりと、いくつかのパートから成る作品になりました。

ソン・スヨン 当時から私はクリエイティブ・ヴァキという劇団のメンバーとして活動しています(編集注:イ・キョンソンが主宰する団体。現代社会における問題に、メディアやパフォーマンス、インスタレーションなどを用いて斬り込む)。クリエイティブ・ヴァキは演出と役者という役割が分けられていなくて、みんな一緒にクリエーションし練習して舞台に立つという作り方をしているので、話し合いを重ねながらクリエーションしていく手法にはなじみがありました。ただ、私たちは同じ東アジアとはいえ、全然違う文化的な背景を持っているので、まずお互いを知り合うということがクリエーションの一番大きな土台になったと思います。面白かったのは、お互いの言葉を教え合う、習い合うということがクリエーションの過程でよくあって、それがそのまま作品にも反映されていたこと。例えば稽古中、あるトピックについて話しているとき、全員が通訳さんを介して意味を理解するまでちょっとしたタイムラグが生まれるのですが、そのことが作品の中にも描かれていました。

バーディ・ウォン・チンヤン 私もそれは面白いと思いましたね。ただ、通訳の方が訳してくれるのを待っている間、言葉の意味はわからないんだけど、相手の表情やボディランゲージでそれがどういう話なのかなんとなく理解し合っていたんです(笑)。その一方で、同じ事柄の見え方が3カ国間で全然違っていることがあったのも印象的でした。また由里恵さんも言っていた通り、1カ月一緒に住んでいたので、最終的にお互いの国の言葉をけっこう理解するようになって、いい言葉だけでなく日常会話で使うような悪い言葉もかなり覚えました(笑)。

左から市原佐都子、ソン・スヨン、永山由里恵、バーディ・ウォン・チンヤン。

左から市原佐都子、ソン・スヨン、永山由里恵、バーディ・ウォン・チンヤン。

──皆さんのお話から「私とセーラームーンの地下鉄旅行」のクリエーションが刺激的で充実したものだったことが伝わってきます。ちなみに皆さんは普段、どのような活動をされていて、市原さんとのクリエーションにはどういった印象を持ちましたか?

バーディ 私は香港のArtocrite Theaterを拠点に活動していて、クリエーションにおいては俳優としてだけでなく、創作面にも携わっています。自分たちの劇団で取り扱う作品は、個人の自由の限界と人間の欲望、暴力と性的な問題について描いたものが多いので、佐都子さんの目線と近い雰囲気やテーマの作品が多いと思います。

永山 私は2016年から平田オリザ氏が主宰する劇団青年団に所属していまして、現在は舞台と映画を中心に活動しています。市原さんとのお仕事は「バッコスの信女-ホルスタインの雌」や「毛美子不毛話」など、今振り返ってみると自分自身の俳優としての活動においても毎回印象的と言いますか、大きな成長につながる、特別な作品が多いです。そんな中、今回また一緒に新作を作れるのがとてもうれしいですし、スヨンとバーディと一緒に作品が作れることへの期待も大きいです。

永山由里恵

永山由里恵

スヨン さきほどお話しした通り、私はクリエイティブ・ヴァキという劇団に所属しています。ヴァキではみんなが作・演出、パフォーマーをするのですが、私は最近、自分1人で作・演出・出演する作品も発表しています。佐都子さん、バーディさん、由里恵さんと出会った「私とセーラームーンの地下鉄旅行」は、ショーケースのような形でごく短い作品として上演されたのですが、本当はもっと交流を深めて本公演にしたかった。それが心残りでもあったので、今回一緒にお仕事しながらあのときできなかったこと、足りなかった会話、考え方の共有などができればと思っています。また「私とセーラームーンの地下鉄旅行」ではみんなで一緒にクリエーションを進めていくというやり方でしたが、今回は佐都子さんが戯曲をすべて書き、それを元に創作を進めていくので、私たちが戯曲に対してどのように臨むのか、クリエイターとしての観点をどうやって反映していくか、という点が楽しみです。

市原 2017年のクリエーションを思い返すと、私自身は今よりもっと心を閉じていたと思うんです。でも人と話すことや、話す中でアイデアを見つけていく大切さを当時皆さんから感じて、前回のクリエーションは私にとって本当に大事な経験だったなと思います。例えばバーディはすごく明るいので、彼女に感化されて自分の心が開いていく感じもありましたし、スヨンが丁寧に話してくれるのを聞いて、「ああいう風に人と関わりたいな」と感じたりもしました。永山さんとはそれ以前に日本でクリエーションしたこともあったのですが、一緒に暮らす中で知ったことも多く、パーソナルな部分で刺激を受けました。

市原佐都子

市原佐都子

バーディ・ウォン・チンヤン

バーディ・ウォン・チンヤン

“かわいい”ねこが、現実と向き合うとどうなるか

──タイトルは“子猫(kitty)”を意味する「キティ」。主人公のねこは、ママが作ったアップルパイが大好きで、パパが好む肉料理は「かわいくない」と嫌厭します。「かわいい」というワードは劇中でたびたび繰り返されますが、私たちが日常会話の中で使うのと同様、さまざまな意味に拡大・拡散していきます。

市原 「かわいい」にも社会の中で生き残るための戦略的なかわいいなど、“かわいいとは思えないかわいい”があって、本作ではそういったいろいろな「かわいい」を描きたいと思っています。

また今回は、本格的なクリエーションの前に2回ぐらいオンラインで対話をして、そこでもいろいろなトピックについて話をしたんですけれども、同じようなものを知ってはいるけれど捉え方が違ったり、考え方が遠かったりして改めて面白いなと思いました。特に今回の戯曲は、社会の中で性がどう捉えられているかについて書いているので、「今、この作品を誰とやりたいか?」と考えたら、やっぱりこの3人だなと。彼女たちとやることで、どんな作品になっていくのか楽しみです。

──12月には市原さんが芸術監督を務める城崎国際アートセンターで滞在制作が行われ、永山さんと花本さんが成果発表会に出演されました。

永山 市原さんの作品ではいつも、人間の、特に隠されていたり見えないようにされていることが取り上げられていて、だから市原さんの戯曲を読むといつも、自分自身がナイフで刺されるような強いインパクトをもらいます。今回の「キティ」も、それは同じです。主人公のねこは、ホストにハマって性産業に足を踏み入れていき……と、ねこを介して現代人の欲望と消費が描かれます。また、「かわいい」ものとして、たとえばさまざまなキャラクターが思い浮かびますが、キャラクターだからと言って子供が対象というわけではなく、大人にも好まれるキャラクターもいて、劇中で語られる「かわいい」にもグロテスクさやネガティブなど、さまざまな意味が感じ取れるんじゃないかと思います。

スヨン 戯曲を最初に読んだときに印象に残ったのは「知らないうちに私もAVのエキストラになっていた」という一節でした。性別の問題に限らず、いろいろな現実が反映されている戯曲で、シーンごとに強いインパクトがあり、これが舞台上でどう再現できるかは興味深いです。それから星座占いの話が出てきますが、それを狙って書いたのかはわかりませんけれども、占いを信じるって男性的ではないというイメージが韓国にはあって、女性が好きなことをあまりいいものとして扱わない傾向があるんですね。そういったイメージを、「キティ」ではあえて誇張しているような感じを持ちました。

ソン・スヨン

ソン・スヨン

バーディ・ウォン・チンヤン

バーディ・ウォン・チンヤン

バーディ 私は「キティ」の台本を読みながら、韓国の作家ハン・ガンの小説「菜食主義者」(編集注:平凡な妻・ヨンヘが、ある日突然、肉食を拒否して痩せ細っていく様を描く)と少し似ているような気がしました。肉食文化と人間の身体的・精神的な問題との結びつきについての考えや、性的関係においてやはり男性が主導権を持っていて、女性は黙って受け身の一方であるという感じが、「キティ」と似ているなと。実は一昨年、自分の劇団でも「菜食主義者」を翻案し、演出したのですが、その時も人間の欲望と自己の自由というテーマにどうやって深く切り込むのか、現代社会における個人と社会の関係をどうやってやり取りするのかということが一番の課題でした。ただ「菜食主義者」に比べて「キティ」では、AV、ホスト、家族、星座、YouTuberといったワードを使っているのが、モダンだし、具体的で面白いなと思います。

また物語は冒頭、家族3人のシーンで始まりますが、お話が進むにつれて主人公のねこが社会の中でどうやって生きていくかが描かれ、最終的には宇宙の話にまで展開します。個人の社会とユニバーサルな世界の中で、1人の女性がどうやって成長していくかが描かれるわけです。可愛らしくピュアなイメージのあるねこが、それとは矛盾する現実の厳しさに向き合ったときにどんな摩擦が生じるのか、そこがどう描かれるのか、個人的にはそこが一番興味深いです。