目まぐるしく変化していく日々、ふと非日常的な時間や空間に浸りたくなったら、“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”。「四月大歌舞伎」では、尾上右近と尾上眞秀が歌舞伎舞踊の大曲「連獅子」を披露。2024年に右近の自主公演「研の會」で好評を博して2年、満を持しての歌舞伎座初登場となる。
ステージナタリーでは本作のビジュアル撮影の様子をレポート。歌舞伎俳優としてますます油が乗る右近、心も身体も大きくなった眞秀が奮闘する姿を追った。
取材・文 / 川添史子撮影 / 藤田亜弓
完璧なビジュアル撮影を目指して準備開始!
2月末、尾上右近&尾上眞秀による「連獅子」のビジュアル撮影が行われた。「連獅子」は実にさまざまな宣伝ビジュアルが存在する演目だが、今回は、まだ誰も見たことのないポスターデザインを目指すとか……! この日撮影が行われるスタジオに到着すると、数々のドラマチックな演劇ポスターを手掛ける、アートディレクター東學&カメラマン渞忠之という強力タッグが既に準備万端で待っていた。
控室をのぞくとラップをBGMに(選曲はDJ眞秀担当)、2人そろって鏡の前に並び、仲良く化粧を開始したところ。13歳の眞秀は尾上菊史郎(※七代目尾上菊五郎門下)に化粧をしてもらっている。この日頼もしい助っ人として入る、尾上菊三呂(※同)も忙しそうに立ち働く。床山さんによると「眞秀さんが仔獅子をなさった『研の會』(2024年)よりもだいぶ背が伸びたので、前回と比べて毛の長さもギリギリになってきました」とのこと。この年代の成長は著しい。
「僕は『早く自分で化粧してみたい』と思うタイプの子供でしたから、眞秀さんにも『早く自分で顔ができるようになるといいね』と話しています。描き方を失敗して落ち込みながら舞台に出たこともありますが、そこから学ぶこともありますから。『連獅子』の仔獅子を勤めたとき、(六代目尾上菊五郎最後の弟子)尾上菊十郎さんから眉毛の描き方を習ったことも忘れられない思い出です」(右近)
宣伝ビジュアル撮影は本番通りの拵えだけに、スタジオにはさまざまな裏方さんが続々と到着。こうした撮影は衣裳や鬘や小道具のチェックの場でもあり、技術や伝統が継がれていく貴重な機会でもあるのだろう。
今回見学していて改めて驚いたのは、「連獅子」では身体を大きく見せるため、衣裳の下にもたくさん着込んでいること。最後に、豪華に輝く金糸や銀糸が織り込まれ、ずっしりとした「唐織」、そして「大口」と呼ばれる大きな袴を身につけ、さらに重さは倍増。この状態で1時間近く踊る歌舞伎役者の身体能力に改めて驚く。
「二年前の初役よりは重い衣裳に慣れました。身体がガッチリ固定されているような感じで動きにくいけれど、いっぱい動いて、大きく見せることが目標。お客さまに立派な仔獅子を感じていただきたいです」(眞秀)
「思い切りカッコつけたいのに、動きにくくてカッコつけられないんですよね。僕も初めて憧れの衣裳を身につけたとき『こんなに重くちゃ、思っていたように動けない、理想と違いすぎる!』と怒りがこみあげました(笑)。でもだんだんと慣れて、衣裳に制約を受けず、振り回されなくなると楽しくなるんです。仔獅子は自分に向き合う役だから、次第に親が見えなくなるんですよ」(右近)
会心のショットを求めて奮闘する2人
眞秀がカメラの前に立ち、ソロカットの撮影がスタート。一つひとつ凛々しくポーズを決めていく。カメラの後ろからは右近が身体の向きや視線の位置などを細かく指示し、的確に応えていく様子は頼もしい。その後、いよいよ2人そろっての撮影が始まった。今回の大きなコンセプトは、前シテと後シテの組み合わせ、つまり舞台上ではあり得ないツーショット。右近が片膝をついてグッと低く構え、上から眞秀が足で押さえるような形でポーズを取ると、スタジオ中から「おぉ~」という声が上がる。人間である狂言師(現実)と獅子の精(ファンタジー)が交差する、どこか幻想的な画(え)は、かなり新感覚! 宣伝ビジュアルならではの瞬間が生まれた。
右近いわく「(眞秀の母である寺島)しのぶさんが、僕が昨年『春興鏡獅子』を踊ったときのポスターを気に入ってくださって、『今回も斬新なものに』とリクエストされ、張り切って構図を考えました」とのこと。撮影を見守りにきていた寺島にもコメントを求めると、「あの月は歌舞伎座に貼られたケンケン(右近の愛称)の素晴らしい『鏡獅子』のポスターの前で、海外からのお客さまが列をなして写真撮影をしていました。やっぱり多くの人の目に留まるビジュアルじゃないと」と笑顔で教えてくれた。
その後もツーショットでさまざまなポーズをおさえ、いよいよ眞秀が毛振りをするときがやってきた。舞台と違ってカメラマンと息を合わせる技術が重要となる。右近が「きたきた~」「できてる!」と励ましながらアドバイスするたびに、どんどん上達していく眞秀。会心の一撃が出るとそこにいた全員から大拍手がわきおこる。獅子の鬘は頭にぎゅっと締め付けてあるので、長時間になってくるとかなりキツくなるそう。だが弱音も吐かずに見事に頑張った。ここで眞秀の撮影は終了。最後は右近のソロショット。さすが、どんなポーズも様になっており、全てがシャッターチャンスだ。撮影が終わると全員でモニターを確認。どのカットも大迫力で力強く、生き生きと躍動していた。
「眞秀さんの中の『良い作品に仕上げたい』という気持ちが前に出る、いい時間でした。僕が最初に眞秀さんと『連獅子』をやろうと思ったのは、『他の人が親子でやっている姿を観ると、寂しい気持ちになる』と聞いたことがきっかけでした。僕も父が歌舞伎役者ではないから、かつてはそういう気持ちがありましたから。でも役者としては、寂しい気持ちも表現のエネルギーになりますし、先輩お一人おひとりが兄や親代わりの存在で、ご縁に恵まれ、引き上げられて今がある。今度は僕がバトンを渡す番です。歌舞伎の大きな魅力だと考えている、楽しく、はつらつとした、真っ直ぐな部分を伝えられたら、と思っています」(右近)
化粧を落とす眞秀に今日の感想を聞くと「すごく楽しかったです!」と充実した表情。2年前、右近が眞秀に掛けたという「歌舞伎がお父さんだと思えばいいんじゃない?」という実感がこもった言葉の、なんと温かいことか。右近に「将来、眞秀さんの親獅子が次のバトンを渡すのでしょうね」と伝えると「そんなの……泣いちゃいます」とのお答え。先輩から後輩、親獅子から仔獅子へ──確実に“伝わるもの”がある。
ビジュアル撮影の前に行われた記者会見では、2人がそれぞれに作品への思い、意気込みを語った。
尾上右近
自分自身、引き続き勉強すべきことも山ほどありますし、技術面では職人として彼に伝えていくべきこともあります。でもそんなことよりも、眞秀さんが未来永劫、歌舞伎を信じることができるようなひと月にしたいと思っています。自分の十代を振り返ってみても、やはり先輩からそういう瞬間をたくさんもらっていたと思うんですよ。
ひと月やるのは彼にとって、体力的にも大変だと思います。でも歌舞伎は、楽してカッコつけることはできないし、大変だからこそやりがいがある仕事。歌舞伎座の公演ということは本物のプロの舞台ですから、「真剣に取り組んでほしい」と最初に伝えましたし、とことん舞台に向き合ってほしいと思う。そして歌舞伎と僕と、歌舞伎の未来を信じてもらえるように、親獅子として命がけでひと月勤めたいです。
尾上眞秀
「研の會」で右近さんと「連獅子」の稽古をする中で、「親子かどうかは関係ないんだ」と思えて、そこから楽しく稽古ができるようになりました。「研の會」の時はまだ慣れないところもありましたが、今回は2回目なので、前より1ステップ、2ステップレベルアップしていたいです。
あとは、ダイナミックさ……ジャンプも派手に決まると、やはりお客さまも「わ!」と驚いてくださるじゃないですか。僕は歌舞伎の、そういったところがとても好きなんです。右近さんがバーンって飛ぶと、すごくカッコいい。今回は、ああいう瞬間を目指してみたいと思っています。基礎的な動きに気をつけながら、仔獅子は元気に、自分が思っている5倍ぐらい身体を大きく使わないと小さく見えてしまうので、スタミナが大事だなと思っています。
プロフィール
尾上右近(オノエウコン)
1992年生まれ。音羽屋。曾祖父は六代目尾上菊五郎。2000年に初舞台。2005年に二代目尾上右近を襲名。また、2018年に清元栄寿太夫を襲名。第33回読売演劇賞 杉村春子賞、令和7年度(第76回)芸術選奨 新人賞を受賞。5月に「團菊祭五月大歌舞伎」に出演。
尾上右近 公式サイト | Onoe Ukon OFFICIAL SITE
尾上右近/UKON-ONOE (@ukon_onoe.eiju_dayu.kenx2) | Instagram
尾上眞秀(オノエマホロ)
2012年生まれ。寺島しのぶの長男。祖父は七代目尾上菊五郎。2017年に歌舞伎座「魚屋宗五郎」の魚屋丁稚与吉で初お目見得。2023年に歌舞伎座「音菊眞秀若武者」で、初代尾上眞秀を名乗り初舞台。8月から9月にかけてBunkamurProduce 2026 マルコス浄瑠璃「金閣寺」に出演。
尾上眞秀 | アーティスト | a petits pas - 株式会社アプティパ


