「僕は日本のプッチーニ」、その心は
縄田 先日の国際交流基金賞受賞記念講演会で、細川さんはご自分を「日本のプッチーニ」と紹介されていました。「蝶々夫人」「トスカ」「ラ・ボエーム」などの作品で知られるプッチーニですが、ぜひその“含み”を説明していただきたいです(笑)。
細川 (笑)。ジャコモ・プッチーニは、男女の恋のもつれを描いた作品が多い作曲家なんですね。現代は、特にドイツでオペラを上演する際、インテレクチュアル(知的)なテーマを持った作品であることは重要です。が、私の作品では例えば「海、静かな海」にしても、福島を舞台にはしていますが、能の「隅田川」をベースにしていますので、やっぱり男女の関わり合いが描かれています。
縄田 また、谷崎潤一郎の作品に基づいたオペラの構想が思い浮かんでいるとお話されていました。作品名は具体的に浮かんでいるのでしょうか?
細川 「地震・夢」(18年初演)があまりに現代的な、かつ政治的な強いメッセージを持った作品だったので、次は全然そうではないものが作りたいなと(笑)。谷崎の「鍵」とかね、エロティックなものがやりたいなと思っていますが、まだそれは具体的じゃないです(笑)。実は04年にエクサンプロバンス音楽祭で作品を手がける際、「班女」と一緒に企画を出したのが「鍵」だったんですよ。でもエロティックすぎると却下されまして(笑)。
一同 あははは(笑)。
細川 と言っても、ヨーロッパの性的な表現はとてもえげつなくって、ヨーロッパ人が日本的なエロスや陰翳礼讃の世界観を描こうとしても、なかなか表現できていない。ただ、例えば衣擦れの音や光を使うことで、僕にしかできない音楽的な表現があるんじゃないかと思っていて。それをやってみたいと思っています。
縄田 それはぜひ拝見したいですね。
分析し、解体する力が新しさを生む
──皆さんはそれぞれ、細川さんは西洋音楽、青木さんは能、縄田さんはドイツ語と、ご自分で体得された表現法をお持ちで、現在はその“媒介”を通して日本文化を見つめる活動をしていらっしゃいます。そんな皆さんが感じている今の日本とは、どのようなものでしょうか。
細川 現代作家の多和田葉子さんはエクソフォニー(編集注:母語の外に出た状態のこと。ドイツ語と日本語で創作を行ってきた多和田は、言語を越境することで得られる発見や広がりについて著書「エクソフォニー─母語の外に出る旅」で語っている)という言葉を使われていますが、今の日本の音楽教育はほとんどが西洋音楽、しかも18世紀とか19世紀の過去の音楽システムをベースにしています。そういう音楽言語で育った日本人の私が作曲するとき、いつも「本当の私は誰なんだろうか」ということを考えます。ヨーロッパの音楽は強い影響力を持っていますが、それに相対するような音楽が日本の中にもあるんじゃないかと思うんです。よく僕は“西洋の料理にちょっとお醤油をかけて食べる”という言い方をするんですけれど、西洋音楽をそのまま受け入れて、そこにちょっと日本的な味付けをするというやり方では、本当に力強い音楽や言葉は生まれてこないのではないか、と。その点、ヨーロッパでは18、19世紀の音楽を後世の音楽家たちが自ら批判的に解体し、新たな音楽を生み出しました。私たちも雅楽や能楽などを分析し直し、新しいものを作っていかないと。解体する力がなければ新しい要素は生まれませんし、博物館的に伝統を継承するだけになってしまいますから。
青木 今、「2020年に向かって、普通の能ではなく新しいものを」と求められているようなのですが、日本人も実はそこまでお能のことを知らないし、みんなが持っているぼんやりとした能のイメージにちょっとテクノロジーを混ぜたところで、能を消費しているだけと言うか、面白いものってなかなか生まれてこないと思うんです。また自分が海外に留学したり現代音楽の世界に踏み込むようになって思ったのは、現代音楽の作曲家が求めるものと能の現場の技術・考え方にはものすごく開きがあるということです。ただピーター・ブルックのもとにいた笈田ヨシさんや、ロバート・ウィルソンの作品に振り付けた舞踊家の花柳寿々紫さんのように、日本の伝統と西洋の先端というすごく開きがあるものを媒介した方がいらっしゃいます。そのお陰で素晴らしい新しい作品が生まれてきたと思うんです。実際行うのは難しいことではありますが、私もそういう創作の現場にいたいと感じています。
縄田 僕はドイツ文学者で日本語からドイツ語を見たり、ドイツ語から日本語を見たりということをしていますが、そうしていると1つの観点に固定されずに済むので自由になれます。また世の中はいろいろなことが絡み合っているのだという様が見えてきて、自分の目が繊細になると感じます。
細川さんに期待すること
──最後に、今後さらなる活躍が期待される細川さんへ、お二人からメッセージをお願いします。
縄田 谷崎のオペラが実現すれば、とても楽しみです。また細川さんがこれまでお作りになった作品がどのように発展していくのか、また18年11月に多和田葉子さんと細川さんがコラボレートしたことで、そこから今後何が生まれてくるのかなど、気になります。
青木 私も1つの作品がさまざまな形で上演されていくのは面白いと思っています。例えば「班女」は大好きな作品で、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル演出版とカリスト・ビエイト演出版、どちらも拝見しています。ケースマイケル演出版は“ベルギー版能”と言いますか、能の人が観ても納得の(笑)、新しい解釈が施されていて、個人的に最高傑作だと思っています。一方のビエイト演出版は細川先生の音楽をとてもよく捉えていて、劇的なドラマになっていることに惹きつけられました。そのように、1つの作品に対してさまざまなバージョンが生まれているので、ヨーロッパのオペラシーンはとても面白いですし、日本もそのような形でオペラ上演の機会が増えれば、と思います。
縄田 まったく同感です。「松風」は驚くべき舞台、素晴らしい体験で、あの作品が新国立劇場で上演されたのは画期的だったと思います。ただあれで終わってしまうのではなく、細川さんの作品をはじめ、さまざまな新しいオペラが日本でももっと上演されてほしいと強く思いますね。
細川 「二人静」くらいのサイズの作品だと上演しやすいのですが、規模が大きい作品はお金もかかるので、再演が大変ですね。
青木 「二人静」に関しては、17年にパリで平田オリザさん演出による演奏会形式で世界初演されました。1月にトロント、3月に韓国でそれぞれ別の演出家により上演される予定です。日本ではオペラってまだまだ古典のイメージですけど、アートのファンでもコンポラリーダンスが好きな人でも、オペラって全然許容できる、間口の広いものだと思います。
細川 確かに、いろいろな要素が絡み合い、ものすごい力になり得るのがオペラ。演出によって、自分でも音楽がまったく違って聞こえることがあるんです。「この曲、本当に僕が書いたのかな?」って思ってしまうほど(笑)。そういうときは作曲家冥利につきます。オペラはそこが面白いですね。
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細川俊夫氏 講演会レポート
- 細川俊夫(ホソカワトシオ)
- 1955年広島県生まれ。76年から10年間ドイツに留学。ベルリン芸術大学でユン・イサンに、フライブルク音楽大学でクラウス・フーバーに作曲を師事する。80年に作曲活動を開始。これまでの主な作品にオペラ「班女」「循環する海」「夢を織る」「松風」、モノドラマ「大鴉」、「ホルン協奏曲─開花の時─」「嘆き」など。2016年に東日本大震災後の福島をテーマとしたオペラ「海、静かな海」(原作・演出:平田オリザ)を初演、17年にはオペラ「二人静─海から来た少女─」(原作:平田オリザ)、18年にはオペラ「地震・夢」(原作:ハインリヒ・フォン・クライスト「チリの地震」、台本:マルセル・バイアー)を手がけた。12年に紫綬褒章を受章。
- 青木涼子(アオキリョウコ)
- 能×現代音楽アーティスト。東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻卒業(観世流シテ方専攻)。同大学院音楽研究科修士課程修了。ロンドン大学博士課程修了。世界の主要な作曲家と共同で、能と現代音楽の新たな試みを行っている。2010年より作曲家に委嘱するシリーズを主催しており、14年にデビューアルバム「能×現代音楽」をリリース。13年にマドリッド、テアトロ・レアル王立劇場で上演されたW・リーム作曲オペラ「メキシコの征服」にマリンチェ役で出演。15年度に文化庁の文化交流使に任命され、ヨーロッパで活動を展開した。17年のパリ・フェティバル・ドートンヌにて「二人静─海から来た少女─」(作曲:細川俊夫、原作:平田オリザ)に出演。19年はペーテル・エトヴェシュ「Secret Kiss(くちづけ)」が3月9日に東京・東京文化会館で、またヨーロッパ各地で予定されている。
- 縄田雄二(ナワタユウジ)
- ドイツ文学者。東京大学で博士号を、ベルリン・フンボルト大学で教授資格を取得。研究分野は、近現代ドイツ文学、現代ドイツ思想、比較文学・比較文化。現中央大学文学部教授。ドイツ語著書「Vergleichende Mediengeschichte」(2012年、Fink)、「Kulturwissenschaftliche Komparatistik」 (16年、Kadmos)、共訳書「詩と記憶──ドゥルス・グリューンバイン詩文集」(16年、思潮社)。
2019年1月28日更新