大竹しのぶ「ふるあめりかに袖はぬらさじ」で初の芸者役に挑む「笑って泣いて考えさせられる、有吉佐和子作品を劇場で体感して」

有吉佐和子による戯曲「ふるあめりかに袖はぬらさじ」が、9月に新橋演舞場で上演される。1972年に文学座が戌井市郎の演出、杉村春子の主演で初演した本作は、開国派か攘夷派かで揺れる、幕末の横浜にあった遊廓・岩亀楼を舞台にした物語が展開する。本公演で大竹しのぶが演じるのは、杉村のほか、坂東玉三郎や水谷八重子も演じてきた主人公の芸者・お園。物語のキーとなる花魁・亀遊の昔なじみで、明るくおしゃべりなお園を、大竹はどのように演じるのか。コミカルな笑いを交えながらも、重厚なテーマを描く有吉作品の魅力についても大竹に語ってもらった。

取材・文 / 今村麻子撮影 / 須田卓馬

笑いの中に隠れているお園の心情

──大竹しのぶさんは、ここ1年を振り返るだけでも、時代も国もまるで異なる作品で主演を務めてきました。2022年秋から冬にかけては「女の一生」で布引けいの人生を16歳から60歳まで演じ、今年の春はミュージカル「GYPSY」で娘たちをボードビルの世界で活躍させるために奮闘するステージママとして歌唱も披露。6月から7月はイングマール・ベルイマンが書いた一人芝居「ヴィクトリア」をやったばかり。どの作品でも“大竹しのぶの当たり役”と言われるほど観客を魅了してきました。今回は幕末の遊廓、横浜岩亀楼を舞台に、芸者お園を演じます。お稽古に先駆けて、早くから三味線の練習を始めていたそうですね。

芸者役は初めてで、これまで三味線にはまったく触れたことがなかったんです。出演が決まったときからずっと「三味線をやらなくちゃ!」と思っていました。思っていたのですが、ほかのお芝居をやっていると、それ以外のことは全然できなくて。例えばミュージカルをやっているときは「今日も歌がうまくいきますように」ということしか考えられなくなり、一人芝居「ヴィクトリア」の台本が届いていてもなかなか読めない。「ヴィクトリア」のお稽古が始まれば、ヴィクトリア中心になります。一応、旅公演には三味線も持っていったのですが、ほとんど開けないままで(笑)。三味線には今まで興味を持つ機会がなかったのですが、新しい挑戦は楽しいですね。本番までに弾けるように練習をしているところです。

大竹しのぶ

大竹しのぶ

──冒頭からとにかくお園は弁が立つ女性で、ずっとしゃべっています。病床の花魁、亀遊(美村里江)を気にかけ、窓からの眺めや二日酔いのこと、目に映ったものや最近の世情をずっと話す。亀遊のリアクションには「嬉しかったら笑うものですよ」と自ら笑ってみせたり、通訳の藤吉(薮宏太)には「私に手を出しちゃいけないよ」「お前さんは岩亀楼お抱えの通訳、私は抱え芸者」と遊廓のしきたりを伝えながらも「遊廓の掟がなんだってんだ」「妬けるねえ」と、藤吉が来てから亀遊の顔色がよくなったことを見抜いたりと鋭いお園さんです。

お園のセリフは、しゃべっていて楽しいです(笑)。「せいぜいお繁りなんし」「ありんす」など吉原の里言葉もたまにありますが、いい戯曲のセリフはすぐに頭に入ります。有吉先生の戯曲はリズムもいいし、面白い。ペラペラと思ったことを心地のいいテンポで口にして、おしゃべりな人はしゃべっているととても幸せということもとてもよくわかりました(笑)。亀遊や藤吉だけでなく、三幕では浪人客や町人客など、四幕では思誠塾の門人に対しても、口が達者でずっとしゃべっています。そのセリフの、笑いの中に隠れている悲しみ、言葉の裏にある人間の愚かさや切なさを、お客様に感じてもらえたらうれしいですね。

生きるための嘘、真実になる悲しみ

──お園は自分のことを「吉原にいた飲んべえの三味線でございますよ」「時計仕掛けでお酒がなくては一日が始まらないんでござんすよ」と言うほどお酒が大好きで、亀遊から「お園さんは幸せね。いつも賑やかで楽しそうで」と言われるほどおしゃべりですが、お園のこれまでの人生についてはあまり話されていません。

お園の過去は、吉原にいたということ以外はほとんどわかりません。お園にとって吉原にいた時代はキラキラした思い出で、女郎として苦労して生きて横浜まで流れてきました。お酒が大好きで、ちょっとアル中かなと思うほど(笑)。横浜岩亀楼でも楽しくベラベラとしゃべって明るく振る舞っていますが、幸せか不幸せのどちらかといったら、お園は幸せではないわけですよね。生きていかなくてはいけないから、お酒を飲まなきゃやっていられないわけです。

大竹しのぶ扮するお園。©松竹

大竹しのぶ扮するお園。©松竹

──花魁の亀遊については、深川で漢方の医師をしていていた親と死に別れ、吉原から横浜へ流れてきたという出自を話します。亀遊は蘭学の医師を志す通訳の藤吉と恋仲になるものの、岩亀楼に借金のある遊女のため、留学資金を貯める藤吉には身請けできない。亀遊を気に入ったアメリカ人の客イルウスが「ワタシ、買イマス」と岩亀楼の主人(風間杜夫)から言われた法外な金額で落籍。亀遊は藤吉と一緒になれないことを憂い、自ら死を選びます。

お園が藤吉に「どうして亀遊さんを連れて二人で逃げなかったんだよ」「なぜ駈け落ちしなかったのさ」と言ったのも、亀遊と藤吉の純愛の若いカップルに対して、好きな人と添い遂げるという理想の気持ちがあったからだと思います。お園は、それをしたくてもできない現実がある。お園だけでなく人間は、思い通りに生きられる人、すべてを手に入れられる人なんて本当に一握りです。それでもお園はお酒を飲んででも明るく生きようとしているから、最後の「みんな嘘さ、嘘っぱちだよ」というセリフにとても悲しく切ないものを感じます。

──亀遊の死後、その真相を巡って瓦版が出ます。亀遊は異人に身体を許すぐらいならばと、自ら死を選んだ“攘夷女郎”として世間を賑わせます。お園は、作り話である亀遊の遺言や岩亀楼の主人(風間杜夫)の話に合わせて美談を騙って客を喜ばせ、遊廓は攘夷派の商人や武士の客で繁盛します。

嘘が真実のように広まることは怖いですし、今の時代の報道のあり方やインターネットなどのメディア社会と同じようです。それを約50年前に有吉先生はお書きになられているからすごいですよね。お園と岩亀楼の主人は瓦版に書かれた嘘に合わせて、嘘をついていきます。とんちとかの嘘ではなく、生きていくため自分の身を守るためにつく嘘で、それが真実になっていくから悲しい。ただおもしろおかしいということではない戯曲だと思います。

大竹しのぶ

大竹しのぶ

大竹しのぶ

大竹しのぶ

お園の視点で気づく有吉作品の魅力、語られる言葉の美しさ

──幕末から明治維新にかけて時代の転換期で、開国を求めてくる外国に対して江戸幕府に外敵を斥ける攘夷を求めて議論が沸き起こる時代。その渦中を生きるお園を演じることで、有吉佐和子作品の魅力はどこにあると感じますか。

有吉先生は「ここを主張したい」「これがテーマ」という書き方をしていないのに、作品に社会への批判も隠されているところも魅力ですよね。お園は、通訳の藤吉に「あんたは、勤皇? 佐幕? どっち?」と聞きます。でも、お園にしても亀遊にしても、廓で働く人たちにとってはどっちでもいいこと。吉原で芸者をしていたのに横浜の廓に流れてきて、なんとか明日のためにごはんを食べないと生きていけない。男社会という社会構造の中で生きるためには女郎として働かなくてはけない庶民の苦しさも感じます。お園の言葉の裏には現代にも通じるジェンダーのあり方など普遍的な大きな問題がところどころにちりばめられていて、笑いながらも泣いてしまうところに有吉作品の力強さを感じます。

──大竹さんのおっしゃる有吉作品のすごいところ、テーマとして主張しないのに社会の諸問題が浮かび上がってくる描き方は、有吉佐和子の小説に描かれる女性からも感じます。「非色」では人間が持つ差別意識や階層意識、「恍惚の人」では介護について、「紀ノ川」では女性の精神的な自立を描きながら、女性が男性に従属してしまうことへの批判も感じます。「ふるあめりかに袖はぬらさじ」のお園からは、生きていくための覚悟のようなものもあるように思います。

第三幕でお園は、客から「遺書は何処にあるんだい?」「その異人はいったい何者だったんだい?」などと質問をたくさんされて、亀遊は武士の娘で、攘夷女郎として懐剣で立派に死んだなど、嘘の答えをたくさんしゃべります。その後にト書きで「酒を飲む」とあるんです。自分たちが作った嘘の世界から引き返せなくなって、お酒を飲まないとやっていられない。そっち側の嘘の世界へ振り切って進んでいくお園の覚悟のような心の動きを「酒を飲む」というたった4文字のト書きですが、そこからも感じて、その後の第四幕はお園の嘘を重ねたショーのようですから。「攘夷女郎として天下に名高い亀勇さん……」ととうとうと語り出します。それは引きで見れば、すごく悲しいこと。でも、それが笑えるように見せたいと思っています。

大竹しのぶ

大竹しのぶ

大竹しのぶ

大竹しのぶ

──演出は齋藤雅文さんが手がけ、通訳をしながら医師になるためアメリカ留学を志す藤吉を薮宏太(Hey! Say! JUMP)さん、その藤吉と恋仲になる亀遊を美村里江さん、商魂たくましい岩亀楼主人を風間杜夫さんが演じます。

演出家の齋藤さんのもと、みんなで「一生懸命やるぞ!」という気合いにあふれる、とても良い稽古場です。風間さんは岩亀楼の主人役を生き生きとやっていらして、楽しんでやるということは、これほどまでに一緒にいる人をリラックスさせてくれるものなのですね。笑いとは、そこから生まれるものということが、お稽古の段階からよくわかって、お園の出てないシーンは引っ込みながらもずっと見ています(笑)。出演者は新派の方も含めて全員で42人います。18歳から出演している方や有吉先生がお元気でいらした頃に上演した「ふるあめりかに袖はぬらさじ」に出演経験のある方もいらっしゃって、有吉先生が実際に稽古場にいらしたときのお話、所作や歩き方、三味線のことも教えてくださるんですよ。

──有吉先生は1984年8月30日に53歳で逝去されますが、大竹さんは1981年に有吉佐和子原作のドラマ「和宮様御留」で主人公フキを演じています。この作品も「ふるあめりかに袖はぬらさじ」と時は同じく幕末で、開国派か攘夷派で二分される中、朝廷と幕府が協力して政局にあたる公武合体の象徴、皇女和宮について描かれています。和宮は江戸幕府の第14代将軍徳川家茂に嫁ぎます。大竹さん演じるフキは、和宮の替え玉として身代わりにさせられ、発狂していきます。有吉先生とお会いしたことはおありでしょうか。

「和宮様御留」は第18回ギャラクシー賞・選奨を受賞して、その贈賞式に有吉先生がいらしたんです。とても元気の良い先生という印象があります。だから、私の今回の目標は有吉先生にポンッ!と思い切り肩を叩かれて「あんた、良かったわよ!」と言ってもらうことです。日本の作家が日本の歴史を知ったうえで書く戯曲はこんなにも力があって、日本語の言葉がこんなに美しいということを劇場に体感しに来てほしい。笑って泣いて、考えさせられますから。有吉先生に「あんた、それでいいのよ!」と言ってもらえるお園をやりたいと思っています。

プロフィール

大竹しのぶ(オオタケシノブ)

1957年、東京都生まれ。1975年に映画「青春の門 -筑豊篇-」のヒロイン役で本格デビュー。蜷川幸雄、野田秀樹、串田和美、栗山民也、宮本亞門ら日本の演出家のほか、デヴィッド・ルヴォーやフィリップ・ブリーンといった海外の演出家の作品にも出演。読売演劇大賞の大賞及び最優秀女優賞、菊田一夫演劇賞、紀伊國屋演劇賞個人賞といった演劇賞を多数受賞。近年の出演作に「ピアフ」「女の一生」、Musical「GYPSY」、シス・カンパニー公演「ヴィクトリア」など。来年3月にミュージカル「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」への出演を控えている。またNHK-R1「大竹しのぶの“スペーカーズコーナー”」(毎週水曜21:05~)が放送中。