「あいちトリエンナーレ2019」市原佐都子×ホンマエリ(キュンチョメ)×サエボーグ 座談会|世界をグラデーションで捉える

8月に開幕した現代アートの国際的祭典「あいちトリエンナーレ2019」も後半戦へ。本特集では、自由な視点から既存の価値観に揺さぶりをかける3人のアーティストが登場。女性や動物の目線で現代社会の問題点に迫るQの市原佐都子、社会のさまざまな事象に身を置き、そこで起きる問題を映像インスタレーションとしてあぶり出す、アートユニット・キュンチョメのホンマエリ、ラテックス素材でできた“家畜”スーツを自ら着込みパフォーマンスを繰り広げるサエボーグの3人は、芸術監督・津田大介が掲げるテーマ「情の時代」にどう応えるのか。司会をパフォーミングアーツ部門キュレーターの相馬千秋が務める。

取材・文 / 熊井玲 撮影 / 川野結李歌

「あいちトリエンナーレ2019」チラシ
あいちトリエンナーレとは?
あいちトリエンナーレは、2010年から3年ごとに開催されている現代アートの国際的な祭典。4回目となる2019年は、ジャーナリストでメディア・アクティビストの津田大介が芸術監督を務め、「情の時代」というテーマのもと、国際現代美術展のほか、映像プログラム、パフォーミングアーツ、音楽プログラムなどが展開。会期は10月14日まで。

ジェンダーもグラデーションではないか?

相馬千秋 私が皆さんに最初にお声がけしたのが、1年半前くらいだったでしょうか。津田大介芸術監督が打ち出した「情の時代」というテーマに対して、私から皆さんに「パフォーミングアーツとしてはこういうアプローチを考えている」ということをお伝えし、そこから作品がどう発展していったのか、それぞれに伺えたらと思います。まずは、国際現代美術展ですでに作品を発表中の、キュンチョメのホンマさんからお願いします。

ホンマエリ

ホンマエリ 私たちの作品「声枯れるまで」は、名前とジェンダーをテーマにしています。あいちトリエンナーレは今回、「情の時代」というテーマと共に“ジェンダー平等”を掲げていますが(参照:相馬千秋「演劇にとって、“情の時代”はインスパイアリングなテーマ」)、それを聞いたときに私、「男女同数のアファーマティブアクションは大賛成! でも、ちょっと待てよ」と思ったんですね。ジェンダーって男女2つには分けられないもので、この世界はもっと多様なグラデーションの形があるし、私自身もそのグラデーションの中にいる人間だと思ったんです。私はエリって名前なんですけど、昔からこの女性のジェンダーがつきまとう名前がいやで……。

サエボーグ わかる。私も“サエコ”っていう、かわい子ちゃんみたいな名前が好きじゃなかった。

ホンマ あと私、女のジェンダーを持って生まれた身体でいることもいやだったんです。ただそれを、これまであまり強く言うことも、表現することもなく生きてきた。でも今回、そこに向き合ったほうがいいなと思いました。それで自分の性別と名前を変えた人たちに会いに行き、その人たちと一緒に、新しい名前を声枯れるまで叫び続ける、という映像作品を作りました。

相馬 実際に名前を変えた人が4人出てくるんですよね。で、自分の親と一緒に習字したりするんですけど、映像では親子の情や、叫びによる魂の揺さぶりとしての情が描かれます。

ホンマ 名前で重要なのは、名前には親の愛情が必ず入っているということ、あと性別の情報が入っているということなんです。この2つの“情”を書き換えた人たちの新しい名前を、私はすごく美しいと思いました。新しい名前には、「自分はこう生きたい」という思いが全部詰め込まれている。だからこそ、私はその名前を叫びたくなったんだろうと思います。また彼らと話す中で、名前の書き換えは家族の問題でもあると思いました。名前を書き換えた人たちがもっとも葛藤するのが、そのことを家族にどう伝えるか、そのあと家族とどう関係性を続けていくかということなんです。親側は受け入れられないことが大半で、でもそれは単に保守的だからということではなく、受け入れられない中にも情があると言うか、子供のことをすごく大切に思っているからこそ、名前を変えることが受け入れられなかったりする。親子双方の情を、映像から感じ取ってもらえるのではないかと思います。

着ぐるみを着て完全体

相馬 性別やジェンダー、あるいは人間と人間じゃないものをグラデーションで捉えているという点では、市原さんやサエボーグさんも同じではないかと思います。

サエボーグ

サエボーグ そうですね。私の“サエボーグ”という名前はもともと友達が考えてくれたもので、語呂がよかったのと「サイボーグ009」も好きだし……くらいの気持ちで使い始めたんですけど、今となっては自分にぴったりな名前だと思っています。皆さんはサイボーグと言うと強そうなイメージをもっているかもしれませんが、実際は自分に足りないものをつなぎ合わせた結果、すごくいびつになってる。そのイメージと、自分を重ねています。そして名前から正体が読み取りづらいのもいい。私は人間やジェンダーという枠組みを超越したいという欲求が強くて。それで選んだモチーフが動物、しかも最弱キャラの家畜。いろいろなモチーフを作りたいと思ってはいますが、家畜シリーズはずっと作り続けています。で、さっきのキュンチョメの話じゃないけど、あいトリのジェンダーバランスの話を聞いたときに、私も「自分はどっちにも入れられたくないな」と思いました。私は着ぐるみを着ることで自由を得ているから、それ以上は特に多くを望まないのですが、“女性作家”とラベリングされるのはいやです。女であることは決して悪いことではないのですが、わざわざそれを強調したいわけでもない。私にとってはラテックスが皮膚なので、スーツを装着しているときが完全体です。今は内臓ズル剥け状態と言うか(笑)、恥ずかしいものを晒している感じ。私はスーツとセットでサエボーグなので。しかし、現実の対応としては、はじめの一歩として、あいトリのジェンダーバランスの取り組みは、大変意義のあることだと思います。

規定を動物の視点でずらす

市原佐都子「バッコスの信女─ホルスタインの雌」稽古の様子。

相馬 サエボーグさんはスーツを着ることで身体が拡張しますが、市原さんは戯曲の中の登場人物たちがどんどん人間から別のものに変容することで作品世界が拡張していきます。

市原佐都子 私にとっては、“書く”ということがすごく大きいんですね。自分が何か別のもの、例えば動物になりたいってことではなくて、何かに規定されている人間を、言葉を使い、動物の視点でずらしたいと言うか。でも以前、サエボーグさんが“火”になったというお話を聞いて、そんな変容の仕方があるんだなってびっくりして。

サエボーグ “火ぐるみ”ですね。岡本太郎さんとのコラボ企画で火の着ぐるみを作って(編集注:2015年に岡本太郎記念館で展示された「HISSS」)、ラテックスの中でLEDを発光させたんです。自分の皮膚の延長だと思っているラテックスを光らせたら、自分の心まで光った!という体験を、以前お話しして。

相馬 その話、私も泣きそうになった!

サエボーグ あの瞬間、世界で一番光っていたのは間違いなく私だったんですよ。パフォーマンスの翌日、目を覚ましたら細胞が全部入れ替わってるように感じて。目に映るものすべてが光り輝いていて、多幸感に包まれていました。

市原 私はこれまで、何かを身に着けてそんな状態になれるってことがよくわからなかったんです。でも、サエボーグさんのお話を聞いて、そんな方法もあるんだなって。

サエボーグ いや、でもそうやって輝くには思い込みの力とかイマジネーションが必要って言うか、頭が悪くないとできないって言うか……(笑)。

一同 (笑)。

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原動力は欲求、欲望