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東日本大震災から10年後の福島を舞台にした本作は、震災と原発事故をきっかけに離散した家族と、青春を奪われた青年たちの物語。前田が家族を失った17歳のアキラ、窪塚が同じように孤独を抱える友人の真一、井浦が真一の父親・篤人を演じた。
まず松井は「ようやく公開というこの日を迎えることができました。皆さんが最初にこの映画を観たお客さんです。そのお客さんを前にご挨拶ができてとてもうれしく思っています」と声を震わせながら挨拶する。震災前から福島を訪れていたことを明かし「人がおおらかで優しくて、すごく居心地がよかった。しかし東日本大震災と福島第一原発の事故があり、風景がガラッと変わってしまいました。その後、福島に住む友人や現地の方から、原発事故が招いた家族の離散や崩壊というつらい話をたくさん聞いたんです。憤りを感じ、必ず映画にしたいと決意しました」と製作の経緯を説明。「こういう映画を作るとなると、資金はまず集まらない。だったら自分で稼ごうと。原発の状況も日々変わるので、悪戦苦闘しながら脚本を仕上げていきました」と13年にもわたる準備の苦労を述べた。
撮影前に街を見て回ったという前田は「震災当時の現状や今もまだ続いている被害など、悲しみや怒りを現地の福島の方々からお聞きしました。この作品に参加するということは、自分がその怒りや憤りを代弁しなきゃいけないんだというプレッシャーがありました」と述懐しつつ「この役を演じることで、僕と同じような誰かに、まさに“こんな事があった”と伝えることができたら、そんな俳優冥利に尽きることはない」と語る。
窪塚は「白黒映画というところが響きました。それぞれの感情で彩って、自分の中で落とし込むような映画に携わることができたのはすごくうれしかったですし、もっと広めていきたいです」とコメント。また松井の「どこに行くの?」にも出演した柏原は「ついに映画を撮る山が動いたなと、飛び上がるほどうれしかった」と、連絡を受けた際の喜びを振り返り、「原発事故というテーマを聞いたときは正直意外でしたが、この作品で皆さんそれぞれに思いが生まれるきっかけになれば」と続けた。
松井の「追悼のざわめき」を“人生の1本”に選んでいるという井浦は「“原発がんばってます映画”にはあまり興味がなく、逆にNGを突き付けたくなってしまうんですが、松井監督が今回作られたのは弱者を描いている作品でした」「映画には、力がある側ではない、弱い者たちからの目線が必要だと思います。今の世の中を映しているものであれば、その目線をしっかりと描いてないといけない。なのでこの作品に参加できて本当にうれしかったです」と述懐。そして「とは言え、監督本人には会ったことはなかったので、灰皿が飛んできたらどうしようかな思っていました」と冗談を飛ばし会場の笑いを誘った。
本作の撮影は、ほとんどが福島で行われた。前田は「撮影をしたのは震災から12年後。栄えている場所がある一方で、少し車を走らせると、まさに作中に出てくる写真のように、まっさらな土地に木が1本だけ立っていたりする。実際に僕はその地に生まれ育って経験したわけじゃないのに、息苦しい思いになったことを覚えています。これを知らずに今まで生きてきたんだなと」と述べ、窪塚も「自分の目と体で感じるものは、写真とはまったく別物でした」とうなずく。
井浦は「当事者ではない俳優には現地で空気や海を感じて、しっかり考えるくらいしかできない」「当事者の方たちが観ると、いろんなことを思い出すだろうし、また心を痛める方もいらっしゃるかもしれないです。それでもこの題材を当事者の方、そして知らない世代に映画を観ていただいて残すということは、本当に価値があることだと信じています」と熱く思いを伝えた。
最後に前田は「僕自身もそうだったように、“こんな事があった”ということをもう一度思い出して、胸にとどめるということがすごく大切だと思います」と強調。松井は「原発事故への記憶が希薄になってきていますので、この映画を観て原発への問題意識を持っていただけたらなと思っています」と締めくくった。
「こんな事があった」は全国で順次上映中。
S T E V E 🪂 @SWEETSTEVE1040
@eiga_natalie キャストや監督が撮影当時の想いを率直に語ってくれる舞台挨拶は、作品への理解や感情移入を深められてとても良いですね🎬✨ 観客にとっても物語の背景を感じながら鑑賞できる貴重な機会になったと思います。