「KISS 狂人、空を飛ぶ」も「ひとのこ」も全然前向き
──「なぎさにて」が打ち切りになった怒りや鬱屈のようなものを、2017年に始まった「KISS 狂人、空を飛ぶ」「ひとのこ」で感じます。
それもある、かな……。でも両方とも全然前向きなんですよ。俺も前は「ニヒリズムは社会や世界にとって最悪なことだ」なんて鵜呑みにしていたけど、今は「ニヒリズム最高」となっていて。「意味も価値も一旦なくなればいいじゃん」「絶望も楽しいよ」という価値観を少しでも広めたい。最近は(フランツ・)カフカに大ハマりしているんだけど、好きな小説家の保坂和志さんやカート・ヴォネガットが彼の作品を別格に評価していて、2011年に出た「絶望名人カフカの人生論」のあとがきで山田太一さんもカフカの「変身」を20世紀の三大小説の1つと言っている。今、絶望に向き合っている自分と完全にリンクしていて、「なんで10代の頃に教えてくれなかったの」ってなっているところ(笑)。
──「ニヒリズムもいいものだ」というのは「ひとのこ」の主人公・天戸童の言動にそのまま出ていますね。
「ひとのこ」の童は、久々に凛みたいな奴を描きたいと思って、アイドルとしてのイエス・キリストくらいのラインで始めたの。あと、とうとうスマホやネットと正面切って戦わきゃダメだなと。ああいったものはツールとして便利だけど信じすぎるのは絶対によくない。ネット上でやり取りする文字なんて、どれだけの価値があるっていうの。うんこしながら打っているかもしれない「愛している」でもいいの? その「愛している」を受け入れるの?
──新井先生は昔からネットや携帯電話を嫌っていますが、今も携帯電話は持たれていないそうですね(参照:新井英樹がテレ東新入社員へエール、ドラマ「宮本から君へ」特別試写会に登場)。
俺が10代だったらスマホを使ってるだろうから、無碍に批判や非難するようには描きたくない。いや、童が他人のスマホを叩き落としているだけで「非難しているだろう」って言われるかもしれないけど(笑)。でもやっぱり便利ということに疑いを持たないでいたら、その先に待っているのは本当に地獄ですよ。俺はゲームもやる意味がわからない。生まれた時代が違えば自分もプレイしていたかもしれないから批判はしないけど、「違う遊び方もあるよ」って。「人生は本当に意味がなくて無価値だ」という前提があったとしたら「全部自分で意味や価値を色付けられるよ」というのを伝えたい。
──連載の今後が楽しみです。一方、「KISS 狂人、空を飛ぶ」はどのような意図で描かれているのでしょうか?
俺はずっと自分の絵が嫌いだった。特にカラーがキツくて、「キーチ!!」からは単行本の表紙を白黒にした。でも表に出るようになって知り合った、アートをやっている子に「私のこと描いてよ」と言われたときにパステルを使ったら「あれ、楽しい」って思えたの。それからカラーが段々と好きになってきて、パステルで絵を描きたい、絵と表現したいことをリンクさせたいと思って始めたのが「KISS 狂人、空を飛ぶ」。だから最初はセリフもモノローグもない状態で、担当編集に見せたくらいだった。
怒りの出し方が変わってきただけで、根っこは変わらない
──2017年に発表した読み切り「It Follows Me 童貞的中年奇譚」(短編集「セカイ、WORLD、世界」に収録)のあとがきで、新井先生は「ボクは今もずっと怒りの人だ」と書かれています。これまでデビューの頃から作品を中心に振り返ってきましたが、確かにずっと、怒りや危機感を原動力に創作していると感じました。
怒りの出し方が変わってきただけで、根っこは変わらないんだろうな。50を過ぎていろんな人と会うようになってから「この人、こんなこと考えているんだ」と感じるのが面白い。それまで引きこもって「この手の人間は嫌だ」とか考えていたけど、許容できる範囲がどんどん広がって。その一方で、まだ残っている「嫌いだ」という部分がものすごく嫌いだとわかったんだけど。
──具体的には?
群れるとか予定調和とか、ルールとか普通とか。最近はそういうものに対する嫌悪がヤバいです。
──そういったものへの嫌悪はデビュー前からのものでしょうか?
もう10代の頃から。俺は流行りものに食いついたことがなくって、「インベーダーゲーム」は直撃世代だけど一切やらなかったし、ルービックキューブも「誰がやるか」って思っていた。唯一スケートボードだけはやったんだけど(笑)。子供の頃、映画好きの父親に毎週夜に車で映画館に連れて行ってもらっていて、そこで観ていた映画の主人公がみんなアウトローで一匹狼なんですよ。だからそれがカッコいいと自分に染み付いちゃった。
──その頃に観ていた映画が原体験になっているんですね。
あと映画好きになってから観ていたアメリカン・ニューシネマとかね。そちらもアウトローな主人公ばかりだけど、社会規範からずれてるところにこそ、みんな幸せになれる種があるんじゃないの、と考えていた。だからみんなで揃って何かをするのが気持ち悪くなっちゃって、群れているものだけは生理的にダメ。俺、「笑っていいとも!」とか「東京フレンドパーク」とかは、スタジオの空気や和気あいあいと楽しくやっているのがキツくて観られなかったもん。
──確かに連載作品で、主人公が大勢とつるんでいる作品は「キーチ」シリーズの輝一くらいですね。
輝一も、自身は本意じゃないからね。大体、人間が集まったって悪いことしかしないし、悪いことを考え始めると後戻りできない状態になるから怖いでしょ。あと予定調和も昔から嫌い。映画「子連れ狼」なんかで首は飛ぶ、手足は飛ぶ、血吹雪舞うってのを観ていたのに、テレビの時代劇は予定調和ばかりでもう気持ち悪くって。祖父母がテレビで時代劇を点けていると「なんでこんなの観るんだよ!」って涙を浮かべながら怒ってた(笑)。テレビを観ながら怒っているのは今の作業中もそうだから、本当に変わらないね。
──作業中はずっとテレビを点けているんですか?
「ここは集中しなきゃいけない」というときはなるべく音を出さないけど、「ここは目線を引いて見なきゃ」というときはテレビの音を聞いたりアシスタントと会話しながらやる。ワイドショーとかわざと自分がムカッとくるもののチャンネルに合わせると、ストレスが溜まって描けるんです。
──やはり怒りなどの負の要素が新井先生のエネルギー源なのでしょうか。
カフカが「抑圧がないと小説が書けない。恋はするけど、恋をして幸せになるといろんなことが気になって小説が書けない」と書いていて。常に自分を抑圧のある位置に置きたい、というのはよくわかる。だから一番怒りたいのは自分に対してなんだろうね。今、自分へのラブレターのような愛ある映像化が2本続いても、「浮かれてんじゃねーぞ」と自分で自分にツッコんでるし、「何か悪いことが起きるんだろ」って思っている。7月にやったヘルニアの手術も「ついに一発目(の悪いこと)が来たな」って(笑)。
マンガ家を辞めようと思ったのは「今」
──怒りを抱えながらデビューし描き続け、間もなく30周年を迎えます。何か特別な思いはありますか?
特に感慨はないかな。人に言われてようやく気付いたくらいで。
──では30周年でやってみたいことはありますか? アニバーサリーには原画展などをされているマンガ家さんも多いですが。
自分の絵で金が取れるとは思ってないし、「自分の絵はすごいでしょ?」と言ってるような感じになるから原画展は恥ずかしいね。2017年にやった小規模な展示会は、友達の子がやってくれるって言ったからやっただけで(参照:新井英樹、みすぼらしい奇行男描く新連載「ひとのこ」が@バンチで)。「絶対にやってくれるな」とまでは思わないけど「ぜひ絵を見てくれ」と言うほどの思いはない。
──新井先生の熱がこもった絵を好きなファンは多いと思います。
そうですか。もし「すごい」と思われるような絵があるとしたら、それは背景の力が大きくて、背景の技術がある人がやってくれたからすごく見えるだけでしょう。やっぱり俺がキャラクターの顔だけ描いたもので原稿料をもらうと、悪いなと思う。だから背景に時間とお金をかけるんだけど、売れないし、見づらいって言われるだけだし(笑)。
──新井先生は自己評価が低い気がしますが……。ちなみに、原作者にまわるという考えはないのでしょうか?
俺は相反するものが同時にあるのが好きなんです。例えば物語は物語としてあるけど、絵では別のことをしているとか。そういった見せ方もあり得るのに、原作者だとその片側しかできない気がするので、やっぱり絵まで自分で描かないとダメですね。
──なるほど。では、これまでにマンガ家を辞めようと思ったことはありますか?
今!(笑) 今の連載マンガって、第1話で主人公が何を目指すかわかるものじゃないと読者が食いつかない。俺は死んでもそれは描きたくないから、「もうマンガを描く意味がないよな」ってここ2週間くらい本気で考えていて。
──確かに、新井先生の作品は1話時点ではストーリーの全貌が何もわからないものばかりです。
「一体何の話?」って思わされる物語を描くのも読むのも好きだから。読者に「ついてこい」って言うのは傲慢なのかもしれないけど……。それに性描写や暴力描写への世間の制限もどんどん厳しくなっているし。だからどうしようか、マンガ以外で自分に何かできることがあるだろうか、と今日時点では考えています。
──描きたいものはあるけど、それが受け入れられない状況に悩んでいるんですね。
そう、マンガを描くことには全然飽きてはないです。宿題もあるし、まだやりたいことはある。でもそれをどう提示していくかというのを考えてしまう。
──やりたいこととは?
物語が壊れているけど物語になっている、というのをやってみたいかな。田中小実昌の「イザベラね」という小説があって、物語でもなんでもないのに読めちゃうのがすごいんです。あと保坂和志さんの小説もドラマがないけど読める。そこを目指すというわけではないけど、そういった表現をマンガでできないかなと思っています。
- 「愛しのアイリーン」
- 2018年9月14日(金)公開
- ストーリー
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年老いた母と認知症の父と地方の山村で暮らす、42歳まで恋愛を知らずに生きてきた男・宍戸岩男は、コツコツ貯めた300万円を手にフィリピンへ花嫁探しに旅立つ。現地で半ばヤケ気味に決めた相手は、貧しい漁村生まれの少女・アイリーン。岩男は彼女を連れて久方ぶりに帰省するが、岩男の母・ツルは、息子が見ず知らずのフィリピーナと結婚したという事実に激昂する。
- スタッフ / キャスト
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監督・脚本:吉田恵輔
原作:新井英樹「愛しのアイリーン」(太田出版刊)
主題歌:奇妙礼太郎「水面の輪舞曲」(ワーナーミュージック・ジャパン / HIP LAND MUSIC CORPORATION)
出演:安田顕、ナッツ・シトイ、木野花、伊勢谷友介、河井青葉、ディオンヌ・モンサント、福士誠治、品川徹、田中要次ほか
※吉田恵輔の吉はつちよしが正式表記
※R15+指定作品
©2018「愛しのアイリーン」フィルムパートナーズ
- 新井英樹「愛しのアイリーン[新装版]上」
- 発売中 / 太田出版
- 新井英樹「愛しのアイリーン[新装版]下」
- 発売中 / 太田出版
- 新井英樹(アライヒデキ)
- 1963年9月15日、神奈川県横浜市生まれ。明治大学を卒業したのち文具メーカーに就職するが、1年で会社を辞めマンガ家を目指す。1989年、「8月の光」でアフタヌーン四季賞の四季大賞を受賞しデビュー。1993年、サラリーマン時代の経験を基に描いた「宮本から君へ」で第38回小学館漫画賞青年一般向け部門を受賞。仕事や恋に真剣になりすぎるあまり過剰になってしまう新米営業マンを描き高く評価された。以降、中年男とフィリピン人の嫁をめぐる人々のコミュニケーションギャップを描く「愛しのアイリーン」、怪物ヒグマドンとテロリスト2人組が世界を破滅へ導く「ザ・ワールド・イズ・マイン」、目の前で両親を殺され、感情のままに行動する3歳児を描く「キーチ!!」と立て続けに衝撃作を発表。2018年には「宮本から君へ」がテレビドラマ化、「愛しのアイリーン」が実写映画化と、映像化が続いた。そのほか著作に「シュガー」「RIN」「キーチVS」「SCATTER -あなたがここにいてほしい-」「空也上人がいた」「なぎさにて」「KISS 狂人、空を飛ぶ」「ひとのこ」などがある。