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「スルガメテオ」内気なエースは、160キロを投げるバッティングマシンの“中の人” マガジンが放つ新世代野球マンガ
2025年4月16日 16:00 PR田中ドリル「スルガメテオ」
新入生の中から“未来のエース”を探していた、星群高校野球部の熱血すぎるキャプテン・甲斐陽人。立派な尻を持つ1年生・駿河彗を発見した甲斐は、野球部に勧誘するもあっさり断られてしまう。しかし駿河は、バッティングセンターで160km/hの剛速球を投げるマシン・スルガメテオの“中の人”だった。弱小野球部が甲子園出場を目指す、熱血キャプテンと内気な天才新入生が贈る超青春野球譚は、週刊少年マガジン(講談社)で連載中。
文
ある種の思考実験のような野球マンガ
野球というのは難儀なスポーツである。“マガジンの最終兵器”こと田中ドリルが贈る渾身の新連載「スルガメテオ」は、そんな感慨をもたらしてくれる作品だ。
というのも、野球という競技は選手として最低限求められる技能が多岐にわたることで知られている。例えば「速いストレートが投げられる(なんならコントロールもいい)」という人材がいたとして、その人物が投手としてただちに戦力になるかというと、話はそう単純ではない。走者を背負った場面、打球が転がってきた場面など、状況に応じてまったく異なる技能が必要になるからだ。ただ「速い球を投げられる」というだけでは、そもそも競技として成立しないのである。
これは野手についても同じことが言える。「バットでボールを打つのがうまい」だけではダメで、競技を成立させるためには走塁や守備などの技能も最低限必要だ。極端な話だが、これがゴルフであれば「クラブでボールを打つのがうまい」だけでも一応競技としては成立するだろうし、足でボールを扱うことさえできれば最低限サッカーという競技を成り立たせることはできる(ゴールキーパーに至ってはそれすら必須ではない)。「速い球を投げられる」だけでは成立しない野球とは雲泥の差だ。これを難儀と言わずしてなんと言おう。
しかし、「球が速いだけ」ではなく「球が(常軌を逸して)速いだけ」の場合はどうだろうか。仮に大谷翔平ばりに160km/h超の豪速球を狙ったコースに投げられるとしたら、それ以外の必須野球スキルが一切備わっていなかったとしても、競技として成立する可能性があるのではないだろうか。
なぜなら、守備ができないのなら打たせなければいいし、走者を背負ったピッチング術が身についていないのであれば走者を出さなければいい。すべての打者を三振でアウトにできさえすれば、「球が速いだけ」の投手でも野球を成立させられるのかもしれない──そんな仮説のもとに行われるある種の思考実験のようなものが、この「スルガメテオ」という作品では展開されていく。
ハートウォーミングな心の交流も
主人公のスルガは、極度の内気な性格ゆえに野球チームでのプレー経験が一切ないものの、実家のバッティングセンターでピッチングマシンの“中の人”として利用客相手に160km/hの豪速球を正確無比に投げ続けてきた高校1年生。その「隕石のような」ストレートは「スルガメテオ」と呼ばれ、同バッティングセンターの名物として人気を博していた。かなり現実離れした設定ではあるが、その環境であれば確かに「豪速球を投げる技術だけが秀でていて、それ以外の野球スキルは皆無」というモンスターが生まれてもおかしくはない。
そんなスルガは、星群高校野球部キャプテン・甲斐の諦めない姿に感銘を受け、人と一緒に野球をしてみることを決意。初めて人前でマウンドに立ち、圧巻の三振ショーを披露して周囲の度肝を抜いた。「球が速いだけ」の投手が野球競技を成立させてしまった瞬間である。
面白いのは、「果たしてそのモンスターは超高校級の相手にも通用するのか?」という“思考実験”が作中ですぐに行われるところだ。第3話で「高校野球史上最も優れたプレイヤー」とされる進藤将山を擁する甲子園優勝校・陸稲城西高校から練習試合を申し込まれたスルガたちは、160km/hのストレートを弾き返せる打線と初めて対峙する。「球が速いだけ」のスルガは、その弱点を徐々に露呈し始めるのである。
これに対し、星群ナインは一丸となってスルガをバックアップ。「投げる以外できない」スルガを一切責めることなく、逆に感謝の言葉を投げかけるチームメイトたちの温かさに触れたスルガは、少しずつ他人に対する心の開き方を覚えていく。本作は野球競技における思考実験としての面白さのみならず、そんなハートウォーミングな心の交流もきっちりと描かれる、実に少年マンガらしい少年マンガでもあるのだ。
「スルガメテオ」第1話を試し読み!