吉田羊が感じた「ザ・ウェルキン」の“希望”、人智を超えた先にある変化を目指して

「チャイメリカ」「チルドレン」などで知られるイギリスの劇作家ルーシー・カークウッドの2020年発表作「ザ・ウェルキン」が、劇作家・演出家・映画監督として注目を集める加藤拓也の手により、日本初演される。1759年のイギリス東部・サフォークの田舎町で起きたある殺人事件を巡って、女たちがそれぞれの思いを展開させる本作。その中心となり、彼女たちに新たな気付きをもたらそうとするのが、吉田羊演じるエリザベスだ。「彼女にはどこか人の良心を信じようとする姿勢があるように感じる」と話す吉田は、エリザベスの思いに寄り添い、言葉の真意を探りながら、稽古の開始を心待ちにしていた。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 須田卓馬

リジーは一番本心が見えない人

──台本をお読みになって、どんなことを感じられましたか?

ヘビーなテーマですがユーモアがところどころに効いていて、二転三転の展開が非常に面白く、一気に引き込まれました。約250年前のイギリスを舞台にした作品ですが、国や時代を超えて私たちが共感できる普遍性を感じます。12人の陪審員と、殺人の罪に問われるサリーという13人の女たちは、男性社会の横暴を非難する一方で、自分たちも母・妻・女という枠の中でマウントを取り合い傷つけ合っていて、それが精神的な攻撃である分むしろ残酷でいやらしくもあり、人間の業や欲望に対して、男女の差はないんだというシニカルなメッセージも受け取りました。

吉田羊

吉田羊

──12人の陪審員たちが議論を交わすという展開に、レジナルド・ローズの「十二人の怒れる男たち」を思い出します。吉田さんは2020年に、同作をモチーフにした三谷幸喜さん作「12人の優しい日本人」のリモートリーディングに参加されていました(参照:近藤芳正・吉田羊ら出演の「12人の優しい日本人を読む会」生配信、演出は冨坂友)。

そうでした(笑)。今回は女性が12人ですからあちらよりも姦しいです。今作にもさまざまな私情や事情を持ち込む人々が登場しますが、どちらかと言うと感情的なセリフや、リアリスティックなセリフが多いのは女性の“特性”のデフォルメなのかなと推測しています。出自も年齢も違う女優たちがお互いにアイデアを出し合って、女性が裁くことの、1つの形をお見せできたらと思います。

──吉田さん演じるエリザベスは助産師で、大原櫻子さん演じるサリーが妊娠しているか否かを判断するため、陪審員の1人として審議に参加します。彼女がどんな人物かは、物語が進むにつれ徐々にはっきりとしていきます。

リジー(エリザベス)が他勢の中で信念を貫く姿は凛々しく、慈悲の心を持ってサリーに向き合う姿は、一見すると正しい人に見えます。でも後半の展開を知ると、正義の旗を振りかざす彼女こそ、本心が見えない人になってくる。彼女は観客の良心に訴えて、観客の心を扇動するような役を担いますが、そもそも彼女の本心は良心なのか、という疑念を観客に残すことになるのではないでしょうか。

──彼女が助産師であるということも、作品の重要なポイントです。

彼女の思想について考えてみると、彼女にはどこか人の良心を信じようとする姿勢があるように感じます。それは助産師という職業柄、人間が生まれ持っている純粋さみたいなものを彼女が経験としてどこかで知っていて、「人間はそうあってほしい」と願って生きているからではないかと感じます。また、これは私の個人的な感覚ですが、女性は十月十日我が身で命を育んで子供を産み育てるという点で、人の命に近い存在じゃないかと思うんです。だからこそ共感力が高いうえに感情に敏感でもあるのだろうと。そんな彼女たちは、同性のサリーに同情するどころか、自分勝手で理不尽にサリーを裁いていく。とどのつまりは、女である前に人間なのだなと感じますし、はて、自分が同じ立場ならどうだろうとも考えてしまうんですよね。

吉田羊

吉田羊

吉田羊

吉田羊

人の良心を信じようとする思いがリジーを駆り立てる

──共演の女性陣には、大原櫻子さん、梅沢昌代さん、那須佐代子さん、峯村リエさん、明星真由美さん、那須凜さん、西尾まりさん、豊田エリーさん、土井ケイトさん、富山えり子さん、恒松祐里さんなど、年齢もキャリアも出自もさまざまな俳優さんたちがそろいました。

本当に皆さん個性的で曲者ぞろいで(笑)、皆さんの声で台本を脳内再生すると非常に面白くて、1人でクスクス笑いながら読んでしまいます。年齢も境遇も違う人の集まりだからこそ、みんなで違う価値観やアイデアを持ち寄って作っていけたらと思います。

──女性たちの中で女性たちと戦う、という点では、昨年出演された「ジュリアス・シーザー」(参照:オール女性キャストの「ジュリアス・シーザー」開幕に吉田羊「そう来たか!と唸って」)のブルータスも、自分の信念に従って戦う人物でした。ブルータスと比較して、エリザベスの強さや行動力の源をどんなところに感じますか?

ブルータスが受け身の人であったのに対して、リジーは能動的に生きている人だと思います。ブルータスは自分がやった行動ですら「神々の意思である」とすり替えてしまう部分がありますが、リジーが信じているのはあくまで自分が生きてきた経験値。彼女が人の良心を信じようとする姿勢は、純粋無垢な赤ん坊を取り上げてきた助産師としての実感から来るもので、人は生まれながらに悪人ではないし、やり直すことが出来ると心から信じているのではないでしょうか。その信心が、彼女を駆り立てているのではないかと思うのですが。

吉田羊

吉田羊

──最初に吉田さんは「国や時代を超えて私たちが共感できる普遍性がある作品」だとおっしゃいました。約250年前を舞台にした本作と現在で、女性たちを巡る状況に通じる部分、違いを感じる部分はどんなところにありますか?

彼女たちが母・妻・女として押し付けられている境遇は、多くの女性たちがそれを諦めて甘受していたというところでは、残念ながら現代もさほど変わっていないのではと思います。ただ、昨今の性加害報道などでも感じるように、現代は声を上げる場所が少なからずあることで、耳を傾け、寄り添ってくれる人が見つかりやすい状況にはなったのかなと期待を込めて感じています。個人で声を上げるのは、心細く勇気が要ります。けれどその連なりはやがて大きな波を起こすのだと信じたいし、私もその声に気付ける人でありたいです。

──確かにそうですね。吉田さんのようにクリアでフラットな目線を持った方が、エリザベスを演じることで、役を超えた説得力が生まれるように感じます。

役をいただくときは、この役が自分にやってきてくれた意味のようなものを毎回感じます。今回も、リジーの思想や希望を私なりに感じ取ってしっかりと演じていきたいと思います。