世田谷パブリックシアター「メアリ・スチュアート」座談会 / 「終わりのない」レポート|メアリの中にもエリザベスの中にも、私たちと通じるものがある

森新太郎と世田谷パブリックシアターが5回目のタッグを組む。今回選ばれたのは、18世紀ドイツの詩人・劇作家・思想家フリードリヒ・シラーが描き、20世紀の詩人・批評家スティーブン・スペンダーが上演台本を手がけた、2人の女王の物語「メアリ・スチュアート」。16世紀末のイングランドを舞台に、メアリとエリザベス1世、そして彼女たちを取り囲む男たちが、スリリングな駆け引きを繰り広げる。そこで本特集では、演出の森新太郎、メアリ・スチュアート役の長谷川京子、エリザベス1世役のシルビア・グラブによる座談会を実施。膨大かつ重厚なセリフの向こうに見えてくる、普遍的な人間の姿とは? また特集の後半では、10月から12月に世田谷パブリックシアターほか、兵庫・新潟・宮崎で上演された前川知大脚本・演出「終わりのない」の公演レポートを掲載する。

取材・文 / 熊井玲 撮影(P1~2) / 祭貴義道
ヘアメイク / 鎌田直樹 スタイリスト / [長谷川京子]長澤実香、[シルビア・グラブ]加藤万紀子
衣装協力:[シルビア・グラブ]ドレス(エスカーダ / エスカーダ・ジャパン)、ピアス(アビステ)

「メアリ・スチュアート」森新太郎×長谷川京子×シルビア・グラブ座談会

まさに今の世界が描かれている

──「メアリ・スチュアート」は、森さんが「ぜひやりたい」と劇場に持ちかけた作品だそうですね。本作のどういった部分に惹かれたのでしょうか?

森新太郎 若い頃に一度読んでいて、最近ふと読み直す機会があったんです。そうしたら、200年前に書かれた話とは思えないくらい、今の自分たちの世界が描かれていると感じて衝撃を受けて。普段から僕は、自分たちが今どういう世界に生きているかを見つめ直すときに、今をそのまま扱った現代的な芝居をやるよりも、古典を通したほうが社会に対する冷静な視点が得られるのではないかと思っているんですが、「メアリ・スチュアート」にはまさに、昔からずっと続いている人間の営みが克明に描かれているなと思ったんです。

──「メアリ・スチュアート」は二人芝居のものもありますが、今回は群像劇版。メアリとエリザベスを中心に、多彩な人間模様が描かれます。

森新太郎

 男たちが出てくることで女王たちの孤立がより際立ちますし、たくさんの人物の思惑が入り乱れるのが極上のサスペンスだなって。誰が味方で誰が敵かもなかなかわからないし、その様に政界のリアリティがあるなと思います。女王2人の対決シーンは映画や舞台でもよく描かれますが、実際にはこの2人は1回も会ってなくて、あれはシラーが想像で作ったシーンです。でも想像とはいえ、迫力ありますよね(笑)。女王同士の闘いではあるけど、もう女王という立場をかなぐり捨ててるんじゃないかっていうくらい、意地と意地のぶつかり合いになっている。史実ではエリザベスが生き残りますが、メアリは本当に妥協を知らない人なので、彼女がもし女王になっていたらよっぽど怖い世界になっていたんじゃないでしょうか。稽古場でもよく話題になるんですけど、メアリは本当はエリザベスに命乞いをしなければいけない立場なのに、1回も謝らないんですよね。自分が間違ってるとは絶対に言わない。そこが悲しくもあり滑稽でもあり、身につまされます。

──そんなメアリ・スチュアートに長谷川京子さん、エリザベス1世にシルビア・グラブさんがキャスティングされました。お2人にどんな期待を感じていらっしゃいますか?

 メアリ・スチュアートはキャスティングを悩みに悩んだんです……正直、女王様っぽい女優さんは、いくらでも思いつくんですよ。

一同 (笑)。

 でも“いかにも”でいいのかなという思いもあったんですよね。メアリ・スチュアートって生まれながらにして女王なんですけど、まったく女王らしからぬ自由奔放なところがあって、本当に予測不可能な人ですよね。現実にそばにいたら、ものすごく厄介な存在だったんじゃないかな(笑)。常に自信満々かっていうとそうじゃない部分も多分に見えたりして。劇中でモーティマーが、メアリの肖像画を見たときに「白熱の焔」って表現しますけど、確かにメラメラした炎というより、か細いんだけど触ったら大火傷するっていうイメージ。かつ運命に対する寂しさを持っているような人を……と探す中で、長谷川さんはもしかしてぴったりじゃないかなって。で、実際に長谷川さんとお会いして、一目見た瞬間にそのオーラがあるなって思ったんです。気付いたらみんなこの人を中心に回っていたというような感じがあるというか。劇中でもヌケヌケと、「私と関わった男はみんな不幸になった」っていうようなことを言うんですよね。長谷川さんは「私とメアリ、重なりますか?」ってキョトンとしてましたけど。

長谷川京子 あははは。

 対するエリザベスは、女王としては優秀だし頭脳明晰でもあるんだけど、女性としてどこかものすごいコンプレックスがあって、だから自分が持っていないものを全部持っているメアリに激しく嫉妬する。あと何しろ苦労人なので、権力の座からはすぐ転げ落ちるものだし、自分の命が明日どうなるかもわからないってことを、誰よりもよくわかっているんです。そのビクビクが彼女のしたたかさを生んでいる部分があって、史実的にもエリザベスは常に曖昧で、自分の意思をはっきり明言しなかった人物だそうです。まあ、だからこそ王座に居続けられたのかもしれません。でも本音を押し殺している分、情緒不安定というほかなくて、劇中に何度も変な爆発の仕方をする。コメディかよっていうくらい。だから……シルビアさんだなって(笑)。

シルビア・グラブ ふふふ(笑)。

史劇というより、1つの物語として面白い

──お二人はそれぞれ、ご自身の役について、今どのように受け止めていらっしゃいますか?

長谷川 お話をいただいて、まず映画「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」を拝見したんです。そのときのメアリのイメージは、芯は太いけどか細いというか、物腰が柔らかい感じがあって、私のイメージがそこに引っ張られているところがありました。そのテンションで読み合わせをしたんですが、今回はそのアプローチではなく、女王としての威厳、風格を見せたほうがいいということになり、森さんには「とにかく腹筋!」と言われていて。

一同 (笑)。

長谷川京子

長谷川 セリフが1つひとつ長くて、さらに男の人たちを言葉で言い負かさないといけないんですが、長ゼリフで息が続かなくなると語尾が弱くなったり、逆に語尾を意識すると変なイントネーションがついてしまったりして。だから腹筋をしっかりつけて、セリフを言い切らないといけないなって。また読み合わせを進めていくと字面だけではわからない心情が見えてきて、とても面白い。いろいろ理屈をこねくり回してはいるけれど、結局メアリが言いたいのは、自分の自由と権利なんですよね。さらに森さんから作品のバックボーンをいろいろ教えていただくとすごくイメージが膨らんで、彼女のキャラクターがどんどん浮き彫りになってきて面白いです。それと、私、古典劇は今回初めてなんですけど、古典劇にはこんなに人間が人間らしく表現されているんだなって、それは発見でした。

シルビア 今、森さんのお話を伺って、エリザベスをもうちょっと人間っぽく捉えていいんだなとホッとしましたね。エリザベス1世ってすごい女性ですから、いかに威厳を持ってしゃべるかということばかり考えていたんです。ただ難しいのは、歴史的に実在した人物ではあるけれどシラーがフィクションとして書いた部分もあるので、どこまで史実に沿った役作りをしていくのかということ。エリザベス1世を実在の人物として捉えるのか、フィクションの存在として捉えるのか、そこは森さんに全部託していきたいです。戯曲は読めば読むほど面白いし、メアリに対するエリザベスの話や、男性陣がどうやって生き延びていくかなど、それぞれの人間関係が面白い。歴史的な話というより1つの物語として楽しめるんじゃないかと思います。

一番わかり合えるはずが、認め合うことができない

──メアリとエリザベスは周囲を翻弄しつつ、しかし彼女たち自身も周囲に翻弄されていきます。プレ稽古によってさらに森さんのイメージが膨らんだ部分はありますか?

 そうですね。最初は“まるで正反対な2人の女王像”というのも考えはしたんですけど、プレ稽古を介して、エリザベスの中にもメアリっぽいところがあるし、メアリの中にもエリザベスになる要素があると感じたので、本当に立場が違うだけだなって。男社会でどう生き延びていくかということについては、彼女たちは本来一番わかり合える存在のはずなのに、お互いを認めることができないんですよね。そんなことを思いながら、記者会見で2人が並んでいる姿を見て「これはいい対決になりそうだな」って感じました(笑)(参照:長谷川京子「メアリ・スチュアート」で美貌の女王に、「大役をいただいた」)。

──まさに「二人の女王、メアリとエリザベス その美貌と誇りは救いか? 破滅か?」というキャッチコピーがぴったりな……。

一同 (笑)。

シルビア・グラブ

長谷川 メアリとエリザベスの対決シーンは、実際に演じるのがとても楽しみですね。客観的に見ると「メアリ、そこでがんばれ!」って思うんですよ。ちょっとがんばってエリザベスに許しを乞えばスムーズにいくのに、つい我が出ちゃって、「でも私には権利があるわ!」って言ってしまう。その押し問答が面白くなりそうだなと思います。

シルビア 台本だけ読んでいると、確かに子供のケンカという感じで、笑えるんです。客観的には「そんなこと言っちゃうの? バカだなあ」と思うんですけど、女王としてのプライドがそう言わせてしまう切なさもあって。

長谷川 シラーの戯曲が描かれたのは200年前かもしれませんが、さっき森さんがおっしゃったように、まさに今に合っているなと思いますね。女性が女性であることを主張する時代、女性が活躍する場が増えてきた今だからこそ、通じるところがあるのではと思います。

 要所要所で男だけの場面があるんですけど、女王たちのことを「所詮は女だから」ってどこか上から目線で捉えていて。その辺りをシラーはよく観察しているなと思います。

長谷川 ……ということは200年前から人間は変わらないということですよね?

 変わってないし、シラーはよく200年前にここまで鋭く描写できたなと思います。