ロームシアター京都のシリーズ企画「舞台芸術としての伝統芸能」の第4弾では、雅楽をフィーチャーする。雅楽は日本に古来からあった神楽歌、大和歌、久米歌と、大陸から入ってきた音楽と舞が合わさり、10世紀に形式がほぼ完成されたと言われる。近年では皇室行事などで触れることが多いが、民間の雅楽演奏団体を中心に、復曲や新曲、また他ジャンルとのコラボレーションなども積極的に行われており、今回は雅楽に新しい風を起こし続けている伶楽舎が演奏を披露。さらに金森穣率いるNoism Company Niigataがコラボレートする。
ステージナタリーでは11月中旬、東京都内で行われた初の合同稽古に潜入。異色のコラボレーションがどのように立ち上がっていくのか、稽古の様子を追った。さらに後半では伶楽舎のメンバーと金森が、それぞれの視点から作品の見どころやお互いへの思いをつづる。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / Yohta Kataoka
初めての、そして貴重な合同稽古がスタート
2017年度にスタートしたロームシアター京都の「シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能」は、日本の伝統芸能の継承と創造を目的に、ロームシアター京都という劇場を生かした企画・上演方法を探求するプログラムだ。第4回となる今回は、ロームシアター京都の開館5周年の1プログラムにもラインナップされており、第1部では伶楽舎と京都の雅楽演奏団体・音輪会が「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」を披露。第2部では「残影の庭 ─Traces Garden」のタイトルのもと、現代音楽家・武満徹作曲「秋庭歌一具」(しゅうていがいちぐ)を、伶楽舎の演奏により、金森穣率いるNoism Company Niigataが踊る。
11月中旬、東京都内のスタジオにて伶楽舎とNoism Company Niigataの合同稽古が行われた。取材に訪れた日は合同稽古の初日で、ロームシアター京都のディレクター・橋本裕介が企画の趣旨を改めて説明したのち、キャストとスタッフが紹介された。今回、Noism Company NiigataからはNoism0の金森穣、井関佐和子、山田勇気、伶楽舎からは29人の奏者が出演する。伶楽舎のメンバーは、四角に区切られたアクティングエリアをコの字型に囲むようにして座し、舞台の正面奥にあたるスペースには明るい緑色の地敷が敷かれた。そこには太鼓や和琴、鞨鼓(かっこ)といった比較的大きな楽器と、数名の笙奏者たちが並び、左右には篳篥や笛、笙などの奏者が座った。
全体の挨拶が終わると、数日間しかない合同稽古の時間を惜しむように、金森はさっそく稽古を開始する。「これまでCD音源で稽古をしてきたので、生音は初めてです。もし音と踊りがずれてしまった場合は、誰にお伝えすればいいですか?」と伶楽舎のメンバーに問いかけると、伶楽舎のメンバーは、「指揮者などはいないので、パートごとにリーダーがいて……」と答える。金森はうなずきながら「ではまず音を聴かせてください」と、稽古場の床に腰を下ろして、静かに目を閉じた。
奏者たちも思わず感嘆、雅楽で舞う舞踊家の魅力
「秋庭歌一具」は1979年に発表された楽曲で、1973年に武満が国立劇場の委託によって作曲した「秋庭歌」に5曲がのちに加えられ、全6曲で構成された作品だ。日本芸術文化振興会の公式サイトに掲載された、伶楽舎の創立者・芝祐靖のインタビューでは「秋庭歌一具」が雅楽奏者にとっていかに異色の作品であるかが語られており(参照:9月特別企画公演「十牛図と秋庭歌一具」「秋庭歌一具」 雅楽奏者 芝祐靖氏にインタビュー | 独立行政法人 日本芸術文化振興会)、しかしそれゆえに、この楽曲が現代の私たちと古典音楽である雅楽の接点となり得ることが考えられる。
「秋庭歌一具」では、冒頭で木柾が打ち鳴らされる。木柾とは木製の板のようなものを槌で打って音を出す楽器で、金属音とは異なり、少しくぐもった温かみのある音が印象的だ。静寂の中に木柾の音が響き渡る中、舞踊家たちは目を閉じ、音楽に聴き入っている。数分進んだところで金森が「ありがとうございました」と声をかけ、今度は動きながらシーンをさらっていくことに。横1列に並んだ舞踊家3人は、伸びやかに広がっていく楽器の音を、手先から足先までしなやかに揺れる同じ動きで表現する。やがて少しずつ体系を変えて、今度は井関を中心に舞台を広く使う動きに。軽やかさを保ちつつも、動きのスピードや鋭さを増していく3人の様子は、音に合わせるというより、音に乗るような具合で展開していった。
一連のシーンが終わったところで、金森が再び演奏を止めた。伶楽舎の面々は楽器を傍らに置きながら、隣の奏者と「カッコ良いね!」と小声で感想を述べ合う。Noism0の3人は集まって何かを確認し合い、金森が奏者たちに「今よりもう少しだけテンポを速くお願いできますか?」と希望を伝えた。そして稽古用の衣装を身につけて、再び同じシーンに臨む。
楽曲が進み演奏の音が複雑化すると、動きも複雑になってくる。最初は音に乗るように感じた舞踊家たちの踊りは、徐々に旋律を具現化する存在として立ち現れた。特に「秋庭歌一具」で何度かある、一瞬音が消えるシーンでは、無音の中にも続いている旋律の“糸”を、舞踊家たちがまといながら踊っているように感じる瞬間があり、再び音が始まると、その糸を舞踊家たちはそっと奏者たちに手渡しているように見えた。また幽玄を感じさせる笙の音には柔らかな風のような動き、笛の鋭い高音には空間を切り裂くような素早い動きと、音の重なりと移ろいに敏感に反応していった。
生演奏だからこそ、“間”をつかむ難しさ
5分程度のシーンを終えた金森は「ありがとうございます。疲れていませんか?」と奏者たちを労いつつ、「うーん……」と小さく唸る。どうしても動きと音が合わない瞬間があり、井関が「CDの演奏に慣れてしまって、“間”に慣れなくてすみません」と恐縮して述べた。「(生演奏だと)いろいろな音が聴こえてくるから、どの音に合わせて動けばいいのかわからないところがあって」と生演奏ならではの難しさを井関が伝える。特に難しいのは、無音から音が始まる瞬間の合わせ方で、そこについては金森から「申し訳ないのですが、このポーズになったら(木柾を)叩いていただけると……」と具体的なオーダーが出され、木柾の奏者が「努力します!」と快諾すると、稽古場に和やかな空気が流れた。
改めて今一度同じシーンが繰り返されると、今度は動きと音がピタリと合い、金森が「完璧!」と笑顔になり、奏者たちもホッとした様子を見せた。
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音楽と舞踊から「秋庭歌一具」を語る
2021年1月12日更新