「能楽Departure 夜能」津田健次郎×宝生和英 対談|わからないから面白い、朗読で深まる能楽

能楽の世界を、現代作家の書き下ろし脚本を用いた朗読と、能楽師たちの舞台で堪能できる宝生会の「夜能 夜語りの会」シリーズ。2018年の諏訪部順一による「生田敦盛」を皮切りに、これまで安元洋貴が「邯鄲」、細谷佳正が「祇王」、速水奨が「雷電」を能舞台で朗読してきた。朗読後にはトークで作品の背景が解説され、観客はその後の能楽公演への理解を深めることができる、1度で2度おいしい人気企画だ。

2020年6月には長田育恵が脚本を手がけた「生田敦盛」のリバイバル公演に、声優業を中心にマルチな才能を発揮する津田健次郎が登場。この公演は宝生会が、コロナ禍でのオンライン配信の収録公演に初めて踏み切ったものとなった。このたび、「夜能 夜語りの会」配信公演が、「能楽Departure 夜能」としてリニューアルされることに。初回は森久保祥太郎が「邯鄲」を読む。

「夜能」シリーズをはじめ、能楽師として活躍しながら革新的なアイデアで能楽を盛り上げているのが、宝生流第20代宗家・宝生和英だ。ステージナタリーでは宗家(和英)と津田の対談を実施。2人が「生田敦盛」の思い出や、能楽の面白さを語った。

取材・文 / 大滝知里 撮影 / Junko Yokoyama(Lorimer)
ヘアメイク(津田健次郎) / 仲田須加

真っすぐな橋掛かりの上でアジャスト、でもやっぱり怖い!

──本日は津田さんにも和装でご登場いただきました。能舞台で和装をお召しになっての撮影はいかがでしたか?

宝生和英 津田さんは(能舞台に立つのは)「生田敦盛」以来、半年ぶりくらいですかね。

津田健次郎 もう半年経ちますか? 早いなあ(笑)。やっぱり気分は違いますね。宗家にとっては日常だと思いますが、僕は能舞台の構造が本当に面白いなと感じていて。橋掛かりを歩いて舞台へ向かうこと自体が、能にとって大事なんですよね。

和英 そうですね。橋掛かりで違う世界から能の世界へ入っていくというストーリーを作るんです。

津田 「生田敦盛」をやらせていただいたときに橋掛かりをざーっと歩いて、能舞台のマイクの前にたどり着く、それが静かで不思議な緊張感のある時間だったのを覚えています。

左から津田健次郎、宝生和英。

──津田さんが出演された「夜能 夜語りの会」(以下「夜能」)での「生田敦盛」は、映像配信用の収録公演(参照:津田健次郎と宝生和英、朗読と能で「生田敦盛」に迫る)でした。映像は普段観客が観ることのできない、橋掛かりを正面から捉えた画から始まり、険しいピリっとした表情をされていたのが印象的でしたが、どんな心境で歩かれていたのですか。

「夜能 夜語りの会『生田敦盛』」より。

津田 演劇もそうですが“歩く”と“立つ”は芝居の根幹になるもので、一番難しい作業だと思うんです。逆にそこが成立してしまえば、あとはしゃべるだけなので、橋掛かりの上を歩くことはある意味、役者が状態を作っていく時間なのかなと。まずは丁寧に歩かなくてはという気持ちでした。当然、能楽師さんの積み重ねた“歩き”はまねできるものではありませんが、その“歩き”に寄せることは必要なんじゃないかなと考えながら。けっこう、距離があるんですよね。どれくらいの長さなんですか?

和英 正確には……どのくらいなんでしょう(笑)。でも、宝生能楽堂の橋掛かりの長さは都内トップクラスです。

津田 あ、サイズは違うんですね。

和英 特に規定はなくて。宝生能楽堂は国立能楽堂と同じくらいで、この長さが作れるというのは貴重だと思います。津田さんがおっしゃったように、能楽師は最初の運びで調子を作りますが、助走が長ければ長いほど作りやすくなる。逆に言えば、その日のフィジカルが如実に見えてしまうので、グラグラするなとか、重心が後ろに引けてないなとかがわかりますね。

津田 ああ、怖い。

和英 だから、調子が悪い日はそこで調整をするんです。

津田 グラグラするとか芯がぶれるっていう感覚はわかります。コンディションによってかける時間も変わるんですか?

宝生和英

和英 なるべく変えないようにしているんですが、調子が悪いと慎重になるので、ゆっくりになってしまいますね。調子を作るという点で、津田さんはアフレコをされるとき、待ち時間で自分のポテンシャルを上げる儀式のようなものはあるんですか?

津田 アフレコに関して言えば、あまりないかもしれませんね。だからちょっとうらやましいです(笑)。

和英 橋掛かりでいかにアジャストできるかがトップクラスの能楽師だという意識はありますが、昔は橋掛かりに出た瞬間、30人くらいのお客様が席を立たれたということもあったそうで(笑)。

津田 わあ、目の肥えたお客さんたちが。怖いけど、厳しくて良い時代ですね。

和英 今の僕らも緊張感を持って運んでいます。

グッと抑えて匂い立たせる、演劇とは違うダイナミズム

──「生田敦盛」では若くして戦死した平敦盛と、生前には会うことのできなかった息子の再会と別れが描かれます。宗家が朗読に津田さんを指名された理由を教えてください。

和英 もともと「生田敦盛」は2018年に諏訪部順一さんがやられて、それも素晴らしかったんです。でも諏訪部さんとはまた異なる重厚な声を持つ津田さんだと、平家物語の厚さや父子の情愛、熊谷次郎直実の武将ながらに不器用な感じが、どう立ち上がるのだろうという思いがあって。実際、津田さんの公演収録を終えて“祭事”を観たような感覚がありました。読み書きができない町人を前に、舞台を通して説法をしていた奈良時代や平安時代の能楽の形に近付けたというか、津田さんがまるで神官のように見えてしまって(笑)。

津田健次郎

津田 あははは。祭事感はそんなに意識しなかったんですけど、普通の朗読とは違う特別感はありました。7年前、宗家と初めてお話させていただいたときに、能楽は演劇のようにテンションや感情では押し進められない、違う質のダイナミズムのものであることを伺って。「生田敦盛」でもそこでは勝負しないというか、湧き上がってくる感情をあえて抑え込む必要はないのですが、言葉に重きを置くことを少し意識しました。

和英 言ってしまえば海底火山のようなもので、海面はないでいるけど、底にはマグマが眠っていて、時々ぷくぷくと片鱗を見せる。能楽はそのアンバランスさが面白いなと感じます。

津田 引き算のアートですよね。でも、ただ静かなだけではつまらぬ、という気はするので(笑)、“匂い立つ”くらいが理想なのかなと思って読みました。

──「生田敦盛」で津田さんが抽出したかった要素はどんなことでしたか?

津田 親子の話なので、“情愛”が最も大事なのかなあと。ただ、お涙ちょうだいに堕落すると面白くないので、ウェットに流れないように気を付けました。


2021年2月15日更新