横尾忠則と上野水香が語る東京バレエ団「M」モーリス・ベジャールがつないだ2人 (2/2)

“アプレゲール”横尾忠則に憧れた三島由紀夫

──横尾さんと親交の深いベジャールが、横尾さんが個人的に付き合いの長かった三島由紀夫をテーマにした「M」という作品を作ると聞いたときは、どのように思いましたか?

横尾 それは別に驚きませんでしたね。ベジャールが三島由紀夫につながっていくのは、最初からわかっていたことでした。ベジャールに初めて会ったとき、彼はもう三島さんの“残像”をいっぱい抱えていましたから。ベジャールは日本が大好きで、三島さんの葉隠的な思想を僕以上に勉強されていましたよ。

上野 横尾先生は「M」の初演をご覧になって、三島さんが作品のテーマになっていることが感じられましたか?

横尾 「M」は三島とモーリスの頭文字の“M”ですからね。僕がスカラ座の舞台美術をやったときの「ディオニソス」にもミシマイズムが全面に出ていましたし、ベジャールにとって三島さんは非常に大きな存在なんだと思います。

上野 横尾先生は三島さんとお友達でいらっしゃったそうですが、どのようなお話をされたんですか?

横尾 いやいや、お友達と言っても、僕が三島さんと知り合ったのは二十代後半で、その頃にはもう向こうはノーベル文学賞にノミネートされる世界的な作家でしたから。デビューしたばかりの僕にとっては近寄りがたい存在でしたよ。でも、三島さんは僕のことを“アプレゲール”って言うんです。アプレゲールというのは、計画性のない、不良みたいな、いい加減な奴という意味なんですが、実は三島さんが一番憧れていたのがそのアプレゲールなんですよ。でも、三島さんは知性の人だから、「君みたいに無計画に物事を進めるなんて、僕にはできない」と。三島さんは全部のことを計画立てて、手帳にメモして。死ぬ時間まで計画通りだったんだから。まるでアプレゲールの反対ですよ。

上野 本当ですね。アーティストでそこまで頭脳が先行するのは、小説家だからということもあるんでしょうか。

横尾 芸術家はもっと衝動的に行動しますよね。僕は、三島さんのような計算づくに生きる人生はとてもじゃないけどできない。でも、三島さんはそれをやり通したんです。自分の中のアプレゲールが表面化して、横尾みたいになったら困ると思ったんじゃないかな(笑)。「M」にもそういった三島さんの要素があるんじゃないかと思いますね。

上野水香演じる「M」の“女”は男性だった?

──上野さんは「M」では“女”という役を演じます。三島の生涯における母親や妻など、複数の女性を体現した非常に難しい役ですね。

上野 そうなんです。「M」の“女”という役は、三島さんの小説の「鏡子の家」に出て来る鏡子という人物がモデルなのではないかと言われていますが、非常に難しい役どころで。横尾先生にぜひ、三島さんにとって女性がどのような存在だったのかということをお伺いしたくて。

横尾 そこは謎ですけど、三島さんの小説に登場する女性は、本質的に男性ですよ。

上野 え!

横尾 男性がモデルだと思って読んだら、よくわかります。三島さんは、女性のことがわからないんですよ。だから女性の姿を借りて男性を書いている。そうするとエキセントリックな面白い人物が書けるんです。小説の中で描かれる男女の恋愛は、実は男性と男性が恋をしている様子だと思えばわかりやすい。

上野 そうなんですね。確かに「M」の“女”は、常に男性と一緒に踊るのですが、いつも男性に立ち向かっていっています。蹴りを入れたり、頭から突っ込んだり、とにかく強い人物で。でも、三島さんの感覚ではきっと、男性同士が闘っているイメージなんですね。

横尾 ベジャールの女性観も男性じゃないかな。上野さんは舞台上で男性を喰っちゃえばいいんですよ。男性的に踊ってしまえばいい。ベジャールも、台本上にないことをやるのが好きだと思いますよ。

上野 あははは! そうですね。今回の「M」ではそういう演技で攻めてみたいと思います。

──上野さんは今回、2005年、2010年、2020年に続き、4度目の「M」に挑まれます。上野さんにとって「M」で印象的なシーンはどこですか?

上野 いつも心に残る場面があるのですが、それは三島さんの割腹自殺の場面で。少年時代を演じる子役のお腹から、腸に見立てた赤いリボンを取り出して、みんなで引っ張るんです。三島さんの人生に関わった全員がリボンを触ることで、すべてがつながっていくというか。生命が終わるときに、それまでの人生が走馬灯のように見えるとよく言いますが、それを腸で表現しているのが面白いなと。しかも、そのシーンではシャンソンの「ジャタンドレ」という楽曲が流れていて、呑気なメロディーと怖さの掛け合わせがミスマッチで、いろいろなことを連想させるんです。

横尾 輪廻転生は東洋の考え方ですね。いかにもベジャールさんらしい。三島さんだったらもっとグロテスクに演出されていたと思いますよ。豚の腸を舞台上にいっぱい持ってきたかもわからない。

上野 本当に、どのような思いで最期を迎えられたのでしょうね。

横尾 三島さんは全部がお芝居がかった人だったから。切腹するにも、人をたくさん集めて舞台を設定するわけです。すべてを演劇空間にしちゃうんですよね。自宅の台所で奥さん1人を観客に腹を切るわけにはいかないんです。そんなのは三島さんも怖くてできないし、つまらない。すべてが演劇的であり、お遊びだったとも言えるわけです。

東京バレエ団「M」より。(Photo by Kiyonori Hasegawa)

東京バレエ団「M」より。(Photo by Kiyonori Hasegawa)

三島由紀夫というアーティストは永遠に地上から消えない

──2025年は三島由紀夫の生誕100周年です。あらためて三島という人物やその文学が見直されていますが、横尾さんは現代において、三島の思想はどのように受け取られていると思いますか?

横尾 それは三島さんに聞いてください。僕にはわかりません(笑)。三島さんはもうあと100年経とうが、200年経とうが、毎年、本は出るし、永遠に地上から消えないでしょう。というのも、ありとあらゆる謎を残して死んじゃったのでね。三島さんは、物質的な世界に生きる我々にはわからない、死後の世界を生きた人だから、死後の世界の概念をこの物質的かつ肉体的な世界に持ち込まない限り、とうてい理解できないんです。三島さんのことを霊界のルールで論ずる評論家なんて1人もいませんから、三島さんはたぶん、向こうでベロを出して笑ってるんじゃないかな。悔しかったら君も切腹して死んだらどうや?って。そんな感じだと思いますよ。

上野 そうかもしれませんね(笑)。

横尾 上野さんもね、一生踊り続けてください。僕も、健康であれば、どんなにヨタヨタになっても線1本くらいは引けるだろうと思っています。動くこと自体が踊りだとしたら、道を歩くのも、ご飯を食べるのもすべてダンスなのだから、ステージ以外でも踊ったっていいじゃないですか。肉体を通して表現するダンサーは、僕にとって最も憧れる職業ですよ。

上野 横尾先生にそんなふうにおっしゃっていただけると救われます。バレエを始めて40年以上になりますが、これからも踊り心を失わずに生きていきたいです。

左から横尾忠則、上野水香。

左から横尾忠則、上野水香。

プロフィール

横尾忠則(ヨコオタダノリ)

1936年、兵庫県生まれ。美術家。1969年パリ青年ビエンナーレ展版画部門でグランプリを受賞し、1972年にニューヨーク近代美術館で個展を開催。以降、パリ、ベネチア、サンパウロ、バングラデシュほかのビエンナーレに出品するなど国際的に活躍。また、国内外の美術館で個展を開催する。1995年に毎日芸術賞受賞。2001年に紫綬褒章受章。2006年に日本文化デザイン大賞など受賞多数。2000年に手がけた東京バレエ団「M」のポスター / チラシが第80回ニューヨークADC(アート・ディレクターズ・クラブ)賞特別賞を受賞。ニューヨークADC殿堂入りを果たした。1960年代のアングラ演劇でポスターデザイン界に旋風を巻き起こし、以降、さまざまな舞台作品のポスターデザインを担当。近年では「尾上右近自主公演 第8回『研の會』」メインビジュアル、2025年12月から2026年1月にかけて上演されるOrchardシリーズ K-BALLET Opto「踊る。遠野物語」のポスタービジュアルなどを手がける。

上野水香(ウエノミズカ)

神奈川県出身。5歳よりバレエを始める。1993年にローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞後、モナコのプリンセス・グレース・アカデミーに2年間留学。1995年に牧阿佐美バレヱ団に入団。プリンシパルとして活躍し、古典作品やローラン・プティ作品に次々と主演。2004年に東京バレエ団にプリンシパルとして移籍入団。2023年より東京バレエ団のゲストプリンシパルとなる。東京バレエ団ではブルメイステル版「白鳥の湖」のオデット / オディール、「ラ・バヤデール」のニキヤ、「ドン・キホーテ」のキトリなどの古典や「ボレロ」「ザ・カブキ」の顔世御前などのベジャール作品をはじめ、多彩な作品に主演。バレエ団初演作品にベジャール振付「第九交響曲」、ロビンズ振付「イン・ザ・ナイト」、「海賊」のメドーラなどがある。マチュー・ガニオ、ロベルト・ボッレほか世界的スターとも共演。2014年、2018年、2024年に自身のプロデュース公演「Jewels from MIZUKA」を上演した。2022年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、2023年に紫綬褒章を受章。