相馬千秋と宮崎刀史紀が語る、港区の新劇場・みなと芸術センターm∼m

港区の新たな文化施設・港区立みなと芸術センターが2027年11月、浜松町駅前に開館する。開館まで約2年となった今年9月には、同センターの愛称が「m∼mむーむ」に決定。さらにアートプロデューサー、キュレーターの相馬千秋がプログラム・ディレクターに就任することが発表された。就任にあたり相馬は「m∼mはモノや意味ではなく、目に見えない波動のように、すでにそこかしこに発生し始めています」「そこは砂浜のように、誰もが思い思いの振る舞いで過ごし、それぞれの方法で創造性を発揮する場になるに違いありません。そんなm∼mに共振するすべての人たちと、まだ形なきm∼mを共に作っていきたいと思います」と思いを語った。

ステージナタリーでは、2年後のオープンに向けてさまざまな取り組みを行っている開館準備室を訪ね、相馬と開館準備室長の宮崎刀史紀にインタビューを行った。なお特集後半では11月30日に行われる「開館2年前 プロローグ・イベント」についても紹介している。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 平岩享

“扉”としての劇場に

──港区の新たな文化施設、港区立みなと芸術センターが2027年11月にオープンします。公式サイトには「区の文化芸術の中核拠点として、文化芸術の鑑賞、参加及び創造活動の推進並びに国内外にその活動を発信し、文化芸術に関わる人材の育成を図り、交流や相互理解、それによる多様性を認め合う価値観を醸成し、区民福祉の向上に貢献する」ことがコンセプトに掲げられていますが、お二人は、みなと芸術センターをどのような場にしたいと考えていらっしゃいますか?

宮崎刀史紀 私たちが今準備しているみなと芸術センターは、まず何よりも、港区で生活する人々に向けた施設であるということを大切にしています。港区で暮らす人、働く人、学ぶ人、そして訪れる人。日々港区と関わりながら過ごす、あらゆる人々のための場にできたらと考えています。港区で生活している人たちが「この街にはみなと芸術センターがある」ということを実感できるような場にしたいです。港区にはすでにさまざまな文化施設がありますので「なぜ今、新たな文化施設を作るのか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。だからこそ、港区がこれからの時代を見据えて今、文化施設を整備するということの意味をよく考えたい。センターが特別な日に来る場所というだけでなく、ふらっと立ち寄ったり学んだり滞在したりできる場所でありたいと考えています。そして、訪れる方々と共に施設自体も成長していく。そうした姿を目指して、より多くの方とご一緒していきたいと思っています。

左から宮崎刀史紀、相馬千秋。

左から宮崎刀史紀、相馬千秋。

相馬千秋 今の時代に新しい劇場、新しい公共空間ができるにあたり、“誰しもがクリエイティブな主体であれる場所”という理念を実現していくことができたらと思っています。港区は港区文化芸術振興プランにおいて「共生社会の実現」を掲げていますが、それは誰しもがそれぞれの価値観に基づく自由と尊厳を尊重され、クリエイティブな文化権、生存権を享受できる、ということと解釈できます。人類の長い歴史の中で、劇場は“観る場所”であったわけですが、みなと芸術センターでは、訪れる方たちにもただ何かを観にくるだけでなく、自分がクリエイティブの主体となり得るということを実感してもらいたいと考えています。そのためにさまざまなラーニングプログラムやワークショップを考えていますし、それが発展して舞台上で展開される、ということもあり得ると思っていまして、観るだけではない実践の場、参画の場ということは意識してプログラムを組んでいます。

またこの何年か、みなと芸術センター参与という形で関わらせていただいて非常に驚いたのは、港区文化芸術振興条例における「区民」という概念の捉え方なんですね。港区に住んでいる人のみならず、港区に通勤通学で来ている人、さらに“そこにいれば港区民”という非常に寛容な捉え方なんです。つまり誰しもが今港区に身体を置いていれば港区民であるという。その視点で解釈すると、単純に納税者=区民というだけでなく、港区に観光に来ている人もテンポラリーな港区民であって、港区のリソースを享受できるということなんです。そのような寛容な港区が主催するみなと芸術センターは、港区にいることによって誰しもがクリエイティブな振る舞いができ、多様性を実感できる場にしたいと思いますし、地理的にも羽田空港から約15分という名実ともに日本のゲートウェイですから、世界の諸都市や想像の世界とつながっていく“扉”としての劇場をイメージしています。

自分のクリエイティビティを発揮してほしい

──お二人はこれまでさまざまな場所、さまざまな形で舞台芸術に関わられてきました。これまでのキャリアと今回のお仕事についてのつながりや違いを教えてください。

宮崎 私はこれまで、神奈川県の劇場であるKAAT神奈川芸術劇場、そして京都市のロームシアター京都の立ち上げや運営に携わってきました。今回は東京の区立施設に携わることになり、地域の特性や施設に託されている思いがそれぞれに異なることをまず理解する必要があると感じています。たとえば、京都市では京都の地域や文化的イメージ、活動に“京都”というまとまりがなんとなくありましたが、東京では人が移動する際などそこまで“区”を意識しないように思います。また近年は、都会から地方へという流れが語られ、“東京は創造の場としての役割を失いつつあるのではないか”という議論もありました。そうした中で、都心の中の都心である港区の地域性や文化をどう位置付け、運営に反映していけるか。そこに課題あるいは可能性があると思っています。

宮崎刀史紀

宮崎刀史紀

相馬 私は「フェスティバル / トーキョー」(2009-2013)、「あいちトリエンナーレ2019」および「国際芸術祭あいち2022」パフォーミングアーツ部門キュレーター、ドイツの世界演劇祭「テアター・デア・ヴェルト2023」のプログラム・ディレクターと、いわゆる芸術祭をプラットフォームにしたプロデュース、キュレーションを25年ぐらいやってきました。キュレーションはもちろん劇場でも行うのですが、劇場という“場所がある”ことで何が変わるのかということは新たに考えているところです。これまで、特定の場所が決まっていないからこそ発揮できたクリエイティビティというものもあります。たとえばこれまで10年間主催してきたシアターコモンズ(2017-現在)では、インディペンデントゆえ小屋代をかけることができないために、無料ないし安価で借りられるテンポラリーな場所を見つけてきて、そこを演劇のコモンズ(共有地)にするということをやってきましたが、それは劇場がないからこそ生まれてきた発想だと思います。でも今後はフィジカルな場があり、しかもそこが区のパブリックな場所として開かれているわけなので、劇場が“より開かれていく”、“いろいろなもののハブになる”仕組みを改めて作っていきたいと思っています。いろいろな方にお使いいただくことは大前提として、同時にそこにクリエイティビティな相互作用が起きて、外に向かって発信されていくようなことを考えていきたいなと。それには、これまで日本の公共劇場が作ってきた仕組みも役立つと思いますし、それをさらに刷新することもできると思っています。

ドイツなどで仕事をして帰ってくると、日本の一般の人の文化実践度がいかに高いかということを実感します。日本は習い事文化が定着していて、それは日本の文化の底力だと思うんです。みんなが必ずしもプロではないけれど、多くの人がセミプロであるような状態。そうした状況も踏まえ、なるべく多くの人にみなと芸術センターでご自分のクリエイティビティを発揮していただき、観客でもあるけれど舞台にも上がる人でもあるというような、観る側 / やる側の垣根を超えていくような場を作りたいですね。ということを実現するには、テンポラリーなフェスより場があったほうが展開しやすいと思いますので、それはすごく楽しみにしています。

ちなみに劇場の構造としては、プロセニアムの600席ぐらいの劇場と、スタジオ、コモンスペースがある、至って普通のスペースです。でもそれがいいというか……今は要塞やお城のような劇場が必要なわけではなく、そこを拠点にあらゆるところとどうつながっていくかが大事で、その点でも“扉”型の劇場を実現していきたいですし、それには今までの経験で“筋トレ”してきたことが生かせるのではないかと思っています(笑)。

宮崎 私自身もこれまでさまざまな経験を積み、トレーニングを重ねてきました!(笑) 神奈川ではアーティストが芸術監督を務める劇場に携わり、京都では地域に根付いた文化を新しい取り組みとどう結びつけていくかを考える劇場に携わりました。東日本大震災やコロナ禍といった大きな出来事も経験しています。私自身は企画を立てるというよりも、アーティストや企画を考える人、施設で働く人や施設を訪れる人をいかに支えるか、そして施設をいかに運営するかということに一貫して取り組んできました。みなと芸術センターでもその経験を生かせたらと思っています。

クリエイティビティを刺激する愛称「m∼mむーむ

──9月1日、愛称が「m∼mむーむ」になったことが発表されました。可愛らしく親しみやすい愛称ですね。

宮崎 愛称が「m∼m」に決まったと聞いたときは、本当に驚きました。「この名前になったそうですよ」って相馬さんにお伝えしたら「またまた~」と信じてもらえなかったというか(笑)。でも、どこかで「これって、区が本当に本気でセンターの整備に取り組んでいるということだな」と思うようになりました。

相馬 最初宮崎さんの冗談だと思ったんです(笑)。私もそれなりに攻めの人生を送ってきたつもりですが、自分の想像よりずっと攻めているものを港区が決めたというのが本当にびっくりで、決まった数日間は「これから『m∼mの相馬です』って名乗るのかぁ、キャラ変しなきゃ」と考えていたのですが(笑)、時間が経つにつれ、非常に良い、今時の名前になったなと思っています。つまり「意味じゃない」ということですね。公式で発表されている通り「mは、minato(港)とme(私)を表し、地域と私の結びつきを表す」というふうに考えることもできますが、まったく違う風にも受け取れる。字面がちょっと顔文字っぽかったり、意味ではなくオノマトペであったり、“∼”の中にある種の波動が埋め込まれていたりと、勝手に想像できるような良さがあると思います。

ちなみにこの愛称に決まって、私、人々の反応が見たくて七択のクイズを作ったんです。「m∼m」のほかに「minart」とか、ありそうな名前を並べて、アーティストや周囲の人たちに「どの愛称になったでしょう?」とクイズをやってみたら、けっこうな人がけっこうな確率で「m∼m」を選んだんです。これはすごいことだなと思って、意味や最大公約数ではなく、今までにないものに人は直感的に惹かれるんだなということと、その愛称を選んだ港区はすごいなと。そのことをうれしく感じました。

相馬千秋

相馬千秋

──愛称が決まってから、軸がよりはっきりした、という部分はありますか?

相馬 まさにそうですね。11月30日に行う「開館2年前 プロローグ・イベント」でも、たとえば谷口勝也さんが手がけられるVRエンターテインメントが「バーチャルm∼m」というタイトルだったり、市原佐都子さんのワークショップが「m∼mで、も~も」だったりと、一見するとふざけているように聞こえるかもしれないけど、親しみやすさと共に何か一言では言えない面白さ、わからなさみたいなことが感じられる。それがアートの本質でもあると思うんですよね。答えじゃなくて興味というか問いというか……。なので、「m∼m」という想定を超えた愛称に決まったことで、こちらもすごくクリエイティブに刺激されましたし、すごくいい流れだなと思っています。

宮崎 なぜこの愛称になったのかは「開館2年前 プロローグ・イベント」で選考に携わられた方から直接お話いただく予定です。実務的には、縦書きでの見え方や、読みやすさなどクリアしなければいけないこともあります。けれども、それ以上に「m~m」という名前には大きな力があると感じています。

目指す共生のイメージは“砂浜”

──みなと芸術センターの基本方針の1つに「育成」が掲げられています。具体的にどのような企画を構想されているのですか?

相馬 みなと芸術センターの「管理運営計画」では、事業体系の中に「人材育成事業」や「ラーニング事業」というのがあり、それらを踏まえて、「スクール事業」のようなものを充実させていくということは考えています。

宮崎 同僚たちとは以前から、「ジムのように、気軽に立ち寄れる場にできたら」という話もしていました。「今日、午前中空いてるから、芸術センター行ってくるよ」「最近ちょっと芸術が足りてないから、会社帰りに鍛えてくる」みたいな(笑)。公演を観たりするだけでない形で「今日はm∼m寄って帰ろう」と言えるような場所にできたらなって。

左から宮崎刀史紀、相馬千秋。

左から宮崎刀史紀、相馬千秋。

相馬 そうですね。冒頭でお話ししたことに重なりますが、ただ観るのではなく、自分もそこに創造的な主体として関わる実感が持てるようなことをプライオリティに、全体のプログラムを組んでいきたいと思っています。今や多くの人が推し活をしたり、習い事をしたり、基本的にすごくクリエイティブな日常生活を送っていますから、みなと芸術センターでは、さらにその先の境地に行っていただけたらいいのではと思っています。たとえばクラシック音楽の人だけれど気づいたらVRをやってましたとか、現代演劇が好きだったけれど気づいたら社会関与型アートのほうに足を踏み入れていましたとか、そういう領域横断的なジャンプが起こるようなことができたらなと。そしてm∼mでの活動と、この社会が今後どうなっていくか、私たちはどういう社会や未来を作っていくのか、という根本的な問いがつながっていったらいいなと思っています。

港区は税収や所得が豊かなエリアで、でもだからみんなハッピーかというと決してそうではなく、社会が今抱えている問題や課題は同じようにあります。そういったものを芸術がすべて解決することはできないかもしれないけれど、乗り越えていくある種の発想や創造性を芸術は耕すことができると思うんです。たとえば、今パレスチナで起こっている殺戮も、あれが国際法に反した組織的暴力であり、ジェノサイドであるということはわかっているけれども、アートはいますぐ戦争を止めることはできないことに、私たちはひたすら絶望しているわけです。でも、生き残った人たちがこの壮絶な状況から癒され、時間をかけて乗り越えていくプロセスにおいては、芸術はまだ何かしら力を持ちえると信じたいし、それが芸術が持っている唯一の希望ではないかとさえ思います。そうした観点からも、みなと芸術センターから発信できることはあるはずです。もちろん、普通にいいアートやいいプログラムを観て心が浄化される、スッキリすることも大切ですが、その先には、この不条理に満ちた世界で私たち人類がまだ生きるに値した存在だということを提示したいし、港区は先進的な考え方を持っている場所だと思うので堂々とやっていきたいなと思っています。

それともう一つ、準備段階から“砂浜”は非常に重要なキーワードだと考えています。プレ事業の一環でシンポジウムをやった際に、登壇者であった美学者の伊藤亜紗さんがおっしゃっていたことなのですが、「共生社会というと、どうしてもみんなが手をつないで輪になっているようなイメージを持ちがちだけれど、そうすると必ず輪に入りたくない人やあぶれてしまう人が出る。目指すべき共生社会というのはむしろ、砂浜のようにそれぞれが好きなことをして、勝手な振る舞いをして、でもなんとなくみんなが同じ場にいて出たり入ったりしている場ではないか」と。その考え方は、当時プレ事業を企画していた身としても非常にピンときて、今日に至るまでその思いはいろいろなところに波及しています。m∼mがいろいろな人が共生できる場になり得るかどうかを考えるうえで、砂浜のような考え方は重要だと思っています。