国際芸術祭「あいち2022」中村蓉×今井智景×百瀬文が語る、現在を“STILL ALIVE”する身体

7月30日に国際芸術祭「あいち2022」がスタートした。“STILL ALIVE”をテーマに掲げる今回は、片岡真実芸術監督のもと、現代美術・パフォーミングアーツ・ラーニングの3本柱で展開され、パフォーミングアーツ部門では、アートプロデューサーの相馬千秋がキュレーターを担当。さらに愛知県芸術劇場プロデューサーの藤井明子、アートプロデューサーの前田圭蔵がアドバイザーに名を連ねている。

パフォーミングアーツ部門には、11名のアーティストが参加。ここでは9・10月に上演を控える中村蓉、今井智景、百瀬文に注目し、相馬を聞き手に“STILL ALIVE”というテーマに対する思いや作品に関するエピソード、コロナ禍でクリエーションを続ける思いなどを3人に語ってもらった。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤田亜弓

芸術祭テーマ“STILL ALIVE”への応答

相馬千秋 国際芸術祭「あいち2022」のテーマは、“STILL ALIVE 今、を生き抜くアートのちから”です。これは愛知県出身のアーティストである河原温の「I Am Still Alive」シリーズへのオマージュとなっているわけですが、この“STILL ALIVE”というテーマを、私たちがどう受容して応答するかということが、芸術祭全体として問われています。まずは皆さんそれぞれの作品と“STILL ALIVE”という言葉がどのように響き合っているかをお話いただけますか?

左から今井智景、百瀬文、中村蓉、相馬千秋。

左から今井智景、百瀬文、中村蓉、相馬千秋。

中村蓉 今回私が上演するのは2020年に初演した「ジゼル」という作品です(参照:中村蓉がソロダンス「ジゼル」30分版をライブ配信、「あらゆる知恵を総動員」)。「ジゼル」については2つ、“STILL ALIVE感”を感じていて。「ジゼル」の初演は2020年4月で、ちょうどコロナが始まり緊急事態宣言も出て、中止にせざるを得なくなったタイミングだったんですね。でもどうしても今の表現がしたい、延期することは可能だけれども今の身体しかないと思ったので配信公演に切り替え、もうすぐ取り壊すという友人の古民家で踊ったんです。その1年後にようやく本公演ができ、今年2月には山形でも上演することができてこの作品自体がどうにか生き残ってきた……“STILL ALIVE”し続けてきました(参照:中村蓉による「ジゼル」の“完成版”「皆さんの心に今日の踊りが届いてくれたら」)。

もう1つは、この「ジゼル」という物語にあって、ジゼルはアルブレヒトという恋人に裏切られたショックで狂気になり、死んでしまうんですけど、アルブレヒトが精霊たちに殺されそうになったとき、ジゼルは彼を助けるんです。そんなふうにジゼルに助けられたアルブレヒトは、その後どんなに苦しくても“STILL ALIVE”し続けるしかないんじゃないかと思いますし、アルブレヒトがジゼルに生かされたように、コロナ禍で私自身も何かに“生かされている”という思いを感じるようになって。その2点に“STILL ALIVE感”を感じています。

中村蓉

中村蓉

相馬 確かに私たち自身、コロナ禍を生き延びて今ここにいて、そのことがどれほど貴重なことであるかという実感はありますね。さらにパフォーミングアーツはコロナによって公演自体ができない状態が続いたので、私たちの存在意義も揺さぶられた。その意味で、“STILL ALIVE”は非常に重い言葉だと思います。今井さんは?

今井智景 私もこの2年間、ほぼすべての公演がコロナによって延期になりました。かつ、私が活動する愛知ではコンテンポラリーミュージックシーンがほとんどないという状態で、パフォーミングアーツというカテゴライズの中では取り上げられることがあっても、コンテンポラリーミュージックだけの公演というのはなかなか難しいのが現状です。でも名古屋市関係のお仕事ではよく、「アートで町おこし」を求められることが多いので、まずはどうやったらみんなにコンテンポラリーミュージックを聴いてもらえるかを常々考えていました。

その一環で、オランダにいた頃から取り組んでいたビジュアルアートやステージデザインの人とコラボレートする作品をより一層作るようになり、パフォーミングアーツアドバイザーの藤井明子さんが私にお声がけくださったんです。今回私は、豊橋市魚町能楽保存会所蔵の室町時代や江戸時代の貴重な能面をお借りし、能面の表情が移り変わる様を写真に収めた映像と現代音楽のコラボレーションを行います。お能って、嫉妬や憎しみで霊になったものがある意味無常を受け入れて、最後はピースフルに帰っていく、というお話が多いですよね。今回上演する6作品の中の1つ「トランセンダント(神韻縹渺)-うつしだすもの」という作品では、下部構造として小野小町を軸にした“小町もの”を用いていて、最初はきらびやかな世界にいた小野小町が最後は山の中で乞食のような格好をしていたと言われるエピソードの時間を逆転し、“今の自分はこうだけれども、かつては綺麗だった”という昔の姿とさまざまな思いが巡り、最後は老いた自分を受け入れる様をたどっています。そういった部分で“STILL ALIVE”を感じています。

今井智景

今井智景

相馬 百瀬さんはまさに、現代美術の文脈における河原温の「I Am Still Alive」を意識されたんじゃないかなと思いますが、「I Am Still Alive」は50年前に河原温が、自分は姿を見せず、世界中の知人や美術館に「I Am Still Alive」という文報を打ったというコンセプチュアルアートです。それが50年という時を経て作品が変様してきて、今は“I”が相対化され、Iが近代的な意味での“アーティスト”本人のことなのか、それとも別の主体なのか、現代美術が語るべきIはIなのかWeなのかという問題にも関わってきていると思います。

百瀬文 私はコロナによって孤独の問題が現前化したと思っています。それぞれに隔絶され、誰もが孤独の当事者になったと思うんですけど、その中で今回私が扱おうと思っているのは、障害者女性の性の問題です。昔は女性に性欲があることは病気だと思われていて、特に障害者にはずっと性欲がないとされてきたので、女性や障害者は自分の身体を自分で癒やし続けてきました。障害者女性の性の問題は、ある意味、二重のカーテンの中へ追いやられてきたわけです。今回、新作「クローラー」を制作するにあたって、自身が障害者であり、かつて障害者専門風俗でセックスワーカーとして働かれていた女性にインタビューし、そのことをモチーフに作品を作っていきました。なので“Still Alive”と言って気になるのは、今まで隠されてきた人たちのAliveの声。社会の中で、何が見過ごされてきたのかということです。

また私は現代美術展のほうにも旧作「Jokannan」で参加しています。これはオペラ「サロメ」を下敷きにしたビデオインスタレーションで……。

百瀬文

百瀬文

今井 観させていただきました!

百瀬 ありがとうございます! 「Jokannan」は、モーションキャプチャースーツを着た男性ダンサーがサロメを憑依させて踊っている動きと、それをデータ化したCG映像を並べた作品なんですが、そもそも「サロメ」って、愛する男を殺し、その生首に向かって「なぜあなたは私を見てくれなかったんだ」って言う、ある意味矛盾した話なんですよね。その、“眼差しを欲し続ける”ことでの矛盾のような状況を作ってみたいと思った作品です。男性ダンサーの動きとCGの映像は最初は同期していますが、徐々にズレていきます。そのようにサロメが最終的に男性ダンサーの身体から解き放たれて、ある主体的な存在として振る舞い始めるということと、原作にあるサロメの女性としての性欲の問題をつなげた作品でもあるのかなと思っています。