国立劇場で繰り広げられる、約50年ぶりの文楽全段通し上演「菅原伝授手習鑑」公演レポート&竹本千歳太夫・豊澤富助インタビュー (2/2)

娘に杖を振り下ろす老母、その心は

「杖折檻の段」では、覚寿の館を舞台に、苅屋姫と立田前、そして覚寿の痛々しいやり取りが見どころ。苅屋姫に厳しく接していた立田前だったが、それも苅屋姫を愛するがゆえのこと。苅屋姫をこっそり館に連れてきた立田前が思案していると、2人は覚寿に見つかってしまう。苅屋姫のせいで丞相が失脚したと、杖を振り上げる覚寿に、立田前は自分が打たれようとし……。

覚寿は、文楽、歌舞伎ともに最も難しい老女の大役“三婆”の1人と言われる。そんな難役を、人形遣い・吉田和生は、華奢な老女ながら気迫を感じさせる人物として立ち上げた。豊竹芳穂太夫の「チョウ、チョウ、チョウ」という声に合わせ杖を振り下ろす姿には、怒りだけではなく、苦しみや悲しみ、娘たちへの愛情がにじむ。すると覚寿を止める丞相の声が奥の部屋から聞こえ、苅屋姫がふすまを開けると、そこにあったのは丞相の木像。驚き、「どうして会ってくださらないのか、どこに隠れているのか」と涙する苅屋姫に、覚寿は「その木像は丞相に頼み彫ってもらった、丞相の魂が込められているもの。木像とてあなどるな」と苅屋姫に告げるのだった。覚寿と立田前が、胸元からすっと懐紙を取り出し涙を拭う、武家らしい品格ある動作にも注目しよう。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「杖折檻の段」より、人形左から苅屋姫、覚寿、立田前。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「杖折檻の段」より、人形左から苅屋姫、覚寿、立田前。

凄惨な立田前殺し、殺したのは…

早朝の薄暗い館の庭で展開する「東天紅の段」では、立田前の夫・宿禰太郎と、その父・土師兵衛の企み、立田前の悲劇が展開。褒美目当てで時平側についている兵衛と太郎は、偽者に迎えさせて丞相を連れ出そうと、出立の合図となる鶏の鳴き声を通常より早く出させる細工を仕掛けていた。夫と義父のやり取りを聞いてしまった立田前は、葛藤した挙げ句2人の前に飛び出し、思いとどまってくれと泣き縋る。了承した兵衛と太郎に、立田前は胸をなでおろすが、太郎による凄惨な立田前殺しは、兵衛の合図で決行される。太郎に斬られいたぶられ、止めを刺された立田前の身体は、最後は人形遣いの手を離れ、ぐったりと死体らしく横たえられる。きれいにまとめられていた髪は太郎のせいで乱れ、着物には刀傷から浮いた血がにじむ。死体が池に投げ入れられると、人形遣いは立田前を横抱きにし、腕を揺らしゆっくりと沈んでいくさまを表現した。一方、兵衛の知恵により、鳴き声を上げた鶏に喜んだ太郎と兵衛が「そりゃこそ鳴いたは東天紅」「ありゃまた歌うは東天紅」とはしゃぐ様子は、竹本小住太夫と三味線・鶴澤藤蔵のリズミカルな音色により、陰鬱な場面をどこか楽しげに彩った。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「東天紅の段」より、人形左から宿禰太郎、土師兵衛。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「東天紅の段」より、人形左から宿禰太郎、土師兵衛。

老母、大男相手に覚悟の立廻り

館の玄関を舞台にした「宿禰太郎詮議の段」と「丞相名残の段」は二段目のクライマックス。豊竹呂勢太夫が語り、鶴澤清治が三味線を担当する「宿禰太郎詮議の段」では、覚寿の仇討ちが見せ場となる。太郎と兵衛の企みにより、偽の輿に乗せられ出立した丞相を見送ったあと、覚寿は立田前の姿が見当たらないことに気づく。庭の池から発見された立田前の死骸に、覚寿は苅屋姫と共に取り乱すが、立田前の口に挟まれた着物の裾から犯人を知る。覚寿は太郎を油断させ、急所を突き刺す。華奢な老女が大男相手に見せる立廻りは壮絶で、和生は、太郎の顔を睨みつけながら、刀で急所をえぐり続ける動作で、覚寿の激しい恨みを表現した。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「宿禰太郎詮議の段」より、人形左から覚寿、宿禰太郎。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「宿禰太郎詮議の段」より、人形左から覚寿、宿禰太郎。

一件落着…とはいかない、菅丞相の悲しさ

二段目の切「丞相名残の段」では、館での騒動の顛末が語りと三味線によってダイナミックにつづられる。2022年4月に太夫の最高位である切語りに昇格した竹本千歳太夫の語りと、豊澤富助の三味線は息もぴったりで、競い合うように場の熱を高めていく。丞相を迎えに来た輝国一行だが、覚寿は「すでに丞相を預けた」と不審に思う。やがて太郎の企みと気づいた覚寿は、丞相を偽の一行に連れ去られたと輝国に訴える。偽の一行を追いかけようとする輝国だったが、館の奥から、すでに連れ去られたはずの丞相が現れる。老婆の嘘かと安堵した輝国だったが、そこに偽の迎えが戻ってきて……。

丞相の不思議な力によりすべての悪事が明らかになり、一件落着……するかと思われたが、配流される丞相の悲しい運命は変わらない。覚寿は母心から、伏籠に苅屋姫を隠し、出立する丞相と面会させようとする。罪人となった自分が姫と会うわけにいかないと顔をそむける丞相だったが、苅屋姫の泣き声に心の葛藤が露わに。苅屋姫の涙はポロン、ポロン……と悲しく響く三味線の音色で表現され、その悲痛さに館を出た丞相も思わず振り返ってしまう。それでも顔を合わせてはならないと、丞相は片袖で顔を隠し、最後にはぐっと目を閉じ、思いを振り切り、歩き出す。ドン、ドンという足拍子から、丞相の内に秘めた感情が伝わってきた。

丞相はこれからどうなっていくのか、丞相を思う人たちの今後は? 後ろ髪引かれる思いのまま、「令和5年5月文楽公演」の「菅原伝授手習鑑」初段と二段目は終了。続きはぜひ8・9月公演で見届けてほしい。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「丞相名残の段」より、右が覚寿の人形。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「丞相名残の段」より、右が覚寿の人形。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「丞相名残の段」より、人形左から菅丞相、覚寿。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「丞相名残の段」より、人形左から菅丞相、覚寿。

竹本千歳太夫・豊澤富助インタビュー

ここでは、「丞相名残の段」で、丞相の葛藤を息の合った語りと演奏で表現した竹本千歳太夫と豊澤富助が登場。「菅原伝授手習鑑」を通しで上演することへの思いや、「丞相名残の段」の聴きどころを聞いた。

左から竹本千歳太夫、豊澤富助。

左から竹本千歳太夫、豊澤富助。

──「菅原伝授手習鑑」を通しで上演するのは、文楽公演だと51年ぶりです。通しでの上演の魅力はどういったところにありますか?

竹本千歳太夫 通しで上演することで、筋が通ることは良いことですね。「安井汐待の段」など、あまり上演されない場面もご覧いただけるのは、物語を追ううえで、お客様には親切でしょう。あと三段目「茶筅酒の段」で、白太夫が千代に「孫めはまめなか」と声をかけますが、これは実は「寺子屋」への伏線になっている。「菅原伝授手習鑑」を通しで上演することで、そういった細部の仕掛けを楽しんでいただけるのでは。

豊澤富助 浄瑠璃というのはスピンオフのお話が多いんです。「菅原伝授手習鑑」も道真公の物語ではありますが、三兄弟の運命も絡んでいるので、通しの中でも、バラエティ豊かな、さまざまなストーリーを楽しんでいただけます。昔は木戸銭が安かったせいか、「今日は朝早く来たから『大序』から聞いていこう」「三段目でちょっと抜けて『寺子屋』で戻って来よう」といった、気軽な楽しみ方ができたと思うんです。今では入場料も上がってきたので、そんな昔のような気楽な観劇が出来なくなりましたね(笑)。

──「丞相名残の段」は、二段目の切となる、重要な段です。聴きどころや難しさを教えてください。

千歳太夫 神格化された丞相の品格の描写、丞相と苅屋姫の別れの哀感、それまでつらく当たっていた覚寿の苅屋姫に対する情愛、といったところですね。丞相が苅屋姫との名残を惜しみたい心を、自ら抑えて情愛を断ち切るように対面を遮る場面は、その瞬間に丞相が人から神へと移行する、そんな厳粛さがあると思います。

富助 菅丞相の品格を出すのが大変難しいんです。三味線弾きも息を使うので、品格はその“息”や間合いで表現しないといけません。この“息”が大事で、語りの産み字(編集注:音の高さを変化させながら、長く伸ばして唄う母音のこと)が長いぶん、三味線がしっかり間を取らないといけない。こういったことを言葉で説明するのも難しい曲です。

──二段目の切「丞相名残の段」への思い、そして意気込みをお聞かせください。

富助 初めて勤めたのは2007年の「第160回文楽公演」でしたが、無我夢中でした。「杖折檻の段」は経験していたので、(「丞相名残の段」も)聴かせていただいてはいたのですが、いきなり本公演で当たると大変でした。やはり勉強会でやっておくべきだったな、と思いました。浄瑠璃は、大曲でも融通が効く部分がどこかにありますが、この曲はそれがない。昔の方々は、それぞれいろいろなやり方をなさっていたようです。(四代目竹本)越路太夫師匠も、(二代目野澤)喜左衛門師匠と組んでおられたときと、そのあとに清治師匠と組まれたときとではやり方を変えられていて、清治師匠と組まれたときに改めてご自身の師匠である豊竹山城少掾師匠のなさった行き方に回帰されていました。今回、僕たちはそれを踏襲したいと思っています。

千歳太夫 「丞相名残の段」は1991年頃、個人の勉強会でやらせていただいたのですが、そのときは到底私の手に負えるもんじゃありませんでしたね。当時、(四代目竹本)越路太夫師匠から言われたのは「はい、終わり。駄目を言い出したら切りがない」だけでした。「丞相名残の段」は、富助さんがおっしゃるように、すべてにおいてかっちりとした曲。そのぶん太夫もきっちりとした格で語らないといけないのですが、それがなかなか難しいですね。私は、越路師匠が清治師匠と組まれたときに白湯汲み(編集注:切語りを勤める太夫のため、その弟子が白湯を入れた湯呑を運ぶ役割。右側床下で控え、師匠の語りを聞くことも修業の1つ)をさせていただいていました。今回、その演奏を目標として稽古しています。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「丞相名残の段」より、菅丞相の人形。

「令和5年5月文楽公演」第二部「菅原伝授手習鑑」二段目「丞相名残の段」より、菅丞相の人形。

プロフィール

竹本千歳太夫(タケモトチトセダユウ)

1959年、東京生まれ。1978年に四代目竹本越路太夫に入門。翌年、竹本千歳太夫を名乗り大阪・朝日座で初舞台。2005年に八代目豊竹嶋太夫門下となる。第50回芸術選奨文部大臣新人賞、第42回国立劇場文楽大賞、第72回芸術選奨文部科学大臣賞受賞など、受賞多数。2022年4月、切場語りに昇格。

豊澤富助(トヨザワトミスケ)

1955年、大分生まれ。1971年に文楽協会三味線部研究生となり、二代野澤勝太郎に師事。野澤勝司を名乗る。翌年、東京・国立劇場で初舞台。1984年に五代目豊澤富助と改名。第39回芸術選奨文部大臣新人賞、第35回国立劇場文楽賞文楽優秀賞、平成26年度外務大臣表彰など、受賞多数。

第三部「夏祭浪花鑑」にも注目

第三部では「夏祭浪花鑑」より、「住吉鳥居前の段」から「長町裏の段」までが披露される。大坂の夏を舞台に、血の気は多いが義理人情に厚い団七九郎兵衛が、恩人である国主浜田家の諸士頭・玉島兵太夫の息子・磯之丞への忠義心、そして自身の義父・三河屋義平次との衝突が描かれる。「長町裏の段」での緊迫感あふれる舅殺しが見どころで、団七を桐竹勘十郎、三河屋義平次を吉田和生と、人間国宝の2人が遣う。なお「釣船三婦内の段」を勤める豊竹呂太夫は、2024年4月に大名跡である豊竹若太夫を襲名する予定だ。

「令和5年5月文楽公演」第三部「夏祭浪花鑑」より「長町裏の段」。人形左から団七九郎兵衛、三河屋義平次。

「令和5年5月文楽公演」第三部「夏祭浪花鑑」より「長町裏の段」。人形左から団七九郎兵衛、三河屋義平次。

「令和5年5月文楽公演」第三部「夏祭浪花鑑」より「長町裏の段」。人形左から団七九郎兵衛、三河屋義平次。

「令和5年5月文楽公演」第三部「夏祭浪花鑑」より「長町裏の段」。人形左から団七九郎兵衛、三河屋義平次。