1953年に書かれたレイ・ブラッドベリのSF小説「華氏451度」が、白井晃の演出、長塚圭史の上演台本で舞台化される。徹底した思想管理体制のもと、書物を読むことが禁じられ、発見された書物は“ファイアマン”によってすべて焼き去られる、近未来のとある世界。現状に疑問を持ち始めたファイアマンのモンターグは、ある日、仕事場から書物を持ち帰ってしまい……。人類の知と未来を巡るこの壮大な物語が、どのように舞台に立ち上がるのか。8月下旬、出演者の吉沢悠と美波、そして吹越満が、手探りで進む稽古の様子を語った。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 川野結李歌
作りつつ、疑いつつ、壊しつつ
──お稽古が始まって2週間が経ちました。そろそろ作品の輪郭が見えてきた段階でしょうか?
吉沢悠 「こういうふうにする」という明確なト書きがある台本ではないし、白井さんもまだ作品の外枠のようなものを作っている段階だとおっしゃっていて、でもその外枠すらも本当ですか?ということを考えながら稽古している感じですね。それに、僕は白井さんの演出が初めてなんですけど、(美波に視線を向けて)「白井さんはいろいろ壊していくよ」って、ちょっと怖がらせるようなことを言うので……(笑)。
美波 あははは!(笑) 冗談ですよ。でも私も、「今やっていることは、まだ決定じゃないんだろうな」と思いながらやっています。もちろん白井さんの中にはすでに作品に対して絶対的なものがあると思うんですけど、稽古の中で役者の可能性を広げながら、また役者から出てきたものを作品に取り入れて発展させていく方だなと感じる部分があって。だから今は、稽古でいろいろ投げかけようと思っています。
吹越満 僕も白井さんとは初めてですが、特に戸惑いとかはないですね。白井さんはやっぱりKAATを使い慣れてるし、大きなプロジェクトの作品を動かすことに慣れていらっしゃるなと感じます。すでに舞台美術も決まっているから、あとはこの空間で何がやれるかを探していくだけ。その点で、とても安心感があります。
未来と言うより“ここじゃない世界”
──KAATで一番大きな空間であるホールで、たった7人の俳優があの小説をどのように立ち上げていくのか、非常に楽しみです。舞台版のイメージは、皆さんすでに共有されているのでしょうか?
吉沢 共有されているかはわかりませんが、こういう形になっていくのかなという感覚は要所要所で見え始めていますね。
美波 非常に抽象的な空間で、大道具や小道具など、頼るものがあまりないんです。小説というものは読んだ人によって立ち上がっていくイメージが違うと思うのですが、今回もそれと近いものがあって。白井さんは稽古で、「人が動くとアメーバが広がるように空間自体も変わっていくようにしたい」とおっしゃっていましたが、登場人物のカラーが変わることで空間そのものも変わっていくような感じ。そういう演出は面白いし、やっぱり好きだなと思いました。
──フィクションの要素が多い作品なので具象性が高まるのかなと思ったんですが、抽象的なんですね。
吹越 SFと言っても、舞台が“今じゃない”というだけ。近未来と言うより、“今のこの世界じゃない世界の話”という感じがするよね?
美波 そうそう。劇中に出てくる耳に着ける巻貝型のイヤホンマイクとか、壁3面のテレビとか、今となってはもう驚かないですよね? 今の携帯やVRのほうがもっと進んでいるし……。だからこの作品世界を成立させるために想像力を使ってどうこうってほどではなくて、“ただ別の世界の物語”だなっていう。
吹越 ルールが違う場所と言うか。
美波 白井さんも、「あまり筋を通そうとしたり、ここはこうって決めつけないで」とおっしゃっていましたね。
ラブストーリーなのかもしれない
──それぞれの役についても伺わせてください。吉沢さんは劇中で一番立場や心境が変化する主人公のモンターグを演じられます。稽古前のインタビューでは、ファイアマンという設定からマッチョな男性のイメージもお持ちだったとおっしゃっていましたが、現段階ではモンターグをどのような人物だと思っていらっしゃいますか?
吉沢 白井さんが最初におっしゃったことですが、「気付いたら自分も体制に染まっていた、そういう世界って怖いよね」と。その意味が徐々にわかってきたと言う感じで、記号的にマッチョと言うより、人間っぽい人なんじゃないかなと。また、白井さんはこの作品が最終的にはモンターグと妻であるミルドレッドのラブストーリーなのかもしれないっておっしゃってたんですね。僕自身は特にそこに落とし込もうと思って演じているわけではないんですけれど、確かにそう感じるシーンが多くあるんです。自分はつながっていたいけど、妻と思いを分かち合えていないのでは?と感じていて、さらに仕事場でも落ち着かないことがあって……という、SF世界の中での日常みたいなものがあったりして。なので、モンターグの人間っぽさが出せたら、もっといろいろなことがキャッチできるのかなと思っています。
──非常に頭を使う稽古だとおっしゃっていましたが、モンターグは常に世界を懐疑的な目で見ている立場なので、精神的にもとても疲れるのではないかと思います。
吉沢 そうかもしれません(笑)。役の上ではミルドレッドや周りにいる人たちを常に疑いの目で見ているし、同時に演じるうえでも「僕が今イメージしている作品世界は、白井さんやほかの出演者たちと共有できてるのかな」って確信が持てない部分があって……。でもだからこそ面白いなって思うんですけどね。
──美波さんは、モンターグに“気付き”のきっかけを与える少女クラリスと、現状維持を望む彼の妻・ミルドレッドという対照的な2役を演じられます。
美波 白井さんがおっしゃっていたことで、「1つの線上にミルドレッドとクラリスがいて、ミルドレッドの先に、(美波がほかに演じる)機械犬や鹿がいる。その4役はすべて1つの線上にあるんだ」と。まだ役の心情を深く掘り下げるところまではいっていないのですが、そういったイメージで自由に動いていると、面白いことに体が「ここが正解!」って感じることがあって。そういう“点”をたくさん打って、線が引けたらと思っています。
──先ほど、本作をラブストーリーだと捉えるというお話がありましたが、戯曲を読み始めた当初、モンターグとミルドレッドは冷めた夫婦かと思ったんです。でも……。
美波 冷めてはいない。けれどどうしてもお互いのことが理解できなかったり、分かち合えない部分があって、それがきっかけとなって「この人とは一緒に居られないな」ってわかる瞬間が、きっとあるんですよね。そういうことなのかなと。でもそれってすごく生々しい感情だなと思います(笑)。
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登場人物たちはモンターグの“なり得る姿”
- KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「華氏451度」
- 2018年9月28日(金)~10月14日(日)
神奈川県 KAAT神奈川芸術劇場 ホール - 2018年10月27日(土)・28日(日)
愛知県 穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール - 2018年11月3日(土・祝)・4日(日)
兵庫県 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
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原作:レイ・ブラッドベリ
演出:白井晃
上演台本:長塚圭史
出演:吉沢悠、美波
堀部圭亮、粟野史浩、土井ケイト、草村礼子 / 吹越満 - あらすじ
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華氏451度、この温度で書物は燃える──。
徹底した思想管理体制のもと、書物を読むことが禁じられた近未来。その世界では本の所持が禁止されており、発見された場合は “ファイアマン”と呼ばれる機関が出動して焼却し、所有者は逮捕されることになっていた。ファイアマンの1人であるモンターグは、当初は模範的な隊員だったが、クラリスという女性との交流を通じて、それまでの自分の所業に疑問を感じ始める。仕事場から隠れて持ち出した数々の本を読み、社会への疑問を高めるモンターグ。そして彼は追われる身となっていく。
- 吉沢悠(ヨシザワヒサシ)
- 1978年東京都出身。98年にデビューし、2002年に「ラヴ・レターズ」で初舞台。主な出演作に、08年「幕末純情伝」(つかこうへい演出)、主演を務めた11年の「オーデュボンの祈り」(ラサール石井演出)、12年「助太刀屋助六 外伝」(G2演出)、13年「遠い夏のゴッホ」(西田シャトナー演出)、主演を務めた13年の「宝塚BOYS」(鈴木裕美演出)、13年「きりきり舞い」(上村聡史演出)、15年「TAKE FIVE」(渡瀬暁彦演出)などがある。19年春には主演映画「ライフ・オン・ザ・ロングボード2nd Wave」が公開予定。白井晃演出作には、今回の「華氏451度」が初出演となる。
- 美波(ミナミ)
- 1986年東京都出身。2000年に深作欣二監督作「バトル・ロワイヤル」で映画デビュー。06年の「贋作 罪と罰」(野田秀樹演出)、07年「エレンディラ」(蜷川幸雄演出)をはじめ、栗山民也、宮本亜門、長塚圭史演出作に出演。15年に文化庁新進芸術家研修制度により、フランス・パリのジャック・ルコック国際演劇学校に進み、1年間在籍した。現在はフランスと日本を拠点に女優活動を続けている。白井晃演出作には、14年「Lost Memory Theatre」に続き2度目の出演となる。
- 吹越満(フキコシミツル)
- 1965年青森県出身。84年にワハハ本舗に参加し、99年に退団。これまでの舞台出演作に、2000年「農業少女」(松尾スズキ演出)、02年「エレファントバニッシュ」(サイモン・マクバーニー演出)、13年「シダの群れ 第三弾 港の女歌手編」(岩松了演出)、14年「ポリグラフ―嘘発見器―」(吹越満演出)、17年「相談者たち」(山内ケンジ演出)、15、18年「プルートゥ PLUTO」(シディ・ラルビ・シェルカウイ演出)など。また主な映像出演作として、11年公開の映画「冷たい熱帯魚」(園子温監督)、12年の「悪の教典」(三池崇史監督)、15年の「友達のパパが好き」(15年)などがある。89年から継続して「フキコシ・ソロ・アクト・ライブ」を開催中。白井晃演出作には、今回の「華氏451度」が初出演となる。