画面からも伝わってくる、俳優たちの魅力
──今回「フェスティバル/トーキョー」では「神の末っ子アネモネ」が映像作品として披露されます。拝見させていただきましたが、映像とは思えないほど臨場感があり、俳優たちの魅力と音楽に引き込まれていきました。収録の前には韓国でも上演されましたが、実際の上演と撮影用の上演で変わっている部分はありますか? また、さまざまなアングルで撮影されていますが、どんな撮影だったのでしょうか?
キム 1日2回本番をやり、かなりのカメラ台数で撮影しました。ただ上演中はカメラにどのように映っているか確認できないので、自分としてはそこが一番怖かったです。でも、映像技術に頼るのではなく、この作品をちゃんと作ればいいんだ、と改めて実感して。今回は日本のお客さんに直接会えないのがとても悲しいですが、映像にしたことによって、俳優がすごく良い演技をしてくれたときには、そこにクローズアップすればより感情を伝えることができるんだという発見もありましたし、そこには可能性を感じました。
とはいえ2回続けて本番をやったので、俳優はすごく大変だったと思いますし、演劇を上演するのとは別の力がもっと必要だなと感じて、俳優たちには申し訳なく思っています。とにかく今回はいろいろな状況が難しかったので、なんとか無事に撮影を終えることができて良かったです。
──松井さんはどうお感じになりましたか?
松井 俳優たちのドキュメンタリーじゃないですけど、俳優たちがある時間そこに存在していたということが、強烈に印象として残りましたね。キムさんの作り方がまた、俳優の肉体と空間と道具で遊ぶ感じの演出なので、すごく空間を感じることができましたし、舞台の奥行き、光の感じ、扉を回転させて世界観を反転させるとか、そういう演出や仕掛けと俳優の肉体で、これだけ説得力のある作品になるんだなと。改めて「キムさんの演出はすごいな」と感じて、勉強しなければと思いました。
キム あははは。
松井 しかも、ちゃんと登場人物に寄り添ってもいて、登場人物が大事な感情を発露するシーンでは、非常に繊細にその言葉や振る舞いを俳優を通して見せてくれる。本当に最後まで楽しみました。
キム 今回、昨年の「ファーム」で逢連児役を演じた俳優と、ゾントレ(ゾーントレーナー)を演じた俳優も参加してくれています。前回はどんな作品になるのか想像もできなかったようですが、今回作業する中で俳優たちから言われたのは、「『ファーム』という作品で松井さんとはすでに“出会って”いるので、松井さんのことをよく知っているような気がする」と。松井さんと個人的に話したわけではないんだけど、「ファーム」がみんなにとっては大きな経験だったようです。
今回の「アネモネ」は、一見するとライトな作品に見えますが、その中にも重い何かがあり、松井さんはそれを台本に書いてくださいました。だから僕も、台本と会話しながら稽古し、自分の世界として立ち上げることができたと思っています。
──松井さんにとっても、「ファーム」があってこその「アネモネ」だったのではないでしょうか。
松井 本当にそうですね。「ファーム」をやって思ったのは、キムさんの頭を通して形になるものが自分の予想とはまったく違うもので、でもそれが本当にパワフルで説得力があるものだということ。だから今回、安心してめちゃくちゃなことも書けました。例えば一瞬で神の世界と人間の世界を行ったり来たりするような描写であっても、キムさんだったらなんとかしてくれるし、楽しんでくれるだろうなと思って。それを想像して笑っちゃうくらい信頼しています(笑)。まさに「ファーム」があったからだと思います。
キム 「ファーム」のときも今回も感じたのは、松井さんの作品の中の登場人物たちはとても人間的で温かい人たちだということです。全然偉くない人たちが一生懸命に生きている姿を松井さんは描いている。彼らの生きている姿はとても奇跡のように思えて、人間に対する愛情を感じさせてくれます。それは、演劇を通して私がみんなに語りたいことなので、その点で松井さんとはすごく価値観が合うなと思いますし、時々松井さんの台本を読みながら「本当に人間を愛している人だな」と感じてびっくりすることがあって。作家に対する信頼があるので、劇中で登場人物たちがちょっと変な行動をしても、「それは人間に対する確信があるからだ」と感じますし、お客さんにもそれは伝わっていると思っています。
松井 すごく不思議です……。僕はどちらかというと人間って信じられないというところから創作を始めたところがあるので。でも本当に人間が好き……かのように書いている感覚が、確かに今はあるなと、気付かされた感じがします(笑)。今のようなときだからかもしれないし、僕の年齢もあるかもしれませんが、僕は人間を信じている“かのように”書いているんですね……“かのように”と言ってしまうのはやっぱり自分の照れかもしれないので、キムさんがそう感じてくれたのはうれしいです。
現実を乗り越えるために、想像力を信じる
──今年の「フェスティバル/トーキョー」は「想像力どこへ行く?」がテーマになっています。コロナ禍において家で過ごす時間が増え、現実の比重が重くなりました。本作でも、人間界に降りたアネモネは、人間としての日常に無力感を感じ精気を失っていきますが、日常の中で感じる不安や無力感などの壁を乗り越えられるのは、やはり現実を超える想像力ではないかと思います。お二人はこの“想像力の行方”についてどのように感じていらっしゃいますか?
松井 無力感については、今ものすごく考えているところです。コロナによってどうしても現実が厳しく、「今は演劇や音楽など娯楽どころじゃない」という意見がありますよね。その切実さは、自分自身も現実と対峙する中で共感する部分がありつつ、でもそれは“今”のことであって、この先10年、20年先のことを考えたら、エンタテインメントがなければどんどん人間はギスギスしてくると思うんです。だから“かのように”を考えるのは、大事だなって。希望がある“かのように”、未来がある“かのように”、美しさがある“かのように”……なんでもいいと思うんですけど、そういう想像力を持つこと。想像力があるからこの先のことを考えられるし、現実に耐えられると思うんです。
その点、演劇は“かのように”の文化。そこにあたかも何かが存在しているかのように、想像力を駆使する表現だと思うので、僕らの使命として演劇は続けなきゃいけないなと。現実に直面してギスギスしたところをマッサージしてほぐしたり、オイルで潤滑を良くしたり……そういった演劇を作っていきたいと思います。
キム この「アネモネ」に絡めて話しますと、アネモネは最初は誰からもわかってもらえず、みんなに無視されるかわいそうな人なんですね。でも最後はみんなのために祈る人物でもある。その諦めない姿というのは、まるで今の私たちのようだなと感じていて。例えば今年の「フェスティバル/トーキョー」を諦めなかったから、私たちはさまざまな状況に耐えて、この作品を無事に作ることができた。「あとでなんとかなる」と信じることは、とても大事だと思います。同時に、今は非常に大変ですが、大変じゃなかった時代はないとも思っていて。どんな時代でもみんなで一緒にいることは大きな想像力を生んできましたし、それは希望にもなると思います。
僕は、演劇というのはこれまで何かを証明する仕事だと思っていたのですが、今は演劇を観てくれる人と観てくれない人、その両方を想像することで、演劇とは何かを悩む時間なのではないかと、考えが変わりました。それこそが希望だと思いますし、希望は想像力だと思います。諦めないで「アネモネ」の稽古を続け、無事撮影を終えて、今笑顔でインタビューに応えられるのも、数カ月前にこの状況を想像したからこそ。想像することで何かを得ることができる、今はそう信じています。