言葉や動きの“隙間”に注目し、そこからにじみ出る個性や人間らしさを愛ある目線で描き出す、白神ももこ率いるモモンガ・コンプレックス。感染症対策を講じた“特別版”として開催される「フェスティバル/トーキョー20」では、“観察型ミュージカル的ダンス・パフォーマンス”「わたしたちは、そろっている。」を上演する。本作の音楽監督を務めるのは、白神とたびたびタッグを組んでいる西井夕紀子。「伊勢物語」といった作品から想を得て彼女たちが創作する、“思いを馳せる”ダンスとは?
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 藤田亜弓
西井さんは“顔が見える”演奏家
──お二人が最初にタッグを組んだのは2013年の「秘密も、うろ覚え。」でした。そもそもどのように出会われたのでしょうか?
白神ももこ 2010年に野毛山動物園で「ずうずうしい、です。」という作品を上演したんですが、それを西井さんがお客さんとして観に来ていて、終演後、声をかけてくれたんです。で、「こういう者です」と自己紹介カードのようなものを渡してくれて、「ああ、音楽をやってる方なんだな」と。そのときはそれだけだったんですけど、3年後に「秘密も、うろ覚え。」をやることが決まって、「音楽は生演奏がいいな」と、急な坂スタジオ・ディレクターの加藤弓奈さんに相談してみたところ、西井さんのお名前が挙がって。「あの西井さんか、ぜひ一緒にやってみたいな」と思って、声をかけさせていただきました。
西井夕紀子 当時私は、急な坂スタジオの受付でアルバイトをしていて、舞台の音楽をやりたいと思っていたので、いろいろなアーティストに積極的に話しかけていたんです。中でもモモコンの作品は、演劇的な要素が含まれているし、ユーモアがあって好きだったので、お声がけいただいて、「やった!」という感じでしたね。
──「秘密も、うろ覚え。」では、冒頭で西井さんがトランペットを吹きながら登場したのが印象的でした。
西井 白い短パンとTシャツ姿で。「なんでこんなに注目を浴びることをやらないといけないんだ……」って思いました(笑)。
白神 裏方のはずなのに(笑)。私はもともと、一緒に作っている人の意志というか、顔が見える作品が好きで、演奏家にしろ照明家にしろ、スタッフにもそれぞれの意図や意志があることが見えてくる作品にしたいと思っていて。そういう意味だと、西井さんには意志……と動揺っていうか、ハプニングが見える(笑)。
西井 あははは! 私、演奏がもともとそんな得意ではなくて、演奏中にいっぱいいっぱいになることがあって。でもそれによって自分でも予想しなかった音が出る、ということがあるんです。
──そういった言動からにじみ出てくる人間性は、白神さんが大事にしているところですよね。
白神 そうですね。
──「秘密も〜」からの7年間に、お二人は大地の芸術祭2015「つまりは、ダンスでコマーシャル。」や、今年7月に公開された動画作品「未来年表。」など、さまざまな作品でタッグを組んでいます。普段のクリエーションでは、どのようなやり取りをされているのでしょうか?
西井 “ダンサーと同じになりたい”という欲求が強くあるので、全員一緒、同じところに立っている、“身体としてある、いる”ということから始めたいと思っています。また、その人が持っている身体や日常がそのまま見えてしまうような、“出てしまう音”がすごく気になるので、白神さんとやるときは特に、それらを組み合わせることを意識していますね。もちろん曲を書いたりもしますが、そのときはもうちょっと引いた目線で“この場をどうしていくか”と別の次元で考えている感じです。例えば以前だったら絶対に嫌だなって思っていたような効果音なんかも、白神さんに「『東京ラブストーリー』みたいな音で」って言われたら、出してもいいかなって思ったり(笑)。
白神 あははは! まあモモンガ・コンプレックスはそもそも、「“1”を持ってきて」と頼んだら数字じゃないものを返してくるような人たちの集まりではあるので(笑)、西井さんも「○○みたいな効果音を出して」ってお願いすると、それをちょっとアレンジするとかじゃなく、倍増させて持って来てくれるんです。だから「もうちょっとこうしてほしいな」というより、「いきすぎだけど大丈夫かな」って目線で考えることが多い。その振り切れ方は信用しています(笑)。
西井 クリエーション中の白神さんは、演出家とダンサーを行ったり来たりしてる感じですよね。構成を考えているときは、違う頭を使ってるなと思います。
白神 構成を考えるときって、時間を意識するあまりすごく普通になるというか、ともするとギスギスしていくんですね。でもそうしてキチキチやっていると西井さんの頭痛が始まる(笑)。だからある意味、西井さんの健康がクリエーションのバロメーターになっていると言いますか。
一同 あははは。
思いのタイムラグも、作品に織り込む
──西井さんは普段、よく稽古場には行かれるんですか?
西井 作品によりますが、今回のように出演者としても出るような場合は、割と稽古に行きますね。でも今回はコロナのこともあって、稽古場にはまだ1回も行っていません。その代わり、稽古の議事録を読んで、文字情報から想像を膨らませて作曲を進めているんですが、それは今までにないやり方で。本当はダンサーさんとじかに話して、声を聴きながらその人がどういう話し方や歌い方をするのか、考えながら作曲したいんですけど。
──稽古の議事録を取っているんですね。
白神 そうなんです。今回、最初はZoomで稽古したりもしたんですけど、どんどん状況が変わるので思いも変わっていくし、稽古場でのリハーサルが始まってからは、数人ずつ時間をずらして稽古しているので、それぞれがどんなリハーサルをしたか、議事録で共有することにしていて。それと、クリエーションの一部として、オンラインで歌の往復書簡みたいなことをしています。自分が今思っていることや投げかけたいことを、メンバーの誰かに向けて歌で発信するんです。
──それは面白いですね。
西井 自分宛てにくると、けっこうなプレッシャーです(笑)。
白神 中には自分に宛てられてることに気付かなくて、返歌が2週間くらい遅れることもありますが、そのタイムラグもいいんですよね。
西井 今回の作品では、そのタイムラグを面白いほうに生かしていけるんじゃないかなと思っていて。「伊勢物語」が題材の1つになっているんですけど、歌の投げ合いってセッションとは全然違う感覚だし、それぞれが一旦1人で考えたものを相手に渡して、相手も時間をかけて1人で考えたものを相手に返す……こういう感じでミュージカルを作れたら良いのかなと思っています。
今ここから、遠くの誰かに思いを馳せる
──この取材に向けて「伊勢物語」を読み返したのですが、読みながら自分の持ち時間について考えました。相手からの呼びかけに対して即レスするのではなく、相手の言葉を受け止め、いったん自分の中に落とし込んでから、自分の中で熟成された言葉を返歌にする。自分の持ち時間が許されている感覚が、とても良いなと思いました。「伊勢物語」には以前から興味をお持ちだったのですか?
白神 特に「伊勢物語」をということではなかったんですが、自粛期間中に1人で部屋にいたとき、何を読んでも何を見てもしっくりこなかった時期があって。そのときに「伊勢物語」を読んだら、とても心地良かったんです。例えば遠く離れた人のことを、その距離を時間に重ねて感じるというか。ある地点から歌が放たれて世界が広がる、というような感覚を得て。またZoomで会議していると、それぞれの場所にいる人がデスクトップ上で1つの画になりますよね。その感じも、いろいろな人のエピソードが1つにまとまった「伊勢物語」につながると思いました。なので、どうしても「伊勢物語」がやりたいというよりは、「伊勢物語」に関連付けられることがたくさんあるなと思ったのと、投げかけられた歌に返すまでの“思考の時差”が、それぞれの人が本来持っている時間の豊かさとして、作品の中で表現できたら良いのではないか、と思うようになりました。
──さらに本作は、「Sun & Sea(Marina)」(編集注:リトアニア出身の女性3人が手がけたオペラパフォーマンス作品。仮設ビーチで海水浴を楽しむ人たちが、環境破壊や労働問題などについて歌いながら語る作品)からも影響を受けているそうですね。
白神 時間軸のことを考えているときに、以前「ベネチア・ビエンナーレ」に行ったときに観た「Sun & Sea(Marina)」を思い出したんです。みんなが砂浜で思い思いに過ごしている中に歌があり、それがとても美しく見えたので、「ああいう時間が作れたら良いな」と思いました。また作品の構想を練っていた4月頃の私は、「劇場機構そのものを変えていかないといけないのではないか」と思っていたので、「Sun & Sea(Marina)」の空間作りやお客さんとの距離感が良いなと思ったんですね。なので、時間の流れ具合や、パフォーミングアーツがこの先どう変化していくべきかを考えるうえで、「Sun & Sea(Marina)」はヒントになりました。
──“50年後の再演”を目標に掲げ、それぞれの人生年表をもとに創作された「秘密も、うろ覚え。」然り、白神さんの作品には以前から、“時間”が重要なポイントとなっていますね。8月には稽古の一環で山登りにも行かれたとか。
白神 メンバーの夕田(智恵)さんが山好きで、今回の作品が5時間くらいになるかもと話したとき、「ちょうど山登りくらいの時間だな」と言ったのを聞きつけて、2チームに分かれて、同時に別の山へ登ってみたんです。ときどき圏外になるので全部つながっていたわけではないんですが(笑)、山登りしながらお互いの状況をやり取りし合っていたので、別の山に登っている3人に思いを馳せながら、6人で登っているような感じがして。今回の作品では、そのように“思いを馳せる”ことも大事になってくるんじゃないかと思うんですね。まったく一緒のことをやっているわけではないんだけど、それぞれがそれぞれの時間を過ごしながら、お互いがやっていることになんとなく思いを馳せるというか。
──なるほど、“歌”に通じますね! 西井さんは、「伊勢物語」をベースに作曲した曲をSNSで披露されていました。
西井 あのときは、「伊勢物語」や「万葉集」の歌を、現在のフォーマットや響きで立ち上げるということをやってみようと思っていて。例えば悲しみの深さが“尺”で表現されていたら、それを“メートル”に換算して歌ってみるとどのくらいの悲しみかわかるかな、とか。もちろんその曲が直接的に作品に入り込んでくるわけではないと思うんですけど。
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時間軸はそれぞれ、でも“わたしたちは、そろっている”
2020年10月23日更新