F/T20「神の末っ子アネモネ」松井周×キム・ジョン対談|無力感を乗り越えるのは、諦めない想像力

「フェスティバル/トーキョー19」で上演された「ファーム」で、松井周によるシニカルさ漂う劇世界を、ビビッドかつパワフルな演出で拡張した韓国の演出家キム・ジョン。「ファーム」で初タッグながら相性の良さを観客に見せつけた2人が、再度手を組み立ち上げるのは、ヨハン・アウグスト・ストリンドベリの「夢の劇」を原案とした新作「神の末っ子アネモネ」だ。本作は今回、「フェスティバル/トーキョー20」のオンライン会場であるF/T remoteで、韓国での上演を収録した映像作品として上映される。その公開に先駆け、ステージナタリーでは、日本の松井と韓国のキムの対談をZoomを介して実施。ほぼ初対面だった昨年の対談(参照:F/T19「ファーム」キム・ジョン×松井周 対談)から約1年、「キムさん」「松井さん」と呼び合う2人の表情には、親しさや信頼感がにじむ。韓国で収録された上演映像をいち早く観た松井と、作品を上演し終えたばかりのキムが、「神の末っ子アネモネ」の制作過程や秘話、そしてコロナ禍においての作品づくりについて語った。

取材・文 / 熊井玲 撮影 / 藤田亜弓

神の娘を、セーラームーン的なイメージで

──キムさんは「フェスティバル/トーキョー」に2度目の参加となります。今回新作に取り組むということは当初から決まっていたのでしょうか?

キム・ジョン 今年の初めに「フェスティバル/トーキョー」からオファーがあり、いくつかの作品が候補として挙がりました。ただそのあと、新型コロナウイルスの感染拡大で、当初考えていた作品とは別の作品を、という話になり、ストリンドベリの「夢の劇」をこちらから提案したんです。そうしたら「フェスティバル/トーキョー」ディレクターの(長島)確さんと(河合)千佳さんが、「『夢の劇』を取り上げるなら、今の私たちの物語にしたい」と言ってくださって。

左からキム・ジョン、松井周

──以前から「夢の劇」にはご興味があったのでしょうか?

キム いや、タイトルだけ知ってはいましたが、実はよく知らない作品でした(笑)。ただとても難しい作品だということは漠然と知っていたので、作るのはとても大変だろうなと思い、原作を読んだところ、冒頭で神様とその娘が対話するシーンに魅了されて「これを作ってみたいな」と。となったらぜひ松井さんに台本をお願いしたいと思ったんですね。松井さんは「夢の劇」の難しい構造をすごくシンプルかつ素晴らしく書いてくださって、改めて松井さんとの出会いは運命的だなと感じました(笑)。

──松井さんはオファーを聞いて、どんなことを感じましたか?

松井周 僕にとっては、まずキムさんと一緒に作品を作るということがチャレンジングだなと感じて、そこにワクワクしました。「夢の劇」を読んで思ったのは、これはおそらく作家が集大成として書くような、人生を“総振り返り”して書くような感じの作品だなと。これをそのまま全部創作し直すことは自分の能力的にちょっと不安だったんですけど、キムさんが「神の娘がセーラームーン的な、アニメのキャラクターみたいな人だったとしたらどうですか?」という提案をしてくれて、それで「ああ、その感じだったら突破口があるかも」と感じて(笑)。なので難しいとは思いつつも、キムさんの言葉がヒントになりました。

神様と人間、両方の側面を持ったアネモネ

──クリエーションに向けてお二人でお話しする中で、そのほかにポイントになったことはありますか?

キム 原作はとても複雑な構造なので、シンプルなラインが欲しいと思いました。そこで大事だと思ったのは、神の娘がこの地球に来た、という事実です。原作ではインドラの娘アグネス、松井さんの台本だとアネモネは、地球にやって来て日常的な時間を経験するのですが、それがすごく悲劇的に描かれるんですね。そして最後、神の娘は地球を離れるかどうか悩む。その葛藤がはっきり見えたらいいなと思いました。また劇中にはさまざまな登場人物が出てくるのですが、彼らがそれぞれの人生を語るところにキュンときました。

松井 キムさんがおっしゃった「神の娘が人間の世界を体験する」というラインは面白いなと思って、それを作品の基本に置くということをまず決めました。でももう1つ何か欲しいと思ったときに、神様と人間の間の子というようなリアリティが、神の娘に欲しいなと思ったんです。というのも、もし神様が本当に人間界に来たら、人間から見ると神様ってちょっと頭がおかしい人というか、異物のように扱われるんじゃないかなと思って。そういう存在としての“神様の娘”なら僕も描きやすいと思い、それで半分が神、半分は人間という、どちらにも取れる感じを強調して書きました。

キム・ジョン

また、人間って例えばコロナのような状況があったときに生活でいっぱいいっぱいになってしまうのだけれど、その中にも美とか真実みたいなものを求めるところがあって、その両方持っている感じ、あるいはそこで引き裂かれている感じが、まさに今、どこかすがるように芸術を求めている僕らの姿に重なるんじゃないかと思ったんです。

──実際に作品を立ち上げていく過程で、キャストやスタッフの方と議論したシーンや登場人物、セリフなどはありましたか?

キム あまり議論はしてないです(笑)。というのも、今回はコロナによってとても特別な状況での稽古で、“今日は稽古できたけど明日は急にできなくなる”というような状態でした。なので、頭を突き合わせて作品を解釈するより、とにかく毎日身体を動かして一生懸命稽古する、その生々しい感覚を大事にして作品を立ち上げていきました。

作品の中で“現在”をどう感じさせるか

──演劇には“現在”が色濃く反映されますが、コロナ禍の現状を作品にどのように取り込むかは、劇作家や演出家にとって難しい問題ではないかと思います。その点についてお二人はどのように考えていますか?

松井周

松井 それは難しい問題ですね。演劇ってよく“現在を映す”ものと言われますが、現在をそのままリアルタイムで映すのも確かに表現手段の1つだとは思います。でもその現在って、半年前と今では微妙に違うところもありますし、地域や文化によっても違うところがある。その中でどれを現在として切り取るかは、改めて難しいですよね。

今回については、キムさんは舞台上のリアリティを描き出すことに長けている方だと思うので、僕がけっこう大胆に書いてしまっても成立させてくださるのではないかと思っていました。また僕の中で大きいのは、登場人物たちのものの考え方がどう変わったのかということ。それは例えばアネモネと夫の夫婦げんかのところに表れているんじゃないかと思いますが、カーテンがだらしなく垂れていることが許せない夫と、それよりはきれいな花が家にないことが許せないアネモネがぶつかり合うんです。以前はそんなにもめなかったようなことでも、個人の許容範囲を超えて、他人の振る舞いが許せなくなってしまう……それが今なのではないかという感じがして。そのことが割と、僕の中でのコロナ禍のリアリティなんですよね。他者を認める寛容さがなくなっている感じが、「神の末っ子アネモネ」の中には入っているんじゃないかと思います。

キム 僕はこれまでも、“現在”が直接的に反映されるような作品はあまり作ったことがないんです。というのも、私たちは今、現実を生きているので、それをそのままお客さんに届けるようなことはやりたくないし、現実にないものを舞台上のリアリズムとして語っていけば、お客さんは現在を感じてくれると思うので。その延長で「神の末っ子アネモネ」についても考えていき、直接的に“今”を語るのではなく、舞台上でしか見られないリアルを届けようと、様式的な演技で作品を作りました。