「EPAD」本谷有希子インタビュー|コロナ禍で人間がどう変化するのか、それを描きたい

ファンタジーが小説の可能性を広げた

「嵐のピクニック」(講談社)書影

──大江健三郎賞を受賞した「嵐のピクニック」は、確かにそれまでの本谷さんの作品からガラリと印象が変わりました。

当時、“小説の呪縛”からどう逃げるかということを考えていたんです。小説を書こうとすると、なぜか磁場みたいなものが発生して、気付くと“小説っぽいもの”“小説っぽい空気”に捕まってるんですよ。何でもそうですけど、“小説”と“小説っぽいもの”は、まったく別物だと思っていて、その磁場からどう逃げるかを考えながら、とにかく1日1本は書くという千本ノックのようなことをやってみてました。

──ハードですね。

とにかく途中でやめずに“完”まで書く、というのを1カ月くらいやったとき、余計な力とか雑念がどんどん自分の中から抜け落ちていくのを感じて。同時に、物語が短いことで、こんなにも責任を持たなくていいんだなという発見もあって。長いものは「何がしかここで書かなければならない」という責任が生じる気がするんですけど、短いと堂々と書き逃げができる。「ねばならない」から自由になれたのは良かったです。

──続く「自分を好きになる方法」では三島由紀夫賞を獲られました。この作品はある女性のある1日を切り取りながら、十代から六十代までを描いていく作品です。

「嵐のピクニック」は宇宙人が出てきたり、傘で空を飛んだり、と一種のファンタジーで、自分の想像力で書いていくのがとにかく楽しかったなという思いがあったんです。それまで自分が芝居や小説の中で扱ってきた登場人物って、自分とほぼ同年代の女性が主人公だったんですけど、「自分を好きになる方法」では自分がまだ経験してない、三十代、四十代、五十代、六十代のある1日を切り取って、それを6日間分書いて1本にしました。次の「異類婚姻譚」では、ある夫婦を軸にしているんですが、現実の夫婦のエピソードだけを書いてもあまり面白くはないから、夫の顔が崩れて変形していくとか(笑)、より現実とは違うものを取り込んでいこうという意識が芽生えていました。

「自分を好きになる方法」(講談社)書影 「異類婚姻譚」(講談社)書影

──今お話に上がった3作は、設定としてはすべてファンタジーなのに、登場人物の目線や感覚が妙にリアルで、逆に普遍性が増したように感じました。

そうですね。リアルじゃないことを持ち込むことで、ある種のリアルに近付ける、その方法を手に入れたと思いました。

──ちなみにその時期、演劇についてはどう考えていましたか?

ちょうどその頃、劇団を休止させました。逃げ場を排して、一度、自分を追い詰めてみようと思ったんですが、休止してしばらく書けなくなってしまって。また、人の芝居を観てもどんどん変わっていくから、「ああ、演劇って今こんな感じなんだ。みんな、こんなに自由に作るんだ」と思ったり。演劇に対する固定観念は前よりなくなったけど、じゃあその中で自分が演劇で何をどう表現すればいいかは、わからないなと思いながら観てました。

──「演劇はもういいや」とはならなかったのですか?

いや、なってたんじゃないですかね(笑)。劇団後期は、観客が増えていくことが目標になってしまっていたので、毎回ハムスターのように同じところを回っているような感じがして、「あれ、私はどこに行きたいんだっけ?」と思うことがよくありました。それが劇団を休止した理由に、かなり近いと思います。一方で、小説では書けば書くほど違う景色が見れそうだな、という感覚があったんです。

戯曲じゃないものを舞台にする楽しみ

──そして本谷さんは、2012年上演の「遭難、」以来、しばらく舞台と距離を置きますが、2016年に飴屋法水さんらと実験的なパフォーマンスを行いました(参照:本谷有希子4年ぶりの演劇活動に飴屋法水、Sebastian Breu、くるみ)。1つの役になり切って演じたりするわけではなく、それぞれの頭の中のイメージをデッサンするような内容でしたね。

当初は私が演出で、好きな作家の小説を、私がやりたい演者さんとリーディングするという朗読劇のはずでした。でも急遽方針が変わって、気付くと、なぜか自分まで出演することになっていた(笑)。私の中では“飴屋さんと何かやる”という目的はブレなかったので、結局共同演出・共同企画みたいな形でやったんですけど。飴屋さんがとにかく片っ端から、私の演劇観をぶっ壊していくので(笑)、結果的にこれまでとかなり意識が変わったのではないかなと思います。

──2019年には、本谷さんの小説「静かに、ねぇ、静かに」をベースにした、「夏の日の本谷有希子『本当の旅』」が上演されました。一緒にクアラルンプールへ旅行に出かけた3人を軸に、“実際の旅”と“SNS上で展開される旅”のズレを浮き彫りにしていく作品で、小道具以外のセットは特になく、時空間が自在に展開していく様に驚きました。

「夏の日の本谷有希子『本当の旅』」より。

あれも自分の中では発見でした。いまだに戯曲ってどう書いたらいいのかわからないという思いがあるんですけど、今興味があるのは、舞台化なんてまったく念頭に置かずに書かれた小説。芝居になることを目的に書かれていないものは、どうやって舞台にすればいいのか全然わからないんです。「このシーンはこう書いてあるけど、舞台じゃ無理でしょ。できないよね」みたいなことの連続で、でもそれを稽古場でああだこうだ言いながら作っていくのが面白い。逆に自分の書いた戯曲の場合は、頭の中で「こういう形になる」というのが見えた状態で稽古に臨むので単純作業というか、創作している感じが薄いんですよね。なので、私の演劇の作り方は今、もしかしたらこのやり方なのかなって。戯曲を用意するんじゃなくて、何か別のものを用意し、それをどうやって舞台という形にするかを試行錯誤する。そのことに創作の面白味を感じているんです。劇団の後期に「どこへ行ったらいいかわからないな」と思っていた感覚から、今は「面白いからまたやれるな」という感覚が戻ってきていて、そのきっかけになったのが「本当の旅」なんです。

──その肩に力が入っていない感じが、作品にも大きく影響していると思いました。骨太な芯はあるけれど、ガチガチの構造で囲むのではなく、風通しの良い場所で自然と作品が組み上がっていくのがすごいなと。

きっと小説と演劇が完全に分業できたからじゃないかな。小説のほうに割とわかりやすく主題があったので、俳優全員に小説を渡して「これを舞台にしていくよ。どうやったら芝居になるか、みんなで考えながら作っていこう」みたいな。ただ「舞台を作ろう」だったら、たぶんみんなどこに行きたいかわからなくなってぐちゃぐちゃになっちゃったけど、そういうときは小説を読み返せば目的地を思い出せたので、表現が実験的だったりゆるゆるしていたとしても、迷わず進めて良かったと思います。

創作者として、この時代に立ち会ったこと

──そのように新たな挑戦ができるのは、本谷さんがガラリと表現方法を変えたり、劇団を休止したり“立ち止まって考える”勇気があったからではないかと思います。休む、切り替える、目線を変えることは、キャリアを重ねれば重ねるほど難しいのではないかと思いますが、本谷さんはご自身を客観的に見つめながら、立ち止まったり、進んだりされていますね。

えー、そうですか? 私からすると、ずっと続けている人のほうがすごいなと思うけどなあ。自分の理想の生き方としては、もう少し速いペースで作品を出したいということはあるんですけど、私、すぐ休んじゃうから(笑)。ただ劇団を休止しようという決断をしたときは、「だって惰性で活動を続けるのって楽だよな」とは思ったような気がします。休止した直後は劇団主宰でなくなったことへのよるべなさ、心許なさを知って愕然としましたけど、今は“所属がない”“ホームがない”ということにそこまで不安も感じないですね。

本谷の仕事机。

──また、“やめる”ことと同じくらい、“続ける”ことも難しいのではないかと思います。特に本谷さんはまだお子さんも小さいので、その中で新しいものを“生み出し続ける”原動力はどこにあるのでしょうか?

それまでの自分の作風や印象から、結婚したときにけっこう言われたんですよ。「幸せになっちゃったね」とか「結婚して子供ができて幸せになったら、もう作品書けなくなるよ」とか(笑)。確かに自分としても不安だったし、「満たされたヤツの作品を読む人がいるのだろうか?」みたいな気持ちはあったんですけど、実際にその状況になってみたら全然違う。それに子供を産んだことと関係してるかどうかはわからないけど、これまでは本当に自分に対してさほど興味がなくなって、むしろ今の社会とか現代に生きている人々の感覚……人間の普遍性という意味合いが変わっていってる状態とか、今のこの蔓延している“空気”みたいなもののほうがよっぽど面白いなと意識が変わっていったんです。だから自分が母親になったとか、環境が変わったとか、そういうことに影響を受けない作風になってきてるんですよね。あと私、芝居をルーティンで作るのは苦手なんですけど、日々の作業がルーティンであることにはまったく苦痛を感じない人間なんです。外に出なくても全然平気だし、子供が保育園に行っている間しか机に向かえないから時間に制約があるし。それも小説を書くのに向いてるんだと思うんですけど。

「どうして生み出し続けられるのか」っていうことでは、作品を完成させたときに訪れる、最高に満たされている精神状態というのがあって、私の場合、その状態って作品を発表することでしか得られないんですよね。あのパーフェクトに満たされた状態でずっといるためには、本を出すとか、公演を打つとか、作品を書き続けるしかないなって思います。そのためにも、もっとたくさん書けたらいいなとは思ってはいるんですが。

──期待しています! お話を伺っていると、“外に出なくて全然平気”な本谷さんは、コロナ禍でも創作にあまり影響はなかったのでしょうか?

私ほどコロナに影響されていない演劇周りの人間っているのかな?というくらい、自分はほぼ影響を受けずに作っている感覚がありますね。内的なことで言えば、コロナによって生活様式や社会の意識が変わったことで、人間としてのあり方がまた変形していくんだろうから、その空気は見逃さずに書きたいと思ってます。不謹慎だけど、創作者にとってはこのようにあらゆる価値観がガラッと激変する時代、瞬間に立ち会えたことって、むしろ恵まれてすらいるんじゃないかと思うんです。さっき「昔は自分に不幸の要素がないことがコンプレックスだった」と言いましたけど、それは自分の世代に対しても同じで、私は戦争も学生運動も知らなくて、この時代に際立って大きな不満がなかった。だからそもそも書くべきことがないし、むしろその「何も書かなくていい」中で何を書くかが問題だと思ってたんです。でも今、これほどあらゆる価値観が変化する中で、その意識がはっきり刷新されたな、と感じる。

──実は今後、演劇の公演も予定されているそうですね。

実はそうです(笑)。私が今なんとなくイメージしているのはポータブル演劇。人間がいればどこでもできる、どこへでも持ち運び可能な演劇を作ろうと思っていて。この状況に対応している形だと思うし、自分の根本的な演劇観である“これ、全部ふざけてるだけじゃん。遊びじゃん”っていう感覚で、演劇が作れるんじゃないかなって。

──どんどん自由度が増していますね。

そうですね。今はお金をかけなくても世界とつながれるし、価値観もやり方もどんどん更新させていきたいです。