「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」|「エリア50代」稽古場レポート、小林十市・金森穣・柳家花緑が語る“私とダンス”

横浜で3年に一度開かれるダンスの祭典「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA」(以下「DDD」)が、8月28日に開幕した。連日、多彩なステージが繰り広げられる中、9月23日には50代のダンサー6人による「エリア50代」がスタート。企画者である「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」(以下「DDD2021」)ディレクターの小林十市とコンドルズ・近藤良平を中心に、安藤洋子、伊藤キム、平山素子、SAM(TRF)が出演し、“50代の技と身体と思い”を届ける。ここでは、8月中旬に神奈川・横浜赤レンガ倉庫1号館で1日がかりで行われた稽古のうち、安藤洋子と平山素子の稽古の様子をレポート。特集の後半では小林が「エリア50代」や「DDD2021」への思いを語っているほか、「DDD2021」参加アーティストより金森穣と柳家花緑が作品についてや、自身とダンスの関係について語っている。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 鈴木穣蔵

「エリア50代」稽古場レポート

8月中旬、小林十市が、拠点であるフランスから横浜へやって来た。小林は今回、「DDD2021」ディレクターを務める一方で、自ら企画した「エリア50代」と、Noism Company Niigata×小林十市「A JOURNEY ~記憶の中の記憶へ」に出演。さらに「柳家花緑 独演会」では実弟・柳家花緑とのトークも行う。これまでそれぞれに準備が進められていた「DDD2021」は、小林の帰国によって、いよいよ最後のネジを締めることになった。

「エリア50代」は、小林とコンドルズの近藤良平によって企画されたプロジェクトだ。近藤によれば、「十市さんの中ではすでにいろいろ考えがあって、それを聞いているうちに『50代の企画をやりましょう!』ということに」(参照:“エリア50代”が魅せるダンスの現在、SAM&近藤良平「十市さんはいい機会を与えてくれた」)なり、そこから国内で活動する50代のダンサー4人に白羽の矢が立った。

8月中旬に1日がかりで行われた稽古では、朝10時から1組ずつ稽古場を訪れ、約80分間の“稽古見せ”を行った。小林とスタッフは朝からずっとその稽古に立ち会い、各ダンサーと振付家のやり取りを聞いたり、照明や音響など技術的な相談をしたりと、それぞれのダンサーや作品に寄り添う形で準備を進めていった。まず稽古場を訪れたのはSAMと能楽師・佐野登のペア。続けて伊藤キムとハウスダンサーのBOXER & Hagriが登場し、3組目は小林が、アブー・ラグラ振付によるテーブルを使ったダンスを披露。4組目はMIKIKOの近藤良平が踊った。

近藤組の稽古が終わり、近藤と小林が雑談しながら休憩しているところへ、安藤洋子が姿を現した。安藤は近藤の姿を見つけると、マスクの下に満面の笑みを浮かべながら「久しぶりだね!」と駆け寄って来て、小林やMIKIKO、スタッフらへ朗らかに挨拶。安藤の登場で稽古場の空気がパッと変わるが、近藤組の面々が退出し、いよいよ安藤の稽古時間になると、安藤はすっとダンサーの顔になり、パソコンを開いてスタッフに説明を始めた。

今回安藤は、ウィリアム・フォーサイスの過去作「失われた委曲」を踊る。自身が20年前に踊った作品で、もともとは多数のダンサーが出演する作品だが、今回は同作から自身のパートだけをピックアップし、安藤のパートから全体を感じさせるような内容になるという。ほかの組と違って振付家がそばに寄り添うのではなく、映像と“身体に残った記憶”が振付家となる安藤組では、スタッフが安藤の一言一句を聞き逃すまいと、静かにメモを取り続けていた。

口頭での説明をあらかた終えた安藤は、「まずは音を流してもらって……」とさっそく踊って見せることに。アクティングエリアに立った安藤は、それまで登場した4人の男性ダンサーに比べて小さく見え、華奢な身体がいっそう細く感じられる。しかし、トム・ウィレムスの音楽が流れ始めた途端、その繊細で多重的な旋律を身体に絡め取っていくような動きで、安藤は場の空気を掻き回し始める。素早く軽やかな動きを見せたかと思うと、天を仰ぎ、両手を広げ、会場を大きく旋回し始める安藤。最初は広く大きく見えた空間を、安藤はたった1人で満たしてしまった。

踊り終えた安藤に、小林がさっそく声をかける。「大人数の踊りを、洋子さんに集約しているんですか?」と小林が尋ねると、安藤は「私のパートから観たこの作品、という感じですね」と返答。「本編は1時間半の大きな作品ですので、さまざまなパートが存在し、いろいろな視点や角度から観ないと理解することができないフォーサイスの代表的作品ではありますが、今回披露するのは全体のほんの一部です」と続ける。さらに小林が、今回この作品を選んだ理由について尋ねると、「この作品は1992年に初めて観たフォーサイスの作品で、その後フォーサイス・カンパニーに入団して初めて踊ったのもこの作品です。20年前でした。いつかもう一度踊りたいと思っていたんですが、機会がなくて。それで今回フォーサイスに『踊っていい?』と聞いたら『もちろんいいよ! やってくれるの? ありがとう!』と(笑)。その20年前の記憶や映像を頼りに、ソロで踊れるようにアレンジしたんです」と安藤。「そんなふうにフォーサイスに信用されているなんて、すごいなあ」と小林は驚いた表情を見せた。

安藤のあと、長めの休憩を挟んで最後の平山素子組の稽古が行われた。最初に稽古場にやってきたのは、平山の振付を担う笠井叡。笠井はスタッフからほかの組の稽古の様子を聞いて感心したり驚いたりしながら「こんな企画は珍しいですよね」と小林に声をかける。さらに朝から稽古場に張り付いているスタッフたちを労い、場を和ませた。程なくして平山が現れ、笠井がスタッフに全体の流れを説明した。

平山のソロは、高橋悠治のピアノ演奏による、J・S・バッハの「フーガの技法」の中の4曲で構成される。「1曲目はシンプルで、2曲目はふわっとした感じで……」と笠井が楽曲のイメージをスタッフに伝えて、さっそく平山が踊ることに。本番で着る衣装は調整中のため、平山は「今日は恐れ多くも叡さんの私物をお借りします」と恐縮しながら、緋色の着物に袖を通した。笠井は音響スタッフの横に陣取り、自らキューを出す。無音の中、舞台中央に平山が進み出て、ぴたりと動きを止めた瞬間、ピアノの旋律が流れ始め、平山はその一音一音を動きに変えるように素早く踊り始めた。1曲わずか2・3分だが、流れるようでいて力強い動きが連続するので、1曲終わると平山の息はかなり上がる。息を整えながら平山が舞台の中央に再び立ち、すっと表情を“素”に戻したのを見届けて、笠井は次の曲のキューを出した。

音数が多いところは動きも細やかに、強い音にはキレのある動きでと、音を正確に捉える一方で、ぴたりと動きを止めたり、手脚をなびかせ、たおやかな表情を見せたりと、動きの1つひとつがドラマティックで目が離せない。4曲をほぼノンストップで踊り続けた平山に、稽古場にいた人たちは自然と拍手を送った。

すべての組の稽古が終わったとき、外はすっかり夜になっていた。丸1日、稽古場で過ごした小林は、「ああ、すごい1日だったなあ……」と呟きながら満足げな表情で稽古場を後にした。

安藤洋子(アンドウヨウコ)
横浜生まれ。1991年より木佐貫邦子ダンスアンサンブル・néoのメンバーとして公演に参加。1997年より本格的に自作自演のソロダンス公演を開始し、山崎広太、笠井叡のダンス作品にも出演。2001年、フランクフルトバレエ団に入団。2004年のバレエ団解散後もザ・フォーサイス・カンパニーに在籍し、2015年にカンパニーが解散するまでフォーサイスと共に新作クリエーションを行った。現在は振付家として活動する傍ら、後進の指導にも力を入れている。
平山素子(ヒラヤマモトコ)
愛知県生まれ。5歳よりバレエを始める。大学でモダンダンスを学んだのち、H・アール・カオスに参加。1999年に世界バレエ&モダンダンスコンクールで金メダルとニジンスキー賞をモダンダンス部門でW受賞した。2005年より本格的に振付家としての活動をスタート。近年はダンス以外にミュージカルの振付、アーティスティックスイミングやフィギュアスケートの選手の演技指導にも協力するなど活動の場を広げている。筑波大学体育系准教授。

2021年9月13日更新