西沢栄治が、1976年に発表された別役実の「あーぶくたった、にいたった」を新たに立ち上げる。これは、新国立劇場が1年間かけて作品を育てていく企画「こつこつプロジェクト ―ディベロップメント―」から生まれた公演で、本公演が1年に及んだ葛藤と奮闘の成果発表となる。「自分はこつこつに向かないタイプで……」と苦笑いしつつも、「読み込めば読み込むほど発見があった」と手応えを感じていた西沢。昭和の“小市民”たちの姿に、現代の“社会から取り残されていく小市民”の姿を重ねて、最後の“Trial”に挑む。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 川野結李歌
見えないゴールに向かう葛藤の1年
──本公演は、新国立劇場 演劇芸術監督の小川絵梨子さんが芸術監督就任と共に立ち上げた、1年間かけて作品を育てていく企画「こつこつプロジェクト ―ディベロップメント―」から生まれた作品です。「こつこつプロジェクト」の第1期に、西沢さんはどんな思いで参加されたのですか?
小川さんが「こういうものがやりたいんだ!」って、とにかく熱く「こつこつプロジェクト」について語っていて。正直よくわからない部分もありましたが、未知のものに(自分が)向いているとは思ったので、「僕で良ければやりましょう」ということでやることになりました。で、蓋を開けてみたら当然ですが、1年かけてこつこつやるんだよな……ってことを実感して、自分はつくづくこつこつに向かないタイプだなと(笑)。見えないゴールに向かって走り続けるってこんな気持ちなのかと、困惑や戸惑いがずっとありました。
──逆に西沢さんは、限られた時間の中で作る演劇に魅力を感じている部分もあったのでしょうか?
うーん、ないものねだりになるんですけど(笑)、制約があればあったで「もっと時間があれば!」と思うし、なければないで、「締め切りがないとやれない!」と思うし。ただその瞬間瞬間で、今の自分たちが思うものを作品に注ぎ込む良さがあるとは思っています。
──「こつこつプロジェクト」は2019年3月のリーディング公演ののち、6月に1st Trial、8月に2nd Trial、2020年3月に3rd Trialが行われました。
最初のリーディング公演は有観客でやりましたが、そのあとの試演会は劇場の稽古場で、関係者の前での発表だったので「燃えないなあ」という思いがありましたね。そんな葛藤を抱えながらではあったのですが、ただ必ずしも結果を出さなくても良いということはありがたい部分もあり、リーディングの映像をもし今観たら、ちょっと恥ずかしいかもしれない(笑)。ファーストインプレッションで作ったもので、それはそれで良さもあるんですけど、リーディングで披露したものと今やっていることは、まったく違っているので。
寄り道が作品の補助線になった
──1年間、どのように創作のプロセスを踏んでいくかも演出家に任されていたのでしょうか?
試演の時期は決まっていたので、その段階ごとの目標値ということはありましたけど、決まった年間計画というのはなかったです。「こつこつプロジェクト」は、劇場側と作り手とが確認しながら、次の段階に進んでいくというのが1つの特徴だと思います。極端ですが、演出家が“やり切った”と感じたら次の段階に進まない希望を出しても良いし、違う作品に変更したくなったら協議のうえ、変わっても良いんです。実際に僕も、リーディング公演が終わったあと「やり切っちゃったな」という思いがあり、恥ずかしながら燃え尽き症候群のような状態になってしまって。だから1st Trialに向けてまた同じ作品をブラッシュアップすることになかなか腰が上がらなくて、別役実のほかの作品をやってみようといろいろ読んでみたんです。最終的には、「あーぶく~」と重なる世界観を持っていると思われた、「風のセールスマン」を選んで、そのワンシーンを「あーぶく~」に挟んでいくということをやってみたのですが、それが「あーぶく~」の補助線になったというか。普段ではそんなことはできませんが、良い寄り道になったと思います。
──そのようにTrialを重ねていくことは、西沢さんにとっては“重ねていく”感覚でしたか、それとも毎回“刷新していく”感覚でしたか?
刷新する感覚ですね。Trialを終えるごとに「やり切った」とは感じましたが、それはまあ思い上がりで(笑)、読み込めば当然ながら発見はあるわけです。リーディングもこれまであまり好きではなかったんですけど、今回やってみて、言葉との距離感がちょうど良いなと感じました。俳優はどうしてもセリフを自分のものにして、自分の言葉として吐き出しますが、リーディングだとそういった生々しい言葉ではない形で俳優がセリフを発していて、距離感が非常に良いなと。でも動きも入ってくるとやっぱり自分の言葉としてセリフを発しようとするので、俳優自身の中に闘いが生まれて。そういった点で、飽きることはなかったです。
──キャストの方たちにとっても、ある意味忍耐が必要というか、大変なプロジェクトだったのではないでしょうか?
そうですね。キャストも正直困惑してはいましたね。この企画は演出家が戯曲を1年間こねくり回して格闘するというものですが、俳優はその協力者、伴走者です。「こつこつプロジェクト」では、試演ごとに俳優を入れ替えても良いということになっていたし、関係者以外の観客がいない状態で稽古し続けるということに俳優は戸惑っていたと思います。でも僕としては、得体の知れない企画だからこそ自分が信頼できる、甘えることができる共通の価値観を持った人にまずは集まってもらいたいと思ったし、実際彼らが良い助けになりました。
──「こつこつプロジェクト」第1期にはほかに大澤遊さん、西悟志さんも参加されていました。演出家同士の交流というのはあったのですか?
特にはなくて。リーディング公演と3rd Trialは観ましたし、僕がそれぞれの稽古場にちょっと顔を出すことはありましたが、コンペではないし競うものでもないんですけど、やっぱりお互いに少し意識はしていましたね。
取り残される“小市民”をあぶり出す
──別役作品について、最初はあまりご興味がなかったそうですが、その思いが変わったきっかけは?
別役実って、ちょっと地味なイメージがあるでしょう?(笑) 意味ありげに“不条理的な発語”をしてみたりとか……。でも戯曲を読んでみると、ニヤニヤくすくすケラケラ笑ってしまうくらい、すごく面白いんですよ。かつ、「あーぶくたった、にいたった」は、劇中でアクロバティックな迷宮が繰り広げられている。戯曲を読んで、これはやらないといけないなと思いました。今回取り組んでみたことで、別役戯曲に対する偏見が抜け落ちたのは僕にとって大きかったです。
──戯曲から面白さを発見したのですね。
そうですね。最初はどの作品をやるかなかなか決まらなくて。普段はお題をもらってやってみてから燃えることが多いから、「自分がやりたいものって本当はないのかな」とも思ってたところに、劇場の方から別役さんを勧められて、「え、別役実?」とびっくりして。でも食わず嫌いせず食べてみるものですね(笑)。
──本作品は、別役実の“小市民シリーズ”と呼ばれる作品群の1作品です。9月に行われた会見(参照:オーディションと“こつこつ”について、小川絵梨子・倉持裕・西沢栄治が思いを語る)で西沢さんは、「劇中に『風が吹いているね、運動会は終わったんだよ』というセリフがあるのですが、オリンピックが終わったあとに何を置き去りにしてきたのか、という私なりの日本人論みたいなところにたどり着けたらと思います」と語っていらっしゃいました。
小市民のイメージとして、七十代の自分の両親の生き様ということが僕には非常にピンときていて。それは、派手なことを良しとせず、慎ましく日常を繰り返しながら生きるということなんですけど、そこに照らし合わせてしまうところは非常に多いですね。小市民というのは絶滅危惧種のような、現代においては存在しないものになってしまったのではないかと思うんです。今はSNSなどで自己発信し、自分を開いて、ある意味見せびらかすような時代ですから、自分の人生がどこにも波及せず自己完結するような小市民的価値観はもうなくなってしまったのかなって。その一方で、コロナの問題やオリンピックのような大きな力がうごめいたとき、とり残される私たちがいて、そこに実は小市民という意識が存在しているんじゃないかとも思うんです。なので、小市民は過ぎ去ってしまったもの、いなくなってしまったものではなく、私たちの中に今でも存在し、不幸な事態になって浮き彫りになるもの、というところが見えてきたら良いなと思っています。
──タイトルの「あーぶくたった、にいたった」は、劇中でもシーンの間にたびたび声として挿入されます。西沢さんはこの「あーぶくたった、にいたった」という言葉が、作品の中でどのように響くと考えていらっしゃいますか?
「あーぶくたった、にいたった」って、ご飯がかまどで炊ける音や匂いを連想させるものですよね。この物語に出てくる人たちは、いわゆる普通の、当たり前の暮らしにそぐわない、普通の営みができないある意味不器用な人たち。彼らは何とか一生懸命そこに住み着こうとか、普通にやっていこうとするんだけど、自意識とか世間の目にがんじがらめになって、やっぱり不自由になっていってしまう。そこに「ご飯が炊けたよー」っていう歌声が聴こえてくる、というツッコミなんじゃないかなって。登場人物たちが「これが暮らしなんだね」としみじみ感じたところで、「違うよ」っていう(笑)。でも現代の僕たちには、「あーぶくたった」という歌声すら聴こえてないのかもしれません。
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3rdを経て、4th Trialの気持ちで