“あなたの読み方で読む” 2025年版「喜劇『人類館』」クリエイティブチームの知念あかね・新垣七奈・林立騎・佐々木文美・藤谷香子・山口剛 座談会 (2/2)

国際芸術祭「あいち2025」パフォーミングアーツ部門ラインナップ

ここでは、国際芸術祭「あいち2025」パフォーミングアーツ部門にラインナップされた9作品のうち、これから観られる4作品について、見どころなどを紹介する。

文 / 上條桂子(愛知事務局P A広報制作物編集担当)

クォン・ビョンジュン「ゆっくり話して、そうすれば歌になるよ」

クォン・ビョンジュン「From Cheongju To Kyiv.」より。(Photo: National Museum of Modern and Contemporary Art, Korea)

クォン・ビョンジュン「From Cheongju To Kyiv.」より。(Photo: National Museum of Modern and Contemporary Art, Korea)

2025年9月13日(土)~21日(日)
10月25日(土)~11月9日(日)
愛知県 愛知県陶磁美術館 芝生広場

演出:クォン・ビョンジュン
音響・アシスタント:ユン・スヒ
ボイスパフォーマンス:金仁淑(キム・インスク)、ジョン・フランシス・キンズラー、ナンシー・エリザベス・キム

作品紹介

3Dオーディオシステムの先駆者として知られるクォン・ビョンジュンによる没入型サウンドインスタレーション。観客がヘッドフォンを装着し、愛知県陶磁美術館の広大な芝生広場を歩き回ると、瀬戸の土、水、火、植生、まちや人々から採集した音で構成する仮想世界が自然の風景と重なり、音の野外彫刻が立ち上がる。精密なGPSと立体音響技術により、現実と仮想の境界が揺らぐ特別な体験を提供する。

セルマ & ソフィアン・ウィスィ「Bird(バード)」

セルマ & ソフィアン・ウィスィ「Bird(バード)」より。(Photo: Pol Guillard)

セルマ & ソフィアン・ウィスィ「Bird(バード)」より。(Photo: Pol Guillard)

2025年11月14日(金)~16日(日)
愛知県 愛知県芸術劇場 小ホール

演出:セルマ & ソフィアン・ウィスィ
出演:ソフィアン・ウィスィ、ジヘッド・クミリ、鳩

作品紹介

振付や映像、インスタレーションなど多様な方法で身体や記憶、社会的関係性をテーマにした作品を発表する兄妹ユニットが、廃墟となった元映画館を棲み処とする鳩との出会いから着想を得た作品。舞台上では、ダンサーと鳩が共演者として、互いの存在を尊重しながら身体による予測不能な対話を紡ぐ。その詩的で繊細な表現は、世界各地で「共に生きること」の本質を問い直し、人間中心の視点を超え、偶発的で不確かな存在との新たな関係を切り開く。
(※セルマ & ソフィアン・ウィスィは現代美術展にも参加)

AKNプロジェクト「喜劇『人類館』」

AKNプロジェクト「喜劇『人類館』」ビジュアル(イラスト:大白小蟹)

AKNプロジェクト「喜劇『人類館』」ビジュアル(イラスト:大白小蟹)

2025年11月22日(土)~24日(月・振休)
愛知県 愛知県芸術劇場 小ホール

作:知念正真
演出:知念あかね、新垣七奈
出演:井上あすか、神田青、仲嶺雄作

作品紹介

劇作家・知念正真の代表作「人類館」(1976年初演、岸田國士戯曲賞受賞)を、娘の知念あかねが2020年に立ち上げたAKNプロジェクトにより、3度目のリ・クリエーションに挑戦。戯曲を“喜劇”として捉え直すことで、強さと弱さ、無関心と苦しみ、ゲートの内と外、国家の中心と周縁といった、沖縄・日本・アメリカを巡って今も続く歴史に“ドンデン返し”を試みる。

フォスタン・リニエクラ「My body, my archive(マイ ボディ・マイ アーカイブ)」

フォスタン・リニエクラ「My body, my archive(マイ ボディ・マイ アーカイブ)」より。(Photo: Sarah Imsand)

フォスタン・リニエクラ「My body, my archive(マイ ボディ・マイ アーカイブ)」より。(Photo: Sarah Imsand)

2025年11月28日(金)~30日(日)
愛知県 愛知県芸術劇場 小ホール

振付・ダンス:フォスタン・リニエクラ
音楽(トランペット):ヘル・シャバカ=ラ
彫刻:グバガ

作品紹介

“身体”を生きたアーカイブと捉え、歴史の暴力性とそれが個人や共同体の記憶に与える影響を問いかけるコンゴ民主共和国出身の振付家・演出家・ダンサー。かつてコンゴの人々が記憶を託した仮面や彫刻、歌、物語は、植民地主義により破壊され、散逸してしまった。本作では征服者によって築かれた記録に抵抗し、断片化された歴史と記憶を繋ぎ直すことで、身体によるアーカイブの再構築を試みる。