9月13日に開幕する国際芸術祭「あいち2025」では、芸術監督のフール・アル・カシミが掲げる「灰と薔薇のあいまに」というテーマのもと、現代美術、パフォーミングアーツ、ラーニングを柱に多彩なプログラムが立ち上げられる。中村茜がキュレーターを務めるパフォーミングアーツ部門には9作品がラインナップ。9月26日には、身体障がい者による身体表現を追究する大阪のパフォーマンスグループ・態変が新作「BRAIN」を披露する。
ステージナタリーでは7月中旬に兵庫で行われた態変の稽古の様子をレポート、また態変の芸術監督である金滿里と、「BRAIN」のシステムアーキテクトを手がける時里充からのメッセージを掲載するほか、特集後半には「あいち2025」のラインナップを紹介する。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 吉見崚
2010年から3年ごとに開催され、今回で6回目となる国際芸術祭。愛知県名古屋市の愛知芸術文化センターをはじめとするさまざまな場所で展開される。現代美術を基軸に、パフォーミングアーツやラーニング・プログラムも含めた複合型の芸術祭で、今回は芸術監督をシャルジャ美術財団理事長兼ディレクター、国際ビエンナーレ協会(IBA)会長のフール・アル・カシミ、学芸統括をキュレーターの飯田志保子、現代美術のキュレーターを愛知県陶磁美術館学芸員の入澤聖明、パフォーミングアーツのキュレーターを中村茜、ラーニングのキュレーターを辻琢磨が務める。
7月、作品の全体像はすでに見えていた
7月中旬、肌を刺すような厳しい暑さの中、兵庫で行われていた態変の稽古場を訪れた。稽古場の前に到着すると、ちょうど休憩中で部屋の扉は開いており、戸口の横には数台の車椅子が置かれていたほか、ロビーには食事をしたり、本を読んだりと待機しているスタッフ数名の姿があった。やがて制作担当者が稽古の再開を知らせてくれ、黒の作務衣を着た人が5・6人と、真っ白なタイツのような衣裳を着た出演者が順々に稽古場の中へ入っていった。部屋の奥には、今回システムアーキテクトとして作品に参加するアーティストの時里充の姿もあって、ほかのスタッフと和やかに談笑していた。またこの日はパフォーミングアーツ部門キュレーターの中村茜も稽古に立ち会っていて、稽古場は活気づいていた。
部屋の床には、舞台の前ツラを長辺に、台形のようにテープが貼られている。本番では前面以外三方がカーテンで仕切られ、カーテンより内側はアクティングエリア、外側は舞台裏となる。舞台裏部分には黒の作務衣を着た人──態変では“黒子”と呼んでいる──が待機しており、出演者の出はけや着替えを彼らがサポートする。また稽古場の奥には、足付きの縦長モニターが1台設置されており、本番では3つのモニターが配置される予定だと時里が説明してくれた。
全員が集まったところで、車椅子に乗った金滿里が、朗らかな様子で稽古場に入ってきた。そしてアクティングエリアの中央に対面する形で金の車椅子がセットされると、出演者もスタッフも、稽古場にいた人たちが準備の手を止めて稽古場の中央に集まった。彼らは手をつないで大きな輪を作り、金もその輪に加わって、やがて円陣の中の人だけに聞こえるくらいのささやかな声で何か合図を発すると、全員が目を瞑って頭を垂れた。数秒後、再び合図があると円陣はパッと消え、全員それぞれの作業に戻っていった。
車椅子に戻った金は、コックピットの機長さながらに稽古場全体に目を配る。この日、早くも全体を通す予定で、金は「準備はいい?」と各セクションに声をかけていく。すると、黒子チームから「今日は黒子の人数が少ないので、滞るシーンがあるかもしれません」と返答があり、金がうなずいた。また、「まだアイデアが固まっていない部分がある」と言う時里に対して、金がやんわりと進捗を尋ねると時里が「半分見えてきた!」と明るくいたずらっぽい声で返答して、稽古場が和やかな空気に包まれた。
転がる身体、見つめるAI
「BRAIN」は、態変が「あいち2025」でお披露目する新作だ。芸術祭の公式サイトには「人工知能(AI)が我々の生活の隅々にまで影響を及ぼしつつある近年に応答し、脳による制御から外れる彼らの身体で、脳と身体のねじれた関係を考察する」と作品紹介がある。「私にわかるだろうか……」と緊張して取材に臨んだが、そんな言葉の印象を軽く越えるほど、態変の身体はまっすぐで力強く、表現力と説得力に満ちていた。
冒頭のシーンでは、白い衣裳をまとった出演者が、上手と下手両方から2名ずつ、転がりながらアクティングエリアに入って来た。そしてエリア内を何度も行ったり来たり、回転し続ける。しばらくして「転がった後、お互いにぶつかるように」と金が声をかけ、出演者たちは体当たりを始めた。転がりながらぶつかるその様は、波の動きで、なすがままに転がされる海底の生物のようにも感じられる。しかしリノリウムが貼ってあるとはいえ、身体が痛くはないかと不安になる程、出演者は懸命に床を転がり、身体をぶつけ合う。中には顔中にテーピングを貼っていた出演者もいて、金は「あの人は肌が弱いからね……」と心配げに呟いた。
曲が変わるころ、金はいつの間にか舞台奥にスタンバイしていた。腕と指の力を使って、舞台奥から前面へ向かって、ゆっくりと這い出してくる金。そこへ、下手と上手からも出演者が転がりながら近づいてきて、いつの間にか8人の出演者が腹這いになった状態で横一線に並んだ。客席をグッと力強い目線で見つめ、さらに前面へと迫ってくる出演者たち。その迫力に、思わず息を飲んだ。
続くシーンでは、再びアクティングエリアに転がり出た出演者たちが、身体を寄せ合いながら左から右へ、右から左へと回転を始めた。体型も身体の動かし方もさまざまな出演者たちが連なりながら回転する様は、1人で転がっていたときよりも大きく見えるだけでなく、周囲とコミュニケーションを取り始めたように感じられた。その後、舞台上には3人だけが残り、稽古用にダンボールで作られた甲冑のような美術が登場。波音が響く中、3人はそれを着込むような仕草を見せたのち、虚空を掻くような、何かを浴びるような動きを始めた。隣で稽古を観ていた中村が「これは成長過程のホヤが脳を食べているところで……ホヤって稚魚のときの脳を、成長すると自分で食べてしまうんです」と教えてくれた。
曲が変わり、次の場へ。……と、誰もいないアクティングエリアをじっと見つめていた金が「あれ? ここ、私のソロじゃない?」とハッとした表情を見せ、スタッフが慌てて準備を始めて、笑いが起きる一幕も。しかしアクティングエリアの真ん中にスタンバイした瞬間、金はスッと表情を変え、激しく掻き鳴らされる弦楽器の音に身を委ねるようにゆっくりと右腕を持ち上げ、左腕を揺らし、目線も使って空間を操り始める。風のゆらめきや時間の揺らぎを感じさせるようなその優美な動きは、金の指先から何か甘美なものが振りまかれているかのように幻想的で、グッと見入ってしまった。
次のシーンでは、大きな舞台美術も使った展開になるとスタッフから説明があった。この日、まだ製作中だったその舞台美術は、「BRAIN」のメインビジュアルにあるような、大きな背骨を模したものなのだという。その美術の下で、最初は身を寄せ合い、くんずほぐれつしていた面々が、徐々に上体を起こしたり、身体をぶつけ合ったり、蹴り合ったり、頭を打ちつけたり、立ち上がったり……と動きを変えていく。また稽古では、このシーンから舞台奥のモニターも稼働し始めた。映し出されたのは時里のAI。坊主頭で吊り目姿の、実際より老齢な風貌の時里AIは、頭上に設置されたカメラが映し出す出演者たちの映像を、さまざまな表情でながめている。時里AIの目線の先で“さまざまなドラマ”を繰り広げる出演者たち。彼らの行き着く先は、一体どこなのか……稽古はいよいよ佳境へと向かっていった。
目を奪う、金滿里の佇まい
本作に出演する態変のメンバーは、障がいの内容や程度がそれぞれ異なり、自力歩行する人もいれば、移動にサポートを必要とする人もいる。舞台裏では黒子たちが、出演者1人ひとりに合わせて、腕を貸したり、身体を支えたり、抱き抱えたりとさまざまなサポートを行っていた。黒子のメンバーは作品全体を頭に入れながら、どの出演者がどこから舞台に出て、どこからはけてくるのか、次のシーンはどのタイミングで、どういった体勢で舞台に出ていくのがベストかを常に考えながら、出演者と作品に寄り添って舞台裏を駆け巡っていた。しかし、黒子がサポートするのは舞台裏のみ。ひとたび舞台に出れば出演者たちは独力で動き、共演者を支え、助け、全員で1つのシーンを作り上げていく。その姿に、人間の弱さと強さを同時に感じ、胸が熱くなった。
また取材中、何度も目を奪われたのは金滿里の佇まいだった。演出家の金は、短い言葉で、冷静かつ的確に指示を出していく明晰なアーティストだった。パフォーマーの金は、凛として舞台に“在り”、圧倒的な吸引力で観客の目をさらう表現者だった。しかし稽古の時間を離れたときの金はとても穏やかで、時折冗談も交えながら周囲を和ませる愛らしい人という印象で、彼女の柔和な表情の奥にある、知的かつ情熱的な何かが、この態変というチームの大きな原動力だということを、稽古場にいた時間中、強く感じた。
本作に向けて金は、「頭で指令され、支配されている身体ではなく、頭も身体の方に組み込んで、つまり一般的な価値観とは逆の考えで取り組みたい」と語っていた。身体の一部として、“脳”が問い直される本作。金滿里と態変、そして時里充が作り出す「BRAIN」の幕開けはもうすぐだ。
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金滿里&時里充が語る「BRAIN」