「泣く子はいねぇが」仲野太賀×折坂悠太|いつかきっと春は来る──父親になりきれなかった男のリアル

求められたときに応えられない瞬間は誰にでもある(仲野)

──映画の冒頭でたすくはことねから「何も考えてないでしょ」と言われます。先ほど仲野さんから「大人になる覚悟がないまま父親になってしまった人」という言葉も出ましたが、たすくはどんなふうに生きてきた人間だと思いますか?

「泣く子はいねぇが」より、左から仲野太賀演じるたすく、寛一郎演じる志波。

仲野 楽なほう楽なほうに行って、いろんなことから逃げてきた人なんじゃないかと。どうしようもないやつなんですが、求められたときに応えられない、応えたかったけど追い付けない瞬間というのは、誰にでもあると思います。だからこそ演じようによっては共感してもらえることがあると考えていました。

──折坂さんは実際にお子さんがいらっしゃいますが、父親になりきれないたすくを見てどう思いましたか?

折坂 子供が生まれてすぐの頃は、この映画のような気まずい瞬間は日常でした。

──共感できることはあったと。

折坂 そうですね。たすくはすごく今っぽいと感じていて。柳葉(敏郎)さん演じる夏井に「わかんねんだよおまえらが」と言われるシーンがありますが、あの一言に尽きると思います。たすくみたいな人が周りにいたら、「なんでそんなことするの?」と思うかもしれないし、ことねもそのイライラみたいなものを抱えている。でも、それが一種の共感にもなっていると思います。

──どういう意味でしょうか?

折坂 今っぽいという言い方が正しいかどうかわからないですが、秋田・男鹿という伝統行事としてナマハゲが続く地になじめない、どこか浮いている主人公というのは、よりどころのない若者たちの象徴に思えます。何を目指していいのかわからない中で「ちゃんとしろ」と言われ、ちゃんとした顔ではいるけど実際は浮いちゃっているという。僕はそこにゾッとしました。たぶん佐藤監督自身にもそういう世代への共感があって、時代性を帯びている人という気がします。「それでもたすくは踏ん張ってがんばりました」という映画ではなくて、ふわっと宙に浮いている感覚がそのまま描かれていると感じました。

仲野 たすくは間違いなく、よりどころのなさを抱えて生きていますよね。彼の中にはこうしなきゃ、ああしなきゃという思いがあるんですけど、うまくつかみきれていない。それが彼の人間性とも言えると思います。ラストの行動も浮いちゃってますし。

折坂 そうそう、あの行動もリアルで……ああいうことしちゃうのわかるんですよね。映画を観ていると「なんでいきなり!?」とびっくりするかもしれないんですけど、僕にはすごく現実感があって。男鹿の風景からも、たすくのよりどころのなさ、どうしようもない寂しさみたいなものが読み取れました。誰かが意図して彼を追い込んだわけではないし、誰も悪くないんですけどね。

これ以上踏み込んだら何かが起きるとわかってるうえで進む(仲野)

──たすくには徐々に大人や父親としての覚悟が芽生えてきます。お二方には「大人になったな」と思う瞬間ってありますか?

仲野 折坂さんにはあるんじゃないですか?(笑)

折坂 (笑)。大人ですか……。

──まず大人ってなんなのかという話になると思うのですが。

「泣く子はいねぇが」より、左から吉岡里帆演じることね、仲野太賀演じるたすく。

仲野 それがわかってたら手っ取り早いですよね。大人になろうと思ってもなれないし、大人になんかなりたくないと思っている自分もいる。お子さんが生まれて心境が変わったりしました?

折坂 ふいに思ったりはしますね。歯磨きさせるために子供を洗面台の前に抱えて行って、鏡に写った自分を見て「ハッ」となる。

仲野 ははははは(笑)。

折坂 大人というか「ハッ」とする瞬間はたくさんあります。いつの間にかこんなところまで来てしまった、みたいな。あとは自分がイライラしているとき、調子が悪いときに、その理由がわかるようになったのは大人なのかもしれないと思いました。自分のダメなところがわかってきて、フォーカスが合うというか。悔しいんだな、疲れてるんだな、という自分の感情や状態が細かく理解できるようになりました。

仲野 僕は引くに引けない状況があったときに、今までだったら引いてしまうことが多かったんです。でも今は、これ以上踏み込んだら何かが起きるとわかってるうえで進む。逃げるのではなくて、矢面に立つしかないなと考えるようになりました。それが大人なのかはわからないですけど(笑)。責任を取れるようになったとも言えるかもしれないですが、引くのではなく攻めることは増えてきた気がします。

左から仲野太賀、折坂悠太。

2020年11月18日更新