佐藤快磨の劇場長編デビュー作「泣く子はいねぇが」が11月20日に全国で公開される。本作で描かれるのは、ナマハゲ行事が続く秋田・男鹿で生まれ育ち、娘が生まれたにもかかわらず父親としての責任を自覚できなかった男・たすくの現実。是枝裕和が企画を担当し、「新聞記者」の河村光庸がエグゼクティブプロデューサーを務めている。
映画ナタリーではたすくを演じた仲野太賀と、主題歌および劇伴を担当した折坂悠太の対談をセッティング。折坂は今回初めて映画の主題歌と劇伴を手がけたが、オファーのきっかけは仲野の提案だったという。書き下ろし楽曲の「春」をはじめ、よりどころのなさを抱えて生きる若者・たすくや、“大人になるということ”について話を聞いた。
取材・文 / 小澤康平 撮影 / 清水純一
是枝裕和が背中を押すと決めた若き才能
本作の監督を務めたのは、1989年生まれ、秋田県出身の佐藤快磨。PFFアワード2014で映画ファン賞と観客賞を受賞した「ガンバレとかうるせぇ」や、仲野太賀と岸井ゆきのの共演作「壊れ始めてる、ヘイヘイヘイ」、回復期リハビリテーション病院を舞台とする「歩けない僕らは」を監督してきた。2017年、是枝裕和や西川美和率いる制作者集団・分福が監督助手を募集していた際、佐藤は志望動機の欄に「泣く子はいねぇが」について書き記し、プロットを持ち込む機会を得る。是枝をはじめとする分福のプロデューサーたちは、佐藤が描く力強いラストシーンやセリフの面白さに才能を感じ、映画化に向けて動き出すことを決めた。是枝は「最初に佐藤さんに会った時に聞いた映画の企画が、この『ナマハゲ』のお話でした。読ませてもらった脚本がとにかく面白かった。登場人物たちの台詞がとてもリアルだったし、何より監督の切実さが伝わってきて、きっと佐藤さんはこれを撮らないと先へ進めないだろうと思い、背中を押すことに決めました」と当時を振り返る。
ナマハゲを通じて描く、父親になるということ
佐藤は幼い頃、秋田・男鹿の友人の家でナマハゲを体験した。号泣して父親に抱き付く友人の隣で、体を寄せる家族がいなかった佐藤は泣くのを我慢したという。「そうした記憶と、取材を通じ、『ナマハゲ』は、子供をただ『泣かせる』ということではなく、親が子を『守り』、子を守ることで男の心を『父親にする』行事なのではないかと思い至りました。『ナマハゲ』を通じ、精神的に成長していく主人公を描くことで、『父親になるとはどういうことか?』を表現したいと思いました」と話す佐藤。約2年の間、月に1度秋田へと足を運んで取材とロケハンを重ね、2020年1月からの約1カ月半の撮影を経て本作を完成させた。劇場長編デビュー作でありながら、スペインの第68回サンセバスチャン国際映画祭コンペティション部門に出品され、最優秀撮影賞を受賞した。
仲野太賀と吉岡里帆が語る“どこか共感できる”主人公
娘が生まれても大人になりきれない主人公・たすくは、“男鹿のナマハゲ”の日である大みそか、泥酔状態で町を全裸で走り回る。妻・ことねとは離婚し、男鹿から逃げるように上京するたすく。救いようのない人間に思えるが、彼を演じた仲野が「ツッコミたい自分と、共感する自分がいました」と、ことね役の吉岡里帆が「一生懸命だけどまだ父親にはなり切れない未熟さと子供っぽさが残っていて、でもどこか憎めない。等身大の愛おしいキャラクター」と述べているように、どこか共感できる部分も持っている。失態から2年、ことねと娘に会いたい気持ちが高まり、地元の人々にも許してもらえるのではないかと期待するたすくは故郷に戻るが、現実はそう甘くない。過ちの上に成り立っている自らの人生を直視した彼は、身勝手な愛情を爆発させた“ある方法”で大人への一歩を踏み出すことになる。
太賀さんから連絡が来て、これはやるしかないなと(折坂)
──折坂さんが主題歌と劇伴を担当することになったきっかけは、仲野さんの提案だったと伺いました。もともと折坂さんの音楽が好きだったんですか?
仲野太賀 前から好きでした。ナマハゲが伝統行事として続く秋田・男鹿市で撮影していたんですが、僕が住んでいる東京とは景色が全然違っていて。移動中やホテルの部屋で台本を読みながら折坂さんの音楽を日常的に聴いていたんですが、「さびしさ」という曲が主人公・たすくの気持ちにぴったり重なったんです。妻と娘に対する気持ちや、生まれ故郷である秋田に対する思いを膨らませていく中で、「さびしさ」からすごくパワーをもらいました。そんなときに劇伴を誰が担当するかまだ決まってないという話を聞いて、折坂さんを提案させていただいたんです。
──そこからすぐにオファーをすることになったんですか?
仲野 僕の中では折坂さん以外考えられなくなっていて、ずっと推していたらオファーしてくれることになりました。そのあとメールでも担当してほしいという思いを直接伝えて。
──折坂さんにとっては初めての映画の主題歌と劇伴ですが、引き受けることに迷いはなかったですか?
折坂悠太 オファーをいただいたときは「すごい話が来たな」という思いでした。自分にできるだろうか、どうしようかと思っていたときに、太賀さんから連絡が来て。これはやるしかないなと(笑)。
仲野 ははははは(笑)。
──仲野さんの思いに感化されたと。
折坂 もちろんそれだけではないですけど。どんな映画かを聞いて、やってみたいという思いもあったので、後押ししていただいた感じです。
──劇伴はどのように制作していったんですか?
折坂 仮編集版を観ながらの作業だったんですが、1発目観たときにもう音を付けていきました。
──仲野さんがおっしゃった「さびしさ」と映画のつながりについてはどう思いますか?
折坂 「さびしさ」は自分でもなぜできたのかわからないような曲で、ライブで歌っているときも「なんでこういう言葉にしたんだろう?」と思うことがあったんです。太賀さんが役を作っていくうえで聴いてくれていたことを知ったときはうれしかったですね。何かが誰かの胸を打つ歌なんだろうなとは思っていたので。僕は余白が多いものが好きなんですが、「泣く子はいねぇが」もそういう作品だと思ったので、もしかしたらそこが曲とリンクしたのかもしれません。解釈を委ねている点が共通しているなと。
──エンドロールで流れる主題歌「春」では、「確かじゃないけど、春かもしれない」というフレーズが繰り返されます。この歌詞からも解釈は観客に委ねたいという思いがうかがえます。
折坂 たすくは自分の行動がいいことなのか、それによって人生がどう転がっていくのかをまったくわかっていません。でも“彼は今ああやって生きるしかない”ということが映画では描かれていると思いました。この曲を書いているときの世の中も、確かなことが何も言えない状況だったんです。確かじゃないことばかりだけど、もしかしたら春が待っているかもしれない、今の自分の有様が春なのかもしれない、ということを映画を観たときに感じてあの一節が生まれました。
──仲野さんは「春」を最初に聴いたときに何を思いましたか?
仲野 たすくは男鹿での不祥事が原因で家族と離れることになり、でもことねや娘に会いたくて結局地元に戻って来る。時間を取り戻したいと思っているけれど、家族への執着も身勝手で褒められたものではないです。不器用というか、大人になる覚悟がないまま父親になってしまった人。そんなたすくがある行動を取るラストは、喜びや悲しみ、人生における矛盾などすべてが詰まったシーンだと思っています。そのあとに「確かじゃないけど、春かもしれない」という一節を聴くと、たすくの個人的な行動が一気に人生規模の出来事に感じられる。すぐに春が来るかどうかは確かじゃないけれど、人生の浮き沈みや四季の巡りと同じで、いつか必ずたすくにも春が来る。「たすくは大丈夫かもしれない」ということを「春」という曲で表現してくれたことに本当に感動しました。
──ちなみに、折坂さんの曲はこれまでも短いタイトルのものが多いです。今回も「春」と漢字1文字ですがこだわりがあるんですか?
折坂 ちょうどいいのを付けようとすると短くなってしまうんですよね。でも最近マンネリ化してきたなと思って、長いタイトルの曲を作ろうとしてます。できてはないですけど(笑)。曲名がすごく長くて、歌詞は一言みたいなものもいいんじゃないかと。
仲野 説明的な長いタイトルは付けづらいんですか?
折坂 短いほうが付けやすいです。よく言えば余白を残している、自分に対して厳しく言えば抽象的なタイトルへの逃げです(笑)。
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求められたときに応えられない瞬間は誰にでもある(仲野)
2020年11月18日更新