「ルース・エドガー」特集|ある黒人青年が現代に問う善悪の彼岸、武田砂鉄と鳥飼茜が読み解く緊迫のヒューマンドラマ

17歳、黒人の高校生ルース。誰からも称賛される彼は、完璧な優等生か? 恐ろしい怪物か? 人間の本性をサスペンスフルに描く「ルース・エドガー」が、6月5日に公開される。

ミステリアスな主人公ルースを演じたのは、「WAVES/ウェイブス」でも注目を浴びる新星ケルヴィン・ハリソン・Jr.。彼を取り巻く大人たちにナオミ・ワッツ、オクタヴィア・スペンサー、ティム・ロスといったベテランキャストが配された。

新型コロナウイルス感染症の蔓延によって、人の心にさまざまな疑念が生じている現在。映画ナタリーでは、ラジオパーソナリティとしても活躍するライターの武田砂鉄と、「先生の白い嘘」「地獄のガールフレンド」などで知られるマンガ家・鳥飼茜のレビューを掲載し、今だからこそ深く突き刺さる本作のテーマを紐解く。

レビュー / 武田砂鉄、鳥飼茜 文 / 山里夏生

武田砂鉄 レビュー

人間の真意は浮動する

「ルース・エドガー」より、ケルヴィン・ハリソン・Jr.演じるルース。

何かの事件が起きて犯人が捕まると、その近所に住んでいる人にマイクを向けて、「いや、ビックリです。あんなことをするような人には見えなかったから」というコメントを拾う。テレビ画面の右上には「住民も動揺『あんなことをするなんて……』」とテロップが出ている。果たして、皆さんの周りに、「あんなことをしそうな人」はそこら辺に歩いているだろうか。今朝、ゴミを出しに行ったが、マンションの管理人、住民3人とすれ違った。軽く会釈をした。あんなことをしそうな人はいない。果物ナイフを振り回していたら通報するけれど、この人がいつかあんなことをするかどうかなんてわからない。

新型コロナウイルスが全世界に蔓延し、私たちは漏れなく、疑う人間になり、疑われる人間になった。いや、急にそうなった、というよりも、もとからそうだったものが露呈しただけなのかもしれない。こっちには来ないでほしいと思い、そっちこそ、こっちには来ないでよと思われた。こんなときは、自分の体内で育まれてきた「善」と「悪」のバランスが乱れやすい。偏見が殻を突き破ろうとする自分の振る舞いに、自分で自分に動揺してしまう。

「ルース・エドガー」

事前に送られてきたこの映画の紹介文に、「『ルース・エドガー』のもっともユニークな特徴は、全編出ずっぱりの主人公ルースが真意不明のミステリアスな存在であることだ」とある。頭脳明晰、スポーツ万能、他者の痛みをわかろうとする精神性……誰からも慕われる存在でありながら、その心の奥底は見せない。そもそも、ルースが、その心の奥底を見つけているのかも定かではない。物語が進むにつれて、ほんの少しずつ、奥底らしきものが見えてくる。その奥底は、ルースが「わざと見せているもの」なのか、「うっかり見せてしまったもの」なのか、わからないままだ。

「ルース・エドガー」

「真意不明のミステリアスな存在」。確かにそうだ。でも、同時に、人間はみんなそうではないか、と思う。「ユニークな特徴」ではなく、普遍的なものではないか。私はこういう人間です、とすべてを開示している人はいない。いたとしたら、その人はウソをついている。意外性を隠しながら生きているのが人間の常態だと思う。優等生としての自分を支えているものはなんなのか。優等生としての自分は、善意でも支えられるし、悪意でも支えられる。もし、悪意で優等生としての自分を支えていたら、それは許されないことなのだろうか。

この作品のラストシーンをどう捉えるかは難しい。これまでの流れと地続きだと感じる人もいるだろう。切り替わったと感じる人もいるだろう。アイデンティティというものは、自分の心の中で、表層と奥底にくっきり分かれているものではなく、循環している。絶妙なバランスを、不安を抱えながら、日々更新していく。今、こうして、世の中に不安が充満すると、その循環が乱れる。うっかり奥底に埋まっていたものを表に持ち出して、外に吐き出してしまう。ぶつけられたほうも動揺するが、ぶつけたほうも動揺する。こんな悪循環もない。

「ルース・エドガー」

この映画を見ると、一体、誰のことを信じればいいのだろうかと、すがる相手を探したくなる。なぜ探すかといえば、安心のためだ。この人は信じられると安心したい。でも、誰だって、人というのは「真意不明のミステリアスな存在」だと思う。信じ続けるのではなく、信じて、疑って、もう一回信じてみる。人間の真意は浮動する。だからこそ、信じてみる回数をなんとかして増やしてみるしかない。いまだかつてないほど不安が膨張していく日々に、いくつもの問いかけをぶつけてくる映画だ。人は、あんなことをするような人には見えない人ばかりなのだ。

武田砂鉄(タケダサテツ)
武田砂鉄
1982年生まれ、東京都出身。大学卒業後、出版社勤務を経て、2014年からフリーとなる。著書「紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす」で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。そのほかの作品に「芸能人寛容論 テレビの中のわだかまり」「コンプレックス文化論」「日本の気配」などがある。現在はcakes、女性自身、文學界、すばる、VERY、暮しの手帖、SPURなどで連載中。TBSラジオ「ACTION」で金曜パーソナリティを務めるほか、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」にもレギュラー出演している。
鳥飼茜 レビュー

「立場」を徹底して想像するということ

相手が何を考えてるかなんて、あんまり予測しすぎないほうがいいよ、だって本当のことなんて絶対にわからないんだから。

これはつい先日小学5年生の息子が、あれこれと考えすぎて杞憂の多い私に与えた至言である。

「ルース・エドガー」

きっと相手はこう考えたに違いない、ああそれ私にとってはつらいな。相手不在の邪推で私は自分を苦しめる。耐えきれず、どうせあなたはこう思っているんだよね、って相手に伝えてしまう。決め付けられた相手は傷付く。反抗心が生まれ、決め付けへの過剰な適応、すなわちどうせそう思われているのならこれぐらいのことをしてやろうかという露悪を引き出すことだってある。そして信頼は少しずつ、双方から後ずさっていく。
これは日常的に私の生活範囲で起きている問題であり、このちょっと解釈が容易ではない映画、「ルース・エドガー」の中で起きた出来事のすべてである。

「ルース・エドガー」より、ナオミ・ワッツ扮するエイミー(左)とティム・ロス演じるピーター(中央)。

ルース・エドガーはアメリカに暮らす黒人の高校生で、両親は中流以上の白人夫婦である。
主人公の彼は表向き優等生だが強烈な不幸を幼い頃から背負わされ生きている。同じく黒人である同級生への世間の冷遇に心を痛めながら、一方自分の築いてきた特権を奪われないように必死で何者かを演じている。その葛藤は想像するにあまりあるけれども、自分事でいっぱいいっぱいの私達は、世界のどこかで起きている苦悩を知ってはいても自ら理解するための時間や脳みそを簡単に提供したりはしない。実際私自身がこの物語に伴走し、ルース・エドガーの本意に集中することは、その他エンタメの消費に比べれば簡単ではなかったのだ。

私達はアメリカ社会や諸外国と比べれば分断が見えにくい一見平坦な日本社会を生きていて、だからたまに目の前に現れる性差別だったりマイノリティの主張に対して、どうしようもなく慌ててしまう。誰かを自分の関与で傷付けるなんて、あるいは誰かの行動が自分の安全を(ただちに人命が関わるような安全を)脅かすものになるなんて、予想もしないクリーンな社会を生きていた、つい2カ月ほど前までは。
2020年の春、感染症の世界的蔓延というダークホースの出現により、我々日本人も免れることなくすべての人間たちが大きな行動変容を試されている真っ最中だ。
他者との物理的な距離を求められる一方で心的には他人への寄り添いがいっそう必要とされている。手に負えないウイルスという怪物によって他者との連帯と分断の両方に振り回されながら、自分の安全のために他人の安全を確保するという、一見新しいようでいて根源的なあり方を、さまざまな形で強く求められている。
詰まるところは自分のために、立場の違う相手にどれだけの共感と行動を与えられるのか、を問われている。

「ルース・エドガー」

相手を知ろうとするときになぜ、どうせこうに違いないとか、こうであってくれたら都合がいい、なんてふうに自分の立場を捨てきれず、邪推を止められないのか。
それは、自分が幸せでいたいからだ。自分の幸せのために、相手の幸せが絶対不可欠だからだ。
全員が現状満たされていてさらなる幸福を願うなら問題は起きない。誰もが満たされない心でそれでも自分と相手両方の幸せを願うから、悲しみや欠損を心が勝手に補正したり防御したりして、時に疑念が暴走してしまうのだ。

本当のところ、どんな場合であれ私たちは真に関係性の良好を望んでいる。誰もつらい思いをしなくて済むように、これが皆が共有する願いでまず間違いない。
朴訥に双方の幸福を願う人間が増えるほど、そこに個別の物語が関数として絡んでくる。
つらかった出来事、傷付けられた相手、人の数だけ間違いなく存在する悲しみが事実に上乗せされ、事実以上の物語を無数に編んでいく。そうして人と人との間に計算外に生まれる魔物、それが不信だ。
本当は仲良くしたかった誰かと自分を、あっという間に悲しいほどに分断する不信である。

信頼を築くべく、相手を知るには別の方法がある。それはきっと、「立場」を徹底して想像するということだ。

「ルース・エドガー」

どんなところで、誰とどんな時間を過ごして、この人は今この場所に立っていてくれるのだろう。
いつだって人間を明るいほうへ導いてくれるのは、この純粋な興味、知的好奇心だ。それは自分自身のあらゆる歪みの関与も許さない、一番尊い関心のあり方で、社会への関わり方でもある。

たった1人の存在を、自分の知性を総動員して知ろうとすること。
ルース・エドガーの真意は彼本人にしかわからない、この映画を通して我々に唯一できる関与は、それでも彼を知ろうとする姿勢を崩さないということだ。彼の出自、今の環境、人々に投げかけられた言葉のひとつひとつを、彼と遠く離れたこの自分が精査して、目一杯他人の立場に想いを馳せるのだ。
それは一つの経験として、このクリーンでも平坦でも安全でもなくなりつつある新しい世界で生きのびていくために、あるいは私が、あなたが身近な誰かを失わないでいるために、無駄には決してならないと感じている。

鳥飼茜(トリカイアカネ)
鳥飼茜 anan©マガジンハウス / 撮影 小笠原真紀
大阪府出身。2004年に別冊少女フレンド DX ジュリエット(講談社)でデビュー。2010年に青年誌初連載作品「おはようおかえり」をモーニング・ツー(講談社)でスタートする。代表作に「おんなのいえ」「先生の白い嘘」「ロマンス暴風域」「マンダリン・ジプシーキャットの籠城」、ドラマ化もされた「地獄のガールフレンド」などがある。週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)にて連載されている「サターンリターン」は、最新3巻が発売中。