「ルース・エドガー」特集|ある黒人青年が現代に問う善悪の彼岸、武田砂鉄と鳥飼茜が読み解く緊迫のヒューマンドラマ

コラム

善と悪のあわい、観客に委ねられる主人公像

「ルース・エドガー」

成績優秀なスポーツマンで、スピーチにも長けたルース(ケルヴィン・ハリソン・Jr.)。彼がある疑念を向けられたことをきっかけに、観客はルースが“完璧な優等生”なのか、それとも世間を欺く“恐ろしい怪物”なのかを見極めようと注意深く観察する。しかし、ルースの本性はあいまいなまま物語は進んでいく。

「ルース・エドガー」

監督・製作・共同脚本を担った新鋭のジュリアス・オナーはその理由をこう語る。「私たちは自分の目に入ってくることを通して彼を理解するしかない。人間というのは、常に自分自身の個人的な過去と思い込みを他人に押し付ける。他人を型にはめ、外見、階級、性別、その他の要因にもとづいて人を抑圧するんだ」──。果たしてルースは何者なのか。彼の深淵をのぞこうとするとき、私たちもまた自らの潜在意識と向き合うこととなる。

真実を巡って衝突するそれぞれのイデオロギー

「ルース・エドガー」

ルースの存在によって、登場人物たちの立場の違いも浮き彫りになっていく。ルースの養父母であるピーター(ティム・ロス)とエイミー(ナオミ・ワッツ)はリベラルな善人として描かれるが、彼らは自分たちの価値観を試される。観客の視点を担う彼らについて、オナーは「自分に差別意識はないと信じながらも、その意識に矛盾するような状況に置かれると、うまく対処する術がないことがわかるんだ」とコメント。そして「この映画は、実質的にはエイミーの目覚めの物語」とまとめると、「彼女は旅路の最後に、人々が望む理想形とは違う人物像になる」と示唆した。

「ルース・エドガー」より、オクタヴィア・スペンサー演じるウィルソン。

ルースと対立する教師ウィルソン(オクタヴィア・スペンサー)もまた、厳格なだけではなくプライベートに問題を抱える複雑な人物だ。アフリカ系アメリカ人の女性として彼女が経験してきたことの背景を考えると、一概に悪だと断じることはできない。「ウィルソンは、人生の現実は厳しいということを彼に知ってほしいと思っている」と述べるオナーは、差別されないよう模範的に振る舞うことを是とする彼女と、そうではないルースのイデオロギー的な亀裂が緊張の核心だと分析している。

現代のアメリカが求める“黒人らしさ”

「ルース・エドガー」
「ルース・エドガー」

バラク・オバマが大統領の時代に上演されたJ・C・リーの戯曲「Luce」を映画化した本作。10歳の頃、ナイジェリアからバージニア州アーリントンに引っ越してきたオナーは、大学を卒業する頃になっても市民権を持てなかったという。戯曲で描かれる黒人としてのアイデンティティに関する対話に「深い部分で共感を覚えた」と語るのも必然だろう。

ルースを演じたケルヴィン・ハリソン・Jr.に、オナーが手本として示したのはバラク・オバマとウィル・スミスだ。「私にとって、彼らはかっこいいが威圧的ではない男らしさを持った黒人の究極の例だ」と意図を説明する彼は、一方でポジティブなメッセージのみを伝える黒人の物語に危機感を持っている。「自分たちが安堵する物語しか作らないならば、自分たちに害を与えていることになるんだよ」と警鐘を鳴らすオナーは、「観客が本作のあいまいさを受け入れてくれることを願っている。そしてそれが気になってしまい、その正体はなんなのかという疑問を忘れないでいてくれたら」とメッセージを送った。