映画「
本作は、さまざまなバックグラウンドを持つ子供や、不登校などを経験した生徒を受け入れる愛知・奥三河の全寮制の学校・黄柳野(つげの)高校を舞台とするドキュメンタリー。3年間の学校生活の終わりが近付く中、生徒たちが家の事情や進路にそれぞれ葛藤しながらも懸命に生きる様子が捉えられた。黄柳野高校の卒業生で、自らも不登校を経験した
映像にはギターや笛を弾き、職員室で先生と友達のように付き合っていく生徒の姿を収録。彼らが三者面談で自らの将来を考えるシーンも映し出される。そして終盤には「泣いたって、傷ついたって、大丈夫。この学校なら受け入れてくれる」というテロップが寄り添うように浮かび上がった。
久米は「老人の日々を送りながら 今でも高校の頃を良く思い出す」「ごく普通の高校なのだが あの3年間で 自分が生きていく方向が分かったような気がしたのだ あの3年間がなければ 今とは全く違う80歳になっていた筈だ」と自らの青年期を回想。「水俣曼荼羅」で知られる原は「優しい眼差しだけが、この国の歪な社会の中で成長していくしかなく、荒んでしまいがちな若者たちの頑なな魂を溶かしてくれる魔法であることを示して、観る者の気持ちを優しくしてくれる作品である」とつづった。
「風たちの学校」は、3月15日より東京・K's cinemaほか全国で順次公開。なおK's cinemaでは、田中の監督デビュー作「
映画「風たちの学校」予告編
朝倉景樹(社会学者 / 雫穿大学代表)コメント
学校に行くことが当然の社会で不登校をすることは、容姿・能力など自分の一部ではなく、自分という人間が至らない、ダメな存在に感じられる自己否定を経験し得ることだ。優しい教職員が温かく接してくれる場でも、自己否定の容赦ない葛藤はやってくる。主役の表現的な二人は、手を差し伸べる人たちとの信頼を支えに前に進もうとしている。そのかけがえのない時間がここに閉じ込められている。
北村匡平(映画研究者 / 批評家)コメント
これは何も特別な人たちに起こりうる出来事ではない。ままならない体と心が、少しずつフィットしてくる。自らの人生に少しずつ向き合えるようになってくる。そんな思春期を生きる若者の、まっすぐでむき出しの姿に僕は終始心が揺さぶられた。
それにしてもカメラに切り取られた三者面談の場面が、これほどスリリングで面白いとは! ミット打ちの乾いた音、ギターや笛の音色、透き通った歌声──。さまざまな音響とともに、あの、生きづらい、痛々しく美しい青春の一コマが、画面いっぱいに絶えず蠢く。
久米宏(フリーアナウンサー)コメント
ボクは今80歳だ この年齢には自分でも驚いている
老人の日々を送りながら 今でも高校の頃を良く思い出す
ごく普通の高校なのだが あの3年間で 自分が生きていく方向が分かったような気がしたのだ
あの3年間がなければ 今とは全く違う80歳になっていた筈だ
まあ、それも面白い話なのだが
とても面白い映画でした
汐見稔幸(教育・保育評論家 / 東京大学名誉教授 / 白梅学園大学名誉学長)コメント
人間を本当の意味で育てるのは、傷ついた心に深く共苦出来る人や友と、一緒に生きる場を持つことだ、ということがよく分かる、現代教育の再生への道を示した作品だ。学校は生活の場だが、生活とは生命が活性化するということだ。
原一男(映画監督)コメント
田中自身が過去に不登校経験があるがゆえに、同じような境遇、家庭環境の中で育っている少年少女たちに向けての眼差しが限りなく優しい。優しい眼差しだけが、この国の歪な社会の中で成長していくしかなく、荒んでしまいがちな若者たちの頑なな魂を溶かしてくれる魔法であることを示して、観る者の気持ちを優しくしてくれる作品である。
細馬宏通(早稲田大学教授)コメント
映画を観るわたしたちにとっても、これは一本の学校である。
田中健太の映画作品
リンク
出町座 @demachiza
『風たちの学校』京都は出町座にて5/9より上映開始です。
https://t.co/fVJK3PvmVP https://t.co/nXUIRS4f5O