本日12月6日、特集上映「目黒シネマ名作チョイスVol. 13
このトークイベントは、1人の孤独な男の年代記を描いた市川の監督作「
さらに1993年に発表された「病院で死ぬということ」の制作時に、宮沢が「私も監督の映画に出たいです!」と市川に直訴したというエピソードが披露されると、客席から驚きの声が上がる。宮沢は「まだ10代で『Santa Fe』を出したりとかしてキラキラしている、“宮沢りえ!”という頃で。そのとき市川監督は『いやあ、僕の映画は、宮沢さん出るところないな……』とおっしゃられたんです。だから『トニー滝谷』のあとに『また一緒に映画を撮りましょう』と言われたことがうれしくて。何よりもの褒め言葉としてずっと覚えています」と振り返った。また犬童は「僕は『トニー滝谷』を観て、宮沢さんで『グーグーだって猫である』を撮りたいと思ったんです。宮沢さんって『ベルリン・天使の詩』のピーター・フォークみたいに、もとが人間じゃないような感じがするんですよ。だから『病院で死ぬということ』には出られないけど、(『トニー滝谷』のA子およびB子役は)宮沢さんなんだなと感じました」と、本作における宮沢の魅力を語った。
話題はふたたび「トニー滝谷」へ。宮沢が「この作品が海外で公開されたあと、個人的に旅行に出かけたんです。そのときに会ったイギリス人の男の子が『君は「トニー滝谷」に出ていたよね? あの作品は僕の一番好きな映画なんだ! でも、君がA子だったかB子だったかはわからなくて……」と声をかけてくれて。どちらも私だということを説明しても、なかなかわかってもらえなかったんですが、それがすごくうれしくて。私という存在を知らない方が観ると、(A子とB子が)まったく違って見えるんだなって。そのことを監督にずっと報告したいと思っていたんです」としみじみ述べる。
最後に宮沢が「無理難題を言われても挑戦しようと思えるだけの筋力を養ってくれたのは、市川監督だと思います。言葉で褒めてもらったことは少ないけど、がんばったときには肩をポンポンとしてくれました。一緒に同じ時間を過ごして、ものを作れたことがとても幸せです」と市川への思いを明かし、イベントは終了した。
「目黒シネマ名作チョイスVol. 13 市川準監督特集2015 市川準と女優たち」は、12月11日まで同館にて行われる。
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